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映画『最強のふたり』で学ぶ「統計的差別 その2」

この記事では,みなさんと映画をベースに社会科学の概念を学んでいきます.ぜひ,映画を見てこのノートを読み,学術的背景に目を凝らしながら楽しんでください.


映画『最強のふたり』

今回,ベースにする映画はフランス映画『最強のふたり』です.

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『最強のふたり』は首より下がまひしている大富豪フィリップが,スラム街の黒人ドリスを介護人として雇うところから話は始まります.陽気なドリスとやや皮肉屋のフィリップは,それぞれに悩みを抱えながら,日々を過ごしていくことになります.

この映画の原題は"Intouchables"で,英語で言えばuntouchable(アンタッチャブル,触ってはいけないもの)になります.つまり,社会から腫れもののように扱われることが多いマイノリティ(人種と障がい)の物語なのです.その二人がフランス社会を縦横無尽に,痛快に過ごしていく姿は見るものに元気を与えてくれます.その姿はまさに「最強」です.(今作についてはピッタリな邦題ですね)

陽気ながら少し影のあるドリスをオマール・シーが,ままならない現状にフラストレーションを感じながらも打ち解けていくフィリップをフランソワ・クリュゼが演じます.二人はこの映画によって東京国際映画祭で最優秀男優賞を受賞しています.表情の表現に注目です.

「俺を不採用にしろ」

(本編8分ごろから)

この映画は,フィリップ邸での面接のシーンから始まります.ほかの志願者が面接の列をなしているなかを割り込んで,ドリスは面接の場に入ってきます.そこで,彼は一言こう言い放ちます.

「この書類にサインしろ」

その書類とは,就職活動をした証であり,「不採用」の証であるわけです.しかし,フィリップはドリスに対して「明日9時にまた来るように」と伝えます.それは不採用のサインではなく,採用し即日働いてもらうためでした.

ドリスが不採用を望むわけ

さて,ここで考えなければならないのは「なぜドリスが不合格を望むのか」ということです.短い回答としては「失業保険が欲しいから」となります.しかし,もっと根本には社会におけるマイノリティの生きづらさがあります.

面接の後のシーン(本編13分ごろ)から,ドリスが自分の実家に帰るシーンがあります.集合住宅の一室にひしめき合うように住む子どもたちは,複雑で厳しい家庭環境にあることをうかがわせます.

母親が実家に帰ってくると,6カ月も家にいなかったことをとがめられ,家を追い出されます.彼は路上で一夜を過ごしたのち,約束の時間になったのでまたフィリップ家に向かいます.
(後ほど,なぜ6カ月いなかったかも明らかになります)

さて,この一連のシーンは端的に2つの社会を表現しています.前半の面接では,ドリス以外は白人でした.しかし,ドリスが彼の実家に帰ると黒人しか登場しません.全く異なる2つの社会が対照的に描かれています.

フランスは忘れられがちですが,多民族国家です.かつての帝国主義によってアフリカや東南アジアに植民地を持っていました.

特にアルジェリアやセネガルといったアフリカの植民地から,独立時に多くの人がフランスに流入しました.

ここでフランス社会ではマイノリティである移民がどのようなことを経験すること,その一つが統計的差別になります.統計的差別については,映画『ファウンダー』を題材に扱いましたね.

統計的差別とは何かを振り返れば「(主に生得的な)属性によって扱いを変えること」です.『ファウンダー』では,食べ放題や保険をテーマに統計的差別を扱いました.この2つは主に年齢によって扱いを変えていたのでした.

しかし,これが雇用になると大問題になります.『ファウンダー』ではユダヤ人を,ユダヤ人というだけで雇うことにしたのですが,これは人種差別でアウトです.そして,現代では基本的にこのような差別は禁止されているはずです.

しかし,実際には多くの人種に基づく統計的差別が行われています.社会科学では,ほとんど同じで人種や学歴だけが異なる履歴書を送り,採用率を比較することで分析する手法があります.実際の分析結果 (Gaddis 2015)では,ハーバード大卒・州立大卒×白人・黒人という4種類の組み合わせで調べたところ