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アニメ『響け!ユーフォニアム3』(2024)感想


アニメ『ユーフォ』シリーズの過去作を観返したので、ようやく完結編である3期を見ることができました!

放送時より少しばかり遅れてしまったけれど、1話ごとにネットで話題騒然/喧々諤々の他人の感想を見て一緒に盛り上がるよりも、こうして異なるタイミングで一気に自分ひとりで楽しむことができて良かったな、と後悔はしていません。少なくとも『ユーフォ』はじぶんにとってそういう作品でした。







2024/7/29~7/31(3日間)

7/29(月)

1話

たのむッ・・・・・! 響け!ユーフォニアムお願いだから終わらないでくれッッ・・・・・・・!!!!!!
という気持ちで観ている。
マジでこれから、どうなっちゃうんだ~~~~~!?!?!? ワクワクが止まらない。


2話

!?!?!?!? 転校生!?!?!? マジかぁ~~~~!!! 久美子よりユーフォが上手い新入部員の黒江真由さん、1年生じゃなくて3年生……同級生かよ!!!!! だいぶ話かわってくるぞ・・・・・・
いや、たしかに現実の高校でも転校生・転入部員は存在するけれど、3年生になって入ってくるのはかなりのレアケース………
『ユーフォ』において〈学校〉や〈部活〉という現象がいかに創造され表現されているかに注目するに当たって、3期の最重要新キャラが1年生ではなく強豪校から転校してきた3年生だというのは、かなーり解釈に困る………… 言ってしまえば、かなりフィクショナルなほうに振り切ってきたな、と、(ワクワクすると同時に)やや残念に思いもする。
てか戸松遥さんか! さいきんあんま聴いてなかったので名前が出てこなかった…………不覚…………

久美子・秀一・麗奈の「幹部」3人の関係がこの3期ではかなり焦点化しそうで、ものすごく楽しみ。ヘテロ百合三角関係!! 『誓いのフィナーレ』でもこの3人の描写が完璧だったから。部長・副部長・ドラムメジャー。人生の三角関係になりそうな予感。自分にとっての。

釜屋つばめ・すずめ姉妹は…… 「お姉ちゃんのためを思って」暴走する妹。まずは最初の章ボスといったところか。クラリネットの吉井さん(?)が中ボスで、黒江さんがラスボスかな。

OPもEDも良かった。オープニング曲はなるほどこういう系で来たか~~って感じですね。1・2期よりも無難というか王道系の名曲調。


3話

つ、つかれる・・・・・・・ 『リズと青い鳥』とは違った意味で、ひじょうに消耗する。『リズ』は演出過多で、こちらはストーリーのしんどさで。
吉井さんじゃなくて義井さんだった。1話ごとのペースで癖のある後輩たちをサクサク討伐/篭絡していく黄前部長……
部長の立場まじでしんどいな~~~  久美子の振る舞いは、そのまま組織マネジメントの教本に載せられそうなくらい的確で「正しく」て、かえって、アニメでそこまでの正しさを追求しなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。そういうしんどさがある。『「ユーフォ」に学ぶ上司の心得』とかいったビジネス新書ありそうだもんな…………あ~~イヤだイヤだ! 「大人」になどなりとうない!! なりたくなかった!!! 高校生は、子どもは、もっとのんびり気楽に青春を送ってもいいんだよ………と、これまた有害でしかない年長者ムーブをしたくなってじぶんが嫌だ。でも、こういう部活にすべてを賭ける青春もたしかにあって、部活スポ根モノは要するに、そういう青春のきらめきをフィクションのなかで最大限描き出そうとするところに美徳があるのだし、わたしもそれが好きだ。だから『ユーフォ』シリーズを8年くらい前に観たときからずっと大好きなんだ。

部長として、ひとりでも脱落者を出したくない、みんなで北宇治吹奏楽部なんだから、という久美子の気持ちもよくわかるが、「たかが部活」という黒江さんの立場も理解でき、難しい………… あんだけ厳しければふつうに退部する初心者が出ておかしくないのに、意外とすぐ乗り切れてて、(尺の都合もあるだろうけど)まぁ結構ご都合が良い展開だなあとは思う。深刻な展開に波風立てるだけ立てておいて、解決するときは拍子抜けするほどあっさりと。現実もそういうところはあるか……? 

