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約26年ぶりに友人に会う

おはようございます😃


来月、約26年ぶりに中学の時の友人と会う約束をしました。


きっかけは敬愛するnoterの福島太郎さんにいただきました。


なんとなく、今会っておきたいなぁ。


そんな衝動にかられ、約束して来月ランチ予定です。


彼女は暗黒だった中学時代、ふわっと心を開けた友人でした。


部活が同じで、クラスでイジメられている私を全く差別せず、普通に受け入れてくれました。


人って自分が弱いと、差別されている人と仲良くすると、自分もいじめられたり差別されたりするから、避ける傾向にあるんだと思うんです。


実際、わたしもそうだった。


わたしよりさらに虐められている子に、自ら積極的に関わろうとしなかった。


だから、彼女が全然差別しないで私に普通に接してくれることがすごくありがたかったし、どうしてなんだろうと不思議でした。


小学校の時に転校を機に親友と離れ離れになり、その時に、もう誰にも心を開かない、友達なんてつくらない。


そう決めて、本当に誰にも心を開けなくなっていたわたしにとって、彼女の存在は、人に心を開くってこういうことなのかな?


久しぶりにふんわり思い出させてくれました。


高校は別れて、しばらく会ったり連絡を取り合っていたけど、大学もお互い離れていて、疎遠になっていました。


年賀状もいつしか途絶え…。


再会のきっかけは母がつくってくれました。


彼女のお父様が開いた切り絵の展示の新聞記事をたまたま見かけた母が彼女のお父さんのご自宅の住所を書き留めてくれていました。(個人情報バリバリですよね。いいのか新聞記事)


母がそのことを知らせてくれて、年賀状を出すまでに2年。


彼女は結婚して関東にいましたが、お父様が年賀状を転送してくださり、すぐに年賀状のお返事が。


いつか再会しようとやりとりしているうちにコロナが…。


コロナを言い訳に、再会をどこかで躊躇っていたけど、福島太郎さんをきっかけに、えいってランチに誘ってみました。


多分、私はどこかで抵抗があったんだと思います。


小学校4年の時に幼馴染の親友と別れて以降、久しぶりに心をうっすらと開けた彼女との思い出は、暗黒だった中学時代の思い出ともセットになっていたから。


私はnoteで大っぴらに暗黒時代をカミングアウトするまで、自分が中学時代イジメを受けていたことをどこかで自分の恥だと感じていました。


でも、何もかも、洗いざらいカミングアウトしたら、心が空っぽになりました。


「なんだ、イジられて恥だと思っていたけど、ほんと、よく頑張ったよね、そして、頑張れたのは、そうやって差別しないで友人でいてくれた方々がいたからだったんだな」


本当に細い細い糸。


でも、いつも必ず誰かがそこにいて、生きていくことを、生きていていいんだと思わせてくれた。


だから今ここにいることができる。


同時にそれはわたしができなかったことでもある。


友人とは湿っぽくならず、楽しくランチしてこようと思います。


今朝ゆずさんの記事を読ませていただいていたら、彼女のことを書きたくなりました。


noteってすごいな。


心の中の波がどんどんゆるやかに広がり続けていく。


そのゆるやかな波には、優しさという波動があると感じるのです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨


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