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辛いと思っていた推敲を始めて気づいたこと〜全体を俯瞰してニュートラルに見ると見えてくるものがある〜

おはようございます😃


先週、やっとがっつり四つになって推敲しまくる覚悟がつきました。


何度も何度も読み返して、うーん、ここは違うなとか、ここは合ってるとか、いろいろ推敲していると、改めて気づかされることが多いです。


私はこれまで、特に過去の私をよく知る人に原稿を読んで客観的な指摘をいただいてきました。


人の死について書くし、独りよがりの自己満足で終わらせたくない気持ちがすごく強くて、でも、その時点ではまだ自分一人の視点から出られていませんでした。


またもや娘ネタになりますが、先週習い事に向かう道すがら、娘が買ってあげたプラスチックのヘアーバンドを嬉しそうにつけながらこう聞いてきました。


お母さん、このヘアーバンド何色?


紫と白と薄紫の玉を順番につないだヘアーバンドでした。


私「うん、紫と白と薄紫」


娘「反対から見たら?」


私「薄紫と白と紫」


その時、はっと気づきました。


そうか、右から見ると紫と白と薄紫だけど、左から見ると薄紫と白も紫。それは、視点を変えると真逆に見えるけど、どちらも本当。


そして違う会話の合間に娘がダメ押しでこう言いました。


「もう!メモしないと忘れるでしょ?メモして。すぐ忘れちゃうんだから」


すぐにTwitterをメモ代わりにメモしました。


そして、昨日。


noteで知り合ったまあささんのインターネットラジオ番組「演劇教育ダイアローグ」#10を聴いているとき、つながりました。


「そうか!推敲するというのは、これまで私一人から見た視点で書いてきたことから一旦離れて、第三者視点で全体を俯瞰して見て、ニュートラルな視点で全体を再検証することだったんだ」


もともと書こうと決めたのは向き合えなかった22年前の出来事に向き合うためでした。


私視点で振り返って、昔から私を知る方々などにフィードバックをいただく中で、これまでどうしても分からなかったことが大体解けてきたように思います。


でも、私の気持ちはさておき、あの時の幼馴染の本当の気持ちはどうだったんだろう。


それが分からないのに、世に出してしまって良いのかな?


それが迷う最大のポイントでした。


もうすでに亡くなっているから、想像することしかできません。


でも、全体をもう一度俯瞰して、よくよく見つめて、そして、ニュートラルな視点で見えてくるものを最後まで探していきたい。


そんな風に思いました。


辛いと思っていた推敲を始めて気づいたこと、全体を俯瞰してニュートラルに見ると見えてくるものがある


でした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨






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