陽だまりの彼女たち【企画参加】
中学1年の時に転校をきっかけにイジメにあった。
それ以降、部活以外の時間は地獄、という3年間を過ごして、這々の体で高校に入った。
転勤族だった父の仕事の関係で小学4年生の時に転校で親友と離れるとき、
「もう二度と友達なんかつくらない」
そう心に誓ってから、友達をつくれなくなった。
人に心を開けなくなった。
人に心を開けないということがどれだけ孤独で命を蝕むのか、この時初めて知った。
寂しくて辛くて苦しくて毎晩眠れない日々が続いた。
なんとか友達をつくれる自分に戻りたい。
切実な思い。
そんなとき、シドニィシェルダンの「真夜中は別の顔」を読んだ。
もう、詳しく覚えていないが、主人公の女性が復讐のために一から全て自分を作り替えていくというストーリーだった。
よし、これをやるんだ
このときから、私は周囲の人たちの中で、いつも人の中心にいて、場を明るくする人の一挙手一投足をつぶさに観察するようになった。
こう考えたのだ。
彼女、彼らの行動を完コピして身につけていけば、またいつか友達を作れるようになるかもしれない。
面白そうなツッコミやボケがあれば記憶に深く刻んだ。
そんな努力の甲斐もあって、高校一年の時、初めて、再び心を開ける友人に出会った。
でも、それは、コミュニケーション術を体得したからではない。
最初に彼女が全開で心を開いて私に接してくれたからだ。
心を開いて本音で接してくれるということがどれほど嬉しいことなのか。
強く心に刻んだ。
そして、そんな彼女との出会いにより、高校2年はさらに陽だまりのような時間になった。
なんとクラスの女子全員が仲が良かったのだ。
理系クラスだから12人しかいなかった。
小さなグループは個別にあるが、何かあればみんなで一致団結。
文化祭のダンスも12人全員で。
中間、期末テストが終わればみんなでカラオケに繰り出して、部屋の備品が壊れるまで歌い踊った。
忘れられないのが、女子12人全員で集まったクリスマスパーティー。
クラスに1人、特に仕切りたいというタイプじゃないが、人が自然と集まるラテン系の明るくてしなやかなタイプの子がいた。
誰とでも分け隔てなく接するし、カラッと空のように明るい。気遣いするわけでもないのに、生きている姿そのものが公平、そんな子がいた。
彼女が、新築でまた家人が移り住んでいない家で女子全員でクリスマスパーティーをしようと言ってくれたのだ。
みんなで食べ物を持ち寄って朝10時に開始。日が暮れるまで女子12人で食べに食べ、しゃべりにしゃべり、笑い転げた今でも忘れられない記憶だ。
陽だまりみたいな彼女たち。
その後、辛いこと、苦しいことがあるたび、あの楽しかった陽だまりのような豊かな時間の記憶が私を支えてくれた。
あぁ、あんな風にクラスの中心になる人が分け隔てなく、公平だと、クラスにイジメなんて起きないし、みんなそれぞれ全然違うもの同士が互いを認め合い、あんなにハッピーに過ごせるのだな。
強く心に刻んだ。
あれから28年。
あの時陽だまりの彼女達が教えてくれたことが今の私を形作っている。
本音で人と接すること。
公平でいること。
場づくりをしたいということ。
全部簡単じゃない。
できているわけでもない。
高すぎる理想と低すぎる現実にがっかりすることもある。
でも、暗黒すぎた学生生活にほっと一息つける陽だまりのような時間をつくってくれた彼女たちへの恩送りは
私がそんな場づくりをする
その一言に尽きるのかな。
コロナを機に久しぶりにLINEグループで繋がった彼女たちとやりとりするとき、心の底から込み上げてくる。
あの時はほんとにありがとね。
あの時間は本当に幸せで救われた陽だまりのような時間でした。
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