久美子の進路もまた3期の重要なストーリーライン、主題になっており、ようするに「青春」と「人生」を相似形で重ね合わせて表現しようとしている。滝先生の「自分はまだ子どもの延長上だという気がする」という台詞はそういうことだろう。
高校生活≒青春期だって「人生」の一部であり、学校とはひとつの社会なのだから、学生は学校生活のなかで立派な大人/社会人になるためのアレコレを学んで「人間的に成長」しましょう、という教育的な価値観が、どうしても久美子部長の苦悩と成長と活躍の描写からは伺える。たしかに久美子のキャラクターとしての「成長」に感動はするよ!? するけど…… 「キャラクター」がそれでいいの? それはもう「人間」なんじゃないの? じゃあそれをフィクションで、アニメでわざわざ描く意味はあるの? とも思ってしまうな、今のじぶんは。(てらまっとさん達に大分影響を受けていて我ながら呆れる!)

てか黒江真由さんのCV、戸松さんだと思って注意深く聴けば確かにそうだとわかるけど、だいぶ声質を変えて演技してるから気付けなくても仕方ないと思った。歴戦のスフィアオタクとかでない限り…………
1期も第4話でサンフェス回だったっけ。1期と1クール上の進行を出来る限り重ねようとしている……?



7/30(火)

4話

今度の懸案事項は求くんか。父との確執。
立花高校の佐々木梓部長じゃないか……! こっちも気になるな~
あ、父じゃなくてお祖父ちゃんなのか。源ちゃん先生
お姉さんのお墓だったのか~ だから求くんは代償行為としてみどり先輩に依存して……
源ちゃん先生、お姉さんのことがあったのに何も反省しないで、また孫を自分の指導する学校の吹部に入れようとしてるのかよ。
家族の死というひじょ~に手垢の付いた設定でドラマを駆動しているが、ベタに泣けはする。
みどりちゃんも3年生になったんだなぁ……まぁ彼女は1年の最初から謎の風格があり、肝が座っていたけど。
「みどり先輩は姉さんに似てる」って言っちゃった! 豪が深い! 「姉」の代わりであることを隠すための「師匠」呼びだったのか。
うわぁ~~~コントラバス二重奏の特殊エンディング…… こんなん緑輝と求のヘテロカプ人気が爆増しちゃうよ~~
最後、求くんの話をきいて久美子が久しぶりに姉ちゃんにラインするの良いねぇ。2期を踏まえての。
宇治駅前のタクシー乗り場で久美子と求が話すシーンで、2話ラストでも見たような、光源が移動して人物の光と影が鮮やかに動いていく演出があった。2話の光源は太陽(雨上がり)で今回はタクシー。凄い良いシーンですよ~~感がちょっと露骨ではある。
マジで1話ごとに部員1人のペースで久美子部長が「解決」していくなぁ。そのなかでも黒江真由さんのラスボス感なんかが垣間見えたり見えなかったり。久美子とオーディションでぶち当たり、そして……なのだろう。


