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【追記しました】一度目の和解

グレた私は母にも反発しまくった。


それまで、私は母のことは素晴らしい尊敬できる人だと思っていた。


誰もが嫌がる祖父母の介護も引き受けて、家を空けて一月以上も病院で寝泊まりする。


他にも兄弟がいるのに、「私は専業主婦だから」と付き添いを申し出る母のことを素晴らしいと思っていた。


そして、何かにつけて、関わらない他の叔父叔母に対して自分たちの家庭ばかり守ってひどいなと思っていた。


でも、心の奥底に、「外ばかり見ないで、もっと自分の家族に愛を振り向けてよ」とどこかで思っていた。


母はキリスト教ではないが、よく隣人愛という言葉を口ずさんでいて、周囲にも感じよく振る舞った。


でも、やっぱり、「周囲にそんなに優しく振る舞うなら、もっとこどもたちをみてよ」とどこかで思っていた。


グレまくってからは、自分の夢である医学部受験を押し付けたこと。


こどもの心の傷より学歴を偏重したこと。


ありとあらゆることが許せなくなった。


ことあるごとに母に歯向かった。


結婚が決まったときも、あんたたちに結婚式の姿なんて見せない。


どこかでそう思って結婚式も挙げず、籍だけ入れた。27歳の時だ。


自分は幸せになってはいけないという気持ちもどこかにあった。


そのうち、自分の人生が堂々巡りを繰り返してどうしてもうまくいかないということに気づいた。


なぜこんなに何もかもうまくいかないんだろう。


そんな時、先輩に「鏡の法則」という本を薦められた。


本当にジャストタイミングだったのだと思う。


誰かを許せないままでいると、鏡のように自分を許すことができず幸せになれない、詳しく覚えていないが、そんな内容だったと思う。


おりしも、自分の人生をズタズタにするようなショッキングな出来事があり、心が折れていた。


母に泣きながら電話した。


反発してごめん。今すごく辛い。苦しい。


母は優しく言った。


「大丈夫。生きているのだから大丈夫」


翌年、ささやかに親族と大学時代の友人数人だけ招いて結婚式を開いた。


籍を入れて2年も経っているのに、ウェディングドレスを着てチャペルに入った瞬間、父が咽び泣いているのを見て大号泣した。


あぁ、愛されていたんだ。


ここでも、自分の頑なな思い込みが自分自身を苦しめていたということに気づくことができた。


私は母と和解した。


そんな風に思っていた。


そして、今回の書籍出版で2回目の和解に至るのである。


自分の怒りの根がこれほどまでに深かったと気づいたのは本を書き終えてから。


私は母を完全に許していないことにすら気づいていなかった。


母をそして、自分をすごく責めていたとはっきりと自覚し、もうやめようと思えた。


人にはそれぞれタイミングと必要な時間があるのだと思う。


それは人それぞれ。最初から許した方がいいなんてことは分かっていた。


でも傷が深すぎて許すことができなかった。


最終的に、時間と、前よりひとまわりだけ成長した自分が自分自身を癒してくれた。


でもそこに至るまで沢山の出会いがあった。


時に人、時に本、時に音楽、時に絵画。


私はそんなバトンをささやかでいい、自分もつなげたいと思うようになった。


自分自身を許せた。それだけで、本を書いて本当に良かったと思う。


でも、それだけで終わらず、希望というバトンをつなげていきたい。


私はやっとスタート地点に立とうとしている。


創作こぼれ話。


結婚式の時の感動は、大橋トリオさんのハニーを聴くといつでも思い出すことができる。

ここまで一人語りにお付き合いいただき、ありがとうございました✨✨✨(一人語りはいつもか)






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