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Nちゃんのこと

今週はなんとなく元気がない。


3年前に膵臓癌で亡くなった同期のNちゃんの命日が近づいているからだ。


Nちゃんとは2000年。新卒で入社した会社の同期として知り合った。


お互い、育った家庭環境は違うんだけど、どこか共通点があったんだろう。


自己肯定感低めなところも理解しあえるしで、なんとなく最初から馬が合った。


配属先も同じオフィスだったから、終業時間が近づくと、どちらからともなく誘いあって、下手をしたら毎日のように飲みに行ったり映画を観に行ったりして過ごした。


Nちゃんと一緒にいると、いつも少しだけ変わったことが起きた。


少しだけ奮発して、お互い初任給でふぐ料理を出すチェーン店でご飯を食べていると、テレビ東京の取材にあい、テレビに映る。


リニューアルオープンしたとあるファーストフードの店の前を通りかかったら、リニューアルオープンを手がけたプロデューサーにつかまって、長々とプロデュースに至る背景を語ってもらい、試食チケットをもらうなど。


お互いに偶然のハプニングというか、日常の中の非日常を好むとか、そういうところも共通点があったのかもしれない。


付き合い始めたのも同じ時期だった。


恋愛相談をしたり、結婚するのはいつ頃が良いか、占い師さんに一緒にみてもらいにいったこともある。


結婚した時期も同じタイミングだった。


でも、結婚して専業主婦になる彼女。


かたや結婚して世帯主になる私。


いいなぁ。


私の方にどこか自分の置かれた状況に対する寂しさとか、Nちゃんに対する嫉みもあったんだと思う。


心がささくれて、素直にお祝いできず、Nちゃんとは少しだけギクシャクした。


結婚して半年後。


Nちゃんの旦那さんが亡くなった。


急死だった。


何かできることはない?


メールしたら


いっぱいいっぱいなの。今はそっとしておいて。


返事がかえってきた。


交流が再開したのは、Nちゃんが再就職してから。


自力で仕事を探してきて、籍を抜いて、一から出直しだ、と言って働き始めて、少し落ち着いた頃、自然と同期で連絡を取り合うようになった。


同期はよく集まるのは7から8人。


夏と冬には必ず集まり、お互いの近況報告や馬鹿話をする。年々、仲が良くなっていた。


それはNちゃんがいつも同期に会いたいと言ってくれたのも大きかったと思う。


同じく、みんなで集まろうよ、といつも声をかけてくれるK君のせいにして、しょうがないなぁとぶつぶつ言いながら、内心喜んで年に2回、必ず集まるようにしていた。


Nちゃんは再就職した会社でいつも忙しそうだった。


でも、毎回、同期会を誰よりも楽しみにしていてくれて、必ず参加してくれた。


一次会が終わった頃から参加して、二次会から本格参加、みたいなこともしばしばあった。


激務や人間関係に疲れて、


「ねーねー、ちょっと聞いてよ〜」


というのがNちゃんの口癖だった。


ちょっと愚痴は多かったかな〜。ごめん、許してね。


想像だけど、Nちゃんは自己肯定感低めのところがあって、いやって断れなくて、必要以上に仕事を押し付けられて、それでいっぱいいっぱいになることが多かったのかな。


でも、そんな激務の中、勉強して、大学時代から夢だった医療関係の職場に転職した。


本当につきたかったのは別の仕事なんだけど、夢の医療関係の職場に入れたんだよね。


嬉しそうに笑った。


ここでも激務の連続だった。


時々、ラインで弱音をこぼしていた。


そして、しめくくりには、同期のみんなに会いたい。同期会、楽しみにしているから、とも。


最後にNちゃんが同期会に参加したのは2017年12月。


この日もNちゃんは残業で遅くなった。


少し痩せた?


元々綺麗な子だった。


少し痩せて、元々大きな目がより大きくなった気がした。


そうなの、自然なダイエットだね


そんな感じで、その日も


「ねーねー、ちょっと聞いてよー」


みんなで楽しくわいわい飲んで、解散した。


翌年、女性同期で休日ランチでもどうかな、とグループラインでやりとりしているとき、Nちゃんの返信にふとした違和感を感じた。


なんとなく感じるサイン。兆候。


グループではなく、Nちゃん個人にラインした。



会いたいんだよね。いつ会えるかな。



胸騒ぎがした。


立ち寄るところがあるから、帰りに寄るね。


平日に無理やり有給をとり、午後Nちゃんの職場を訪れた。


7月のことだ。


職場を抜け出してきて、職場内にあるタリーズでお茶を飲んだ。


しばらくお互いの近況報告したりして雑談して、


どうかした?


聞いた私に


今年の1月にね、旅行から帰ってきて、黄疸が出て、精密検査を受けろってことになってね、検査を受けたら、膵臓癌でもうできることはないって


Nちゃんは答えた。


言葉が出なかった。


その言葉が何を意味するかは、2月に同僚が膵臓癌で逝ったばかりだったから、聞かなくてもすぐに分かった。


まだ働いているというのが信じられなかった。


Nちゃんは、ことの経緯や今置かれている状況を話して、少し泣いた。


病気のこと知ってから初めて泣いたよ


そして、このことは誰にも言わないでね。とも。


そして、具合があまり良くないから職場に戻るね、と。この日は40分ほどで別れた。


私は何も言葉を見つけられずに、うんうん、とただ聴くことしかできなかったし、それで良いのだと思った。


帰宅して、たまらなくなって、徹夜で映画を観た。



湯を沸かすほどの熱い愛



宮沢りえさん演じる主人公が末期癌で余命3ヶ月と告げられ、義理の娘のために残された時間をつかってやるべきことをやっていく映画。


自分が死んでいくというのに、みんなのためのことばかりやる主人公に、失踪していた夫や義理の娘が主人公のために主人公の望みであるピラミッドを観たかったという夢を叶えて、病院の外で人間ピラミッドをつくる。


それを観た主人公が


生きたいよぅ


絞り出すように泣く。


これから、Nちゃんがたどっていくだろう経過と、多分Nちゃんが本当は言いたかった言葉に思えて、一晩中、息ができなくなるくらい号泣した。


その後の経過は思わしくなかった。


入退院を繰り返していた。


薬の副作用から手が痺れてラインもうてない。しばらく会えない。


同期も他の同僚も誰も知らない。


このまま時間が過ぎていって良いのだろうか。


一体どうなっちゃうんだろう。


そんな9月中旬、夜、突然ラインがきた。


きよちゃんに会いたいよぉ。明日来れるかな?