5話

毎回オーディションかぁ~~~ きっつ・・・・・ 3期1クールはほぼオーディション地獄になるってことでしょ??
てか吹部ってどこも基本的にオーディション形式なのかな。運動部でいうところのスタメン争い(ベンチ争い)だから、顧問監督の意向で全部決まるところも多そう。でも、こういうフィクションで話を盛り上げるならオーディションしかないよな~
黒江真由さんが(あがた祭りの誘いを久美子に)フラれた………… ようは部外者というか異邦人だから、黒江さん側がめっちゃ遠慮しまくっている。それでも久美子とふたりであがた祭りに行きたかったのに………… こういうところで不憫さを出して感情移入させてくるのが上手いな~~~いずれラスボスになるのは分かり切っているのに……
自由曲「一年の詩」は〈父〉との一年を振り返った春夏秋冬の四章構成の曲なのか。〈父〉って何? 滝先生? その父権性をくみれいの百合の力で打ち破っていくかんじ?
いやぁ~~~ 求→緑輝(もとみど)のヘテロの波動がすごいよ~~~~ そんなヘテロの波動を「普通」の側に置いて、久美子と麗奈は1年のときから相変わらずの同性関係(百合)を「特別」だとして演出する。こういうのはホント苦手・・・・・ 作品の「正史」としては、大学以降も久美子と麗奈の「特別」な関係は生涯続くのだろうけど、ごく個人的にはとっとと疎遠になってほしいとも思ってしまう。(でも、もし久美子と秀一が異性婚するのなら初夜に麗奈が乱入してほしい)
黒江真由さんと久美子がソリを吹いてたことに嫉妬する麗奈はおもろい。秀一も含めて四角関係をやってほしい。
黒江さんはフィルムカメラ趣味。なるほど北宇治の「撮影者」として上手いポジション取りの戦略だ。しかしそんな彼女も否応なく競技者に巻きこまれていくオーディション編が、始まる────


6話

く、くるしぃ~~~きちぃ~~~~つかれる~~~~~観てるだけなのにこれなら、久美子はどれだけキツイんだよこれ……
でも、ひとまずは、葉月さんの初コンクールメンバー入りを心から喜ぼう…………ほんと良かった…………
滝先生への信頼・神格化がこのあとどんどん揺らぐ展開が来ると予告されたので、そこはワックワクしている。スキャンダル発覚しろ!!!
にしても、さっちゃんを落としてすずめさんを合格させる脚本はほんと性格悪いぜ…………
久美子が全国でソリを黒江さんに奪われるフラグが積み重なり過ぎて、逆にブラフだったりする??
久美子が黒江さんに、「響け!ユーフォニアム」のことやあすか先輩のこと、ひっくるめてこれまでの北宇治での自分のことをあまり知られたくないと内心では思っている、というのはなかなか注目すべきだろう。部長としてフラットに、「実力主義」を謳って黒江さんにもウェルカムでやってはいるものの、本質的には、これまで自分たちが積み上げてきた頑張りや歴史を重要視しており、それが異邦人たる黒江さんに対しては排他性として発揮されている、ということだから。〈部活〉や〈学校〉という共同体の、原理的な排他性────これは言うまでもなく、ナショナリズムの問題などと同型だろう。「私たち」北宇治は「みんな」一丸となって全国金賞を目指す。──で、その「私たち」の範囲って何? 「みんな」って誰? 一人称複数を主語にすることで同胞を画定して仲間意識を称揚することは必ず同時に、そこから排除される者たちを生み出す。「転校生」をどう扱うか、って要するに移民問題と同じだよなぁ~~~。なぜ黒江さんが3年になって転校してきたのかも掘り下げられるのかな。


7話

なかよし川勘弁してくれよ~~~はいはい付き合って同棲してるんすよねオタク大満足大満足ーーーー
部活の話だけでもしんどいのに、進路の話まで…………マジしんどいです……精神に来ます…………何年前の話だよって感じだけど……… にしても、久美子が高校教師になる道がどんどん舗装されていくさまは、なんだかとってもグロテスクだ。
黒江真由さん、中3のときの久美子では……なくないか? 「自分がない」とかそういうことじゃないだろこの人。
今の久美子が逆に聖来女子に転校したら黒江さんのように立ち振る舞うのかなぁとも少し思ったけど、もっと根深いものを抱えていそう。自分が映る写真はぜったいに残さない。こわいよ~~~  既視感は羽川翼なんだけどね。『猫物語(白)』……
釜屋つばめさんがスク水っぽいの着てたのには流石に吹いてしまった


