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映画『ソーシャル・ネットワーク』で学ぶ「社会関係資本」

この記事では,みなさんと映画をベースに社会科学の概念を学んでいきます.ぜひ,映画を見てこのノートを読み,学術的背景に目を凝らしながら楽しんでください.

今回は「バランス理論」編に続き,映画『ソーシャル・ネットワーク』を取り上げます.映画の紹介はそちらで行っていますので,ぜひご覧になってください.


2つのネットワーク:2つの「クラブ」

映画『ソーシャル・ネットワーク』では,マーク・ザッカーバーグがFacebookを拡大していく過程が描かれていますが,ここにはさまざまな形のネットワークが登場します.

物語の前半では,マークやエドゥアルド,ウィンクルボス兄弟などが登場し,ハーバード大学内での人間関係が中心に描かれています.エドゥアルドはハーバード大学内の「ファイナルクラブ」への入会試験を受けていました.これには少し説明が必要でしょう.

大学内にはさまざまなグループ・団体がありますが,日本の大学にはない特徴として「フラタニティ」が挙げられるでしょう.大学内の秘密団体で,ある種の厳しい入会試験があります.作中でも真冬のなかでクイズを出されていましたよね(本編 32分ごろ).あれです.

ハーバードでは,このフラタニティのような団体は「ファイナルクラブ」と呼ばれています.このファイナルクラブに入ることが一種のステータスであり,エリートの仲間入りなのです.

そんなファイナルクラブの入会試験第一段階に呼ばれて,ご機嫌なエドゥアルドを呼び,マークはFacebookの構想を次のように話します(本編 27分ごろ).

大学の社交(ソーシャル)を全てネットに持ち込むんだ

彼は今でいう「お友達申請」によって,「ファイナルクラブ」と同じ環境を保とうとしていたわけです.そして互いに承認したお友達間でやり取りをしたり,互いの情報を参照しあったりするわけです.それが,マークが当初構想した"The Facebook"でした.のちに,この「ファイナルクラブ」のネットワークを利用して,初期のFacebookは拡大していきました.

Facebookが拡大していくにつれて,ショーン・パーカーが資金集めに参加します.彼はナップスターを起こした経験から,(良くも悪くも)さまざまなネットワークを持っています.

ショーンはこれまで関わった(投資されたり,訴えられたりした)投資家たちに出向き,大口の資金をかき集めていきます.また,彼はクラブなどに出向き,さまざまな女性と仲良くなったりするわけです.

そう,この映画の中では前半と後半で全く対照的な人間関係の在り方が描かれています.前半では閉鎖的な「クラブ」であり,一部のエリートのみが入会を許されるネットワークです.一方,後半では比較的オープンな人間関係が描かれます.もう少し言えば,即物的に見えるような関係です.

しかし,そんなショーンのおかげで"Facebook"の事業は拡大していきます.Facebook拡大の背景には2つの種類の関係性があったわけです.

社会関係資本という概念

人は他人との関係から恩恵を得たりします.この考え方は社会学では「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」と呼ばれています.「資本」という名前からイメージする通り,社会関係資本は「何かしらの得を得られる」ものです.そして,何から得するかと言えば,「人間関係」になります.

社会関係資本は「人間関係から何かしらの得を得る」ものであることは共通しているものの,さまざまな人がさまざまな定義を与えていて,正直扱いに若干の面倒さを持っている概念です.今回では,そのうち映画に登場した2つの関係性に関連する「社会関係資本」を紹介しましょう.

ブルデューの「社会関係資本」

一つ目はフランスの社会学者であるピエール・ブルデューが提案した「社会関係資本」です.ブルデューは文化と社会階層・不平等を深く考えた社会学者の一人です.

ブルデューの本は最初に読むと少し難しいので,こちらの本のほうがとっかかりがいいでしょう.

ブルデューが考えたのは,文化と階級の関係です.どうして上流階級の家庭は代を経てもずーっと上流階級で,そうでない労働者階級もまた,ずーっと労働階級なのか? 階級社会なフランスでブルデューはこの問いに,文化的な要因を指摘します.その中の一つとして「社会関係資本」というものを挙げます.

ここでブルデューが指している「社会関係資本」とは,上流階級の人が集まるサロンのようなイメージです.そのような社交界の人間関係は閉鎖的で排他的です.単にお金を持っているだけでは参加できず,家柄やその場での「適切な」ふるまいが要求されます.

そんな社会関係資本の特徴は「経済資本に変換可能である」ということです.端的に言えば「コネで儲けられる」ということです.たとえば,良い仕事が回ってきたりするわけです.しかも,このような関係性が「世代を経ても継承される」ということがポイントです.ブルデューは,この社会関係資本が格差を維持している要因の一つであると指摘しています.

今回,映画前半に出てきた「ファイナルクラブ」やハーバード大学内の人間関係の在り方は,世代間継承は無いとはいえ,このようなブルデューの社会関係資本に近いと言えるでしょう.クラブに属することが一種のステータスであり,ここから別のチャンスへつなげられる.一部のエリートのみが許される関係の在り方かもしれません.

ナン・リンの「社会関係資本」

もう一つ,アメリカの社会学者のナン・リンの社会関係資本を紹介しましょう.

ナン・リンの社会関係資本の捉え方を端的に言えば「ネットワークとは資源へのアクセス権である」ということです.人々は様々なモノや情報,サポートを必要とします.そんな時,人はすべてを調達できるわけではありません.そういう時は人に頼るのではないでしょうか?

この時,人は自らの人脈(ネットワーク)を活かして,そのほしいモノを持っている人にアプローチするはずです.これがナン・リンの社会関係資本になります.これもある種の「コネ」の別表現と言ってもよいでしょう.

たとえば,新たな仕事に就く必要が出てきたとき,頼る人が親類だけの人と,近所の人や昔の学友,あるいは社長と知り合いの場合のほうが,有利なのは明白でしょう.なぜならネットワークが多様性を持つほど,一つがダメでもまだ別種類のルートが温存されているからです.

このようなネットワークの在り方は,ショーンが資金集めに用いたネットワークに近いものがあります.彼はかつての人脈を再度掘り起こしたりすることで「開発資金」という資源に到達することができました.その人脈はエドゥアルドのニューヨーク資金集めの旅をはるかに超えるほどでした.

人間関係というネットワーク

私たちは社会の中に生きている以上,人間関係の中にいます.そして,その人間関係に対して私たちは何かしらの意味を与えているわけです.しかし,しばしば見えにくい「隠れた意味」というのもあります.その一端を「社会関係資本」という側面から今回は見てみました.

社会関係資本は面倒な概念ですが,社会学がなかなか手放せないでいるのは,今回の映画のように,多かれ少なかれ「人間関係で得をした」という経験があるからではないでしょうか.研究上の課題もたくさんある概念ですが,魅力的な概念でもあります.

今回の話は以下のテキストの一部を参照しています.より深く学びたい場合にはぜひ読んでみてください.


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