うんうん。行くから。


夫に娘を預けて翌日病院に行った。


ナースステーションから一番近い個室。


2月に同僚が亡くなる前日、元同じ職場の仲間とお見舞いに行った際、元上司がつぶやいた言葉が蘇った。


病室に入ったとき、言葉を失った。


すっかり痩せて、立っているのもやっと。


でも笑顔は、相変わらずNちゃんだった。


「昨日ね、テレビでたまたまアド街つけていたら、きよちゃんとふぐを食べたときに、テレビ取材受けたことを思い出してね、無性に会いたくなっちゃって。ごめんね、いつもわがままいって」


「あのときは、本当に楽しかったよね。一緒にいると、いつもちょっとだけ不思議なことがおきたよね」


「同期のみんなやYの同期(亡くなった旦那さんは5期上の先輩だった)には黙っていて、とお願いしていたけど、もう言ってもらって良いから」


「昨日、いろんなこと、思い出していたんだけど、みんなには、本当に感謝しかないんだよね。今まで本当にありがとう」


「きよちゃん、寄り添って、受け止めてくれて、本当にありがとう」


綺麗な瞳から涙がぽろぽろとこぼれた。


それからひとしきり話をして、


「バイバイ、またきてね」


染み入るような、笑顔だった。


帰宅したら、夫と娘が夕飯を食べていた。


Nちゃんのお見舞い、行ってきたんだ。


今日は(娘の)面倒みてくれて、ありがとう。


そう言って、夫に背を向けて、流しの蛇口から思い切り水を出して、水音で泣き声がバレないようにして、号泣した。


その晩、一晩中考えてみんなにメールを打った。


Nちゃんが末期の癌であること。


伏せていてと言われていたけど、もう伝えてもらって構わないといっていること。


病状が思わしくないので、大勢で、ぞろぞろお見舞いは難しいこと。


だから、インターネット寄せ書きにメッセージと写真を寄せて欲しいこと。


みんなあまりに突然のことにショックを受けていたが、すぐ寄せ書きにメッセージを書いてくれた。


Nちゃんにすぐにインターネット寄せ書きを知らせた。


嬉しい!嬉しすぎて病気が治っちゃったらごめんね


そんな冗談がかえってきた。


いつも同期会の言い出しっぺをしてくれていたKくんと、たまたま出張でこちらにきていた別の同期、そして旦那さんの同期のMさんが土曜日にすぐにお見舞いに行くといくことになった。


「土曜日にK君たちがお見舞いにきたとき、Nは嬉しくて最後泣いちゃったのよ」


後からNちゃんのお母さんからそう聞かされた。



Nちゃんが亡くなったのは、その翌日だった。




ずっと当たり前のように一緒に年をとっていけるものだと思っていた。




愚痴を言い合ったり、お茶したり、時に飲んでハメを外したり、いつも馬鹿話して、時に泣いて、時に笑って、こうやってみんなで、おじいちゃん、おばあちゃんになっていけるんだと思い込んでいた。


なかなおりの時間。


死ぬ直前に、ちょっと元気を取り戻したように見える時期のことを言います。


人は死期が近づくと、ほのうがきえる最後の蝋燭の一瞬のかがやきのように、元気になり、伝えたい人に伝えたい言葉を伝えるという。


少し愚痴や弱音が多めだったNちゃん。


最後に聞いた言葉は、伝えきれないほどのみんなへの感謝の言葉だった。


最後に会った時のNちゃんの透き通った瞳を今でも思い出す。


結婚して半年で旦那さんを突然喪った。


その後も想像できないほどのたくさんの苦労があった。


いろんなことに悩んで疲れ果てて、絶望していた時もある。


同期会、楽しみにしてるね。みんなと会いたい。


いつも素直に甘えてくれた。


Nちゃん、たくさん甘えてくれて、ありがとう。


私はさ、人に甘えたりするのが苦手な方だったから、Nちゃんがこうやって、同期を大好きとか会いたいって素直に甘えて、素直に大事だって言ってくれて、すごく嬉しかった。


Nちゃんの異変にすぐ気づけたのも、ずっと自責の念を抱えて生きてきたからこそだって、自責の念もそう悪くないなって思った。


Nちゃんとはバイオリズムが似ていたから、私もNちゃんが亡くなったあと、一年生きられないんじゃないかなって。


それで、noteを始めたんだよ。


書いていけば、少なくともNちゃんも私も生きていた、というあかしを残せるかなって。



noteを書き続けているかぎりはNちゃんのこと、忘れないでいられるしね。 


Nちゃんのいいことばかりを書いたわけじゃないけど、Nちゃんはきっと


「えー、私、こんな感じ〜?」


キャハハ〜って笑って許してくれるかな。


「ねーねー、ちょっと聞いてよー」


もう一度Nちゃんの声を聞きたいな。


来週、会いに行くね。


待っていてね。


















































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