8話

いやぁ…………周到に予告し過ぎてなんにもサプライズでもなんでもないし、蜘蛛の巣に捕まった無様な蝶を映す演出は1期の久美子が「ここは田中さんだけで吹いて下さい」と言われたときにも見たけど、どう考えても演出過剰でしょ。
というわけで、予定調和な関西大会ソリの結果はいいとして、これで全国大会ソリがどちらになるのかは分からなくなった……?
てか、川島緑輝さん………………1期2期の頃はこんなに良いキャラになるとは思ってなかった。とても好き。
久美子は部長として色んな人から「秘密」を打ち明けられて知り続ける立場にあったけれど、そんな久美子でも、大切な友達の「秘密」は打ち明けられない、というのがまた、とてつもない信頼関係が見えて感動した。ただ正直にいうと、実際どんなことを求くんは話したのかあんまり想像がつかない。お姉さんの死はもともとみどりも知ってたんだよね。でも求がみどりに姉を重ねて慕っていた、というのは知らないはずだから………… え、マジ? それを正直に言ったあとで告ったってこと? それはヤバすぎるでしょ。求くんがそこまでヤバい人間だとは思いたくないな………… 告白してない可能性も一応考えてはみてるけど、求くんの気落ちした後ろ姿はどう考えても……だし、そうじゃなかったら「大切な話」として、これまでみどり先輩に死んだ姉を重ねてましたとだけ打ち明けたってことになると、ますます気持ち悪い。。

3期はじまってずっと思っていたが、「幹部ノート」の存在……めっちゃ好きだ!! あれがあるお蔭で3期が自分にとってものすごく大切な作品になる予感がしている。あの3人の関係が好きだというのがまずあり、そして「書かれたもの」として3人のやり取りが映し出され、それが演出として読み上げられてアニメになっていることがすごく良い。うまく説明できないけど。
アニメ『響け!ユーフォニアム』シリーズは、三人称叙述の原作小説とは違って、久美子のモノローグが時折差し挟まれる一人称的な語りの構造を採っている。そのうえで、この3期では「幹部ノート」として文字に記された「語り」を作中に導入してきたことが、とても大きな変化ではないかと思う。(でも今気付いたけど、楽譜に書かれた「全国出場!」等の手描き文字をコンクール本番中などここぞというときに映してドラマ性を爆増しする演出は1期からずっとやってきたな……… それと幹部ノートは違うといえば違うが、同じといえば同じだ)


9話

しんどい~~~久美子がどんどん追い詰められていくぅ~~~周りの「やさしい」人たちによって………… 
幹部3人のなかでも、滝先生のオーディション選考基準をめぐって麗奈と秀一で両極端に立場が分裂し、久美子は当事者なのに双方に気を遣って「中立」でいざるを得なくなる…………
滝先生の判断どうこう以前の問題として、「みんなで全国金」という目標そのもの、部活そのものの不条理さがある。そういえば黒江さんって、今年のその目標を決めるあの多数決挙手の場にいなかったよね!? それなのに、部員である限りは、その目標を自明のものとして内面化して従ってもらう……という、久美子部長の体現する全体主義。滝先生へのボイコットやクーデター(?)などの反乱が起こって革命したらおもしろそうとはいえ、それでも自明視されている「全国金賞」という目標に向かって一丸となって全力を尽くさなければいけないことそのものを疑問に付してひっくり返すことは、いまの北宇治には絶対に不可能だろう……… 
てか、3期始まって薄々気づいてはいたけど、やっぱり久石奏さんはそんなに好きなキャラじゃないな、と思う。『誓いのフィナーレ』はめちゃくちゃ好きだけど、奏はいちキャラクターとしてそんなに…… 「良いキャラしてる」とは思えど、それがかえって薄っぺらくも感じる。この3期では黄前久美子vs黒江真由という構図がもっとも大きくあるわけで、その3年同士の関係にとって絶妙に邪魔にならず、うまくそれを飾る2年生キャラとして実に都合の良い造形だなぁと思う。便利。
滝先生信者の麗奈の造形は、こういう展開になるといっそう、その狂信者っぷり、危うさが鮮明になって見事だな~と感じた。久美子に対して並々ならぬ執着を抱いている側面と、滝先生に対してものすごく惚れている側面、この同性愛と異性愛の両立について「二面性」だと思っていたけれど違った。別々の側面じゃなくて、麗奈のなかでは一貫しているんだ。特定の相手に異常で不健全なほど執着してしまう性質が。

んん~~~~・・・・・・・ 久美子よくぞ言った!と思うけれどしかし、こうした麗奈との「決別」もまたひどく予定調和でつまらないなぁとも思う。こんなのくみれいの関係にとってむしろアドだろ。やるならもっと徹底的にやってほしい。
ただ、1期から当たり前に染みついて従ってきた「滝先生」という不合理の象徴に、ようやく子どもたちが立ち上がって反旗を翻してくれたなぁと、それをひとまずは良かったと思う。


10話

ぬわ~~~~~ こんなん・・・・・・感動するに決まってるだろ~~~~・・・・・ 神回!!!!!
でも、というかだからこそ当然なんだけど、久美子の「名演説」は、本当にヒトラーのそれと同じなんだよな。はじめロートーンで次第に上がっていって群衆を高揚と陶酔の渦に巻きこんでいく構成と調子が。
この回をみて多くのひとが──決して「すべてのひと」ではない「多くのひと」が──わたし同様「感動」することは、そのまんま、ナチズムという人類史上に残る非業の歴史の必然性を証明してしまっている。人間は、生理的・動物的に、こういうものに弱い生き物なんだよ。すっかり大学生になったあすか先輩が「言っとくけど、あの時の黄前ちゃんの言ったこと、ひとつも納得してないよ?それでも」と言ったように、その意味内容の正当性ではなく、その音になって響いた言葉の響きに、人は否応なく情動を揺さぶられてしまう生き物なんだ。部活ファシズムの真髄を見た。まぎれもなく神回であった。

「思ったことを知らないうちに声に出しちゃう」さまにいち早く応答した葉月さん、マジで久美子にとって大切な親友だな……となった。『ガルパン』の西住みほにとっての武部沙織みたいなもん。大事にしろよ~~~~麗奈とかいう奴との交友はほどほどにして…………
あの演説を聴いての部員の「拍手」が、その体勢上、手ではなく足踏みによってなされるものも混じっている、というのがすげぇなぁと思った。これぞ吹奏楽部アニメ。

あすか先輩、香織先輩と同棲してるんか~~~~ 香織先輩は京大ではないだろうから、あのへんの私大かな。
晴香(元)部長、とことん不憫だ………… あがた祭りには香織とふたりで来てたけど。マジでこの3人組いいなぁと更に好きになった。
八方塞がり、絶体絶命の危機……!というときに、もう卒業した尊敬すべき大先輩のもとを訪ねる展開はすげぇベタだし、田中あすかというキャラは、現役時でさえ強キャラだったのに、もうこのポジションに収まってしまうとチート級の最強としか言いようのない格の違いを見せつけてきて、ズルいな~~~と思った。香織先輩が一緒にいてくれなかったらもっと大変なことになっていたので本当に同棲してくれてて良かった。2年前の再オーディションの件で刺されるだけの役割じゃなかった!!
あすか先輩が「滝先生」ではなく「滝さん」というのが脚本めっちゃ上手い。そういうことだよなぁ。ひとたび部活/学校を卒業してしまえば、絶対的な存在だったあの人ももう対等な大人でしかない。相対化してしまえる。でも今まさに青春の渦中にいる久美子たちにとってはそうはいかない。だからこんなにもがき苦しんで頑張っている。
黄前久美子さんはずっと頑張りすぎていて、心配になるのを通り越して、こっちが疲れるし引け目を感じるからやめてくれ……と無責任にも思っちゃう。
けっきょく1話でくみれいの仲は元通りになったし、滝先生への不信感のなかでも黒江さんをソリに選んだことは果たしてそんなに重要なことか?それはおはなしの都合でしかないんじゃ?という脚本への不信感もかなりあるけれど、上述の通り、久美子総統の名スピーチですべて吹き飛んだ。


いい加減ナチスとか持ち出すのを控えたいので、そうではない語彙であの名シーンへの違和感を語ってみる。久美子の怒涛の「思ってることを正直にぜんぶ言う」演説を聞いてて連想したのは、『心が叫びたがってるんだ。』の廃ラブホの一室で成瀬順が坂上拓実に向かって「思ってることを正直にぜんぶ言う」シーンだった。

両者のやってることは似通っているんだけれど、『ここさけ』で成瀬順が言ってることは、目の前にいる男子の脇が臭いだとか気取っててウザいとか大好きとか、そういうほんとうにごく私的で下らないことだった。そういうものを、あのように「正直にぜんぶ言」わせてそれを見せ場として演出するのが岡田麿里のスタンスだ。それに対してこの『ユーフォ』では、久美子の吐いた言葉はとても感動的で「正しい」、どこに出しても恥ずかしくないものだった。あれをあのまま大手制作会社がアニメ化して全国放送しても恥ずかしくないくらいには。それが『ユーフォ』のスタンス。

いうてわたしは『ここさけ』のそのシーンにも文句がい〜〜〜っぱいあるんだけど(それは以前書いたので置いておくと)、こうして比べるとやっぱりわたしは、「思ってることを正直にぜんぶ言う」と遂に自覚的に決心して吐き出したのが、あのように実に「正しい」、きわめて公共的なものであったことは、久美子の頑張りに、その必死な響きに感動すると同時に、なんだよ、もっとヤバい、人には大々的に聞かせられないような私的なことを期待してたのにガッカリだよ、とも思うのだ。それではせっかくの「思ってることを正直にぜんぶ言う」機会がもったいない。

でも、それは『ユーフォ』が『ここさけ』とは全然違うところであっても、劣っているところでは決してない。『ユーフォ』はあくまであのように、久美子が「わたしは」と正直に吐き出した言葉の熱量が、ぜんぶそのまま部員たちに届いて響いて「わたしたち」という大きな主語へと広がっていくことの暴力的な現象を克明に描き出そうとしているのだから。個の熱が集団の熱へ。「合奏」を主題にした時点で、このイデオロギーに与しないことはほぼ不可能である。

ただ、『ここさけ』はそれとは本当に正反対だとつくづく思うのだ。個の発した言葉が、目の前の別の個にはまったく響かないこと、思ったようには受け取られないこと、そうした人間のあいだのどうしようもないディスコミュニケーションを前提とした、各自がバラバラに言いたいことを言い合って好き勝手に動いて生きてゆくさまを見事に描いているところが、わたしが岡田麿里作品を好きな点だ。「わたしたち」は、「わたしたち」などとひとくくりにされることがナンセンスなほどにバラバラな個であって、それぞれの思惑は異なるし、利害が一致することは、奇跡的な偶然ではあっても、物語の大前提であることなど間違ってもあり得ない。

ひとつの「目標」を共有することができるという〈共同幻想〉そのものが『ユーフォ』というアニメの提示する「青春」像であり、それは多様な青春像のひとつに過ぎない。



7/31(水)

11話

いやぁ~~ 黒江真由とのソリ争いのストーリーラインと、久美子の進路(大人になること)のストーリーラインとを見事に上品に重ね合わせて物語る脚本がうますぎるよ。。
久美子がおめかしをしてみぞれ先輩の演奏会を聴きにいく姿をみて胸が苦しくなってしまった。大人にならないで・・・・・・(←くそキモおじさんコメント)

最終的に高校教師になるのだろうけれど、偏見でよく言われるように、それは大人になってもこの青春の日々を手放さないために〈学校〉から出ないことにした、というある種の退行的な決断なのだろうか。それは教師という職業を馬鹿にし過ぎていて酷い話だが、こうしてフィクションとして運命的になるようになるものとして、青春部活モノの主人公が決まったように高校教師で部活の顧問のポジションに「出荷」されていくさまを見続けていると、そういう意地悪なことを思ってしまったりもする。『ちはやふる』の綾瀬千早もそうだし………… 千早の進路に文句をつけずに黄前久美子の進路にばかり疑義を呈するのはアンフェアだろうか、理に適っているだろうか。

「(賽の河原の)石じゃないよ。人だよ」という滝先生の妻の発言がひとつ、久美子の進路に大きな影響を与えるのは、作劇上は妥当なのだろうけれど、やっぱりそこはかとない気持ち悪さを覚えてしまう。あいだに男が挟まっているから。滝先生とその父親のふたりほど。亡き「妻」の遺志を女子生徒に託す男性教師ってそうとう気持ち悪いぞ。

vs黒江さんのほうは、相変わらず久石奏が後輩としてめちゃくちゃ都合のいい立ち回りをしてて笑った。便利キャラ。言ってることはぜんぶ正しいのだけど…… 奏の言葉から、黒江真由の「わがまま」を認めて人間化=他者化する久美子。

あと4つ切りのピザのメタファーは露骨すぎてイヤだった。ああいうのを見事な演出だと誉めそやすオタクとは決定的に分かり合えない…………



12話

うお~~~ そういう展開か。激アツやん
久美子えらすぎる~~~~  素性を覆い隠して「公平」に選んでもらう。音楽なら確かに可能か。移民問題としても一定の(吹部/音楽アニメならではの)回答をしたといえるか。
久美子の進路に対して美知恵先生「予想通り過ぎてつまらん!」 ほんとそれ
おとなと子ども 互いに「~~ってすごい」と思い合う存在

黒江さんは久美子の中3の頃と似ている、というけれど、それは相手に失礼では?とも思うし、そうだとすればけっきょく、vs黒江真由とは本質的に、黄前久美子が3年前の自分と戦うことになってしまう。自己対話。
シリーズの締め括りとして王道の構成ではあるけど…………それでほんとうに「ひと」を育て教える職に着けるのだろうか。学校アニメとして正しいのだろうか。目の前にいる他者を昔の自分の姿であると、鏡像のように見做して対話して競争し救済していく姿勢は。

……なるほど~~~  麗奈と出会ったか否かが、久美子と黒江真由を分けている。でも黒江真由にも「親友」がいた。
自分のせいで音楽を辞めてしまった大切な友達。くみれいの無視してきた負の側面というか、いかに麗奈と久美子の関係が特権的で恵まれているかを暴き立てるかのような。ラスト2話まできて「コンクールなんでどうでもいい。金賞なんてどうでもいい」と言ってくれる黒江さんがいてくれて本当に良かった。
単純な話、くみれいは別の楽器だからふたりでソリが吹けるし、オーディションで競合しないから、黒江さんとその親友のようなバッドエンドにはならないんだよな。

というか、黒江さんが若宮詩暢に見えてきた。幼い頃に自分の才能のせいで大切な友達を失ってしまい、以降はかるた/吹奏楽への向き合い方そのものが変わってしまった天才キャラ──ありがちではある。
綾瀬千早vs若宮詩暢  むろん、こうして別作品の別キャラに当てはめて解釈することもまた、↑で久美子を糾弾したのと同様の暴力性があるのだけれど…………



ひゃあ~~~~ おわった・・・・・・・・
こんなんさぁ・・・・・・ すごすぎるよ・・・・・・・・・・・ なんだよこのアニメ・・・・・・・・・・・・

まず、白い〈カーテン〉の仕切りがステージ上に鎮座している絵面がシンプルに物々しくて、冷静に考えると、なにやってんだこいつら、というあほらしさが漂っているのがすばらしい。本気で全力で真剣だからこそ、それ以外の人からするとしょうもなく思えるという、そのなによりも尊い余地が、『ユーフォ』にもあってくれた気がして嬉しい。

移民問題などの現実の差別・政治問題と比較すると、現実ではあのように徹底して個人のアイデンティティを覆い隠せる〈カーテン〉──ロールズのいう〈無知のヴェール〉──など存在しない。人は一人一人、歴史を背負っているのだから。でも音楽は、音楽だけは、その個人の引き受けざるを得ない歴史性をいったんなかったことにすることができる────

・・・・・・と見せかけて、最後の大吉山での麗奈の告白によって、音楽にもまた人が滲み出ること、歴史性とは無縁でないことを高らかに示す。すげぇ完璧な脚本だと思う。


黄前久美子が、もう子どもとか大人とかそういう次元ではなくて、ただひたすらにひととして立派すぎて・・・・・・・・ 引け目を覚えるとかそういうレベルにない。なんだこいつ。こんな立派さをひとりのキャラクターに与えてしまっていいの!?それによって、その立派さと健気さ、挫折と成長と涙と汗と「人間味」によってわれわれは感動させられてしまっていいの??と思ってしまう。アニメとはどこまでも残酷な装置になり得るんだなぁと思った。

麗奈によって、自分と一生音楽によって繋がっていける「特別」な存在ではないと切り捨てられた久美子。それによってこのふたりの関係ははじめてほんとうに「特別」なものになる。1期7話のあのシーンのリフレインを順当にやって。あまりにもビビッドで鮮烈な映像を創り上げて。

久美子、聖人君子というかもはや偉人だろう。完全に「久美子偉人伝」になっている。
アニメを、「いかにものすごく立派な偉人を描き出せるかコンテスト」にしてしまっていいのか!?
後輩や部員の前では涙を決して見せない久美子の「人間味」が、麗奈の前でだけはあらわになる……のだけれど、それはそれで、そんなひとりの高校生としての久美子の姿を、あんなにも百合として尊く見栄え良く描いており、もはや久美子に「プライベート」はない。彼女の青春の生のすべてが美しく切り取られて消費されるのを待っている。

むろん、見栄え良く描かれていることはフィクションなのだから当然だ。それは質の高いフィクションである証拠にはなっても、フィクションとして失格な理由には決してならない。作品の「外」──作り手と受け手──の存在までをも勘案して批判することは、つねに悪いわけではないが、一定の凡庸さとナンセンスさはつきまとう。それは分かっている。分かっているのだけれど、あまりにも凄すぎて、かえってそこまでどうしても考えてしまうのだ。
それが作られたものであることを意識して楽しむか、それとも我々とは別の世界でじっさいに起こっている生きたドラマであると信じて楽しむか。どっちだっていいし、その両者を絶えず往還していくのが実体だろう。
フィクションを読むってなんなんだろうと考えさせられる。
この意味でこの作品はまぎれもなく、アニメーションの、フィクションのひとつの最高到達点だ。



13話

おつ!!!!!!!!!!!!!
とくに言うことは……ないです!!!!!!!! みんなおめでとう!!ほんとお疲れ様でした!!!!!!!


最後に映った現役ユーフォ生徒の顔が見切れている演出は気持ち悪かった。な~にが「あの頃のわたし」だよ。




まとめ

ちょっと今は本作をまとめる体力も意欲もないので、また気が向いたら何かの感想から派生して『ユーフォ3』語りを始めると思います……初見で観終わってからがその作品との永い付き合いのはじまりですからね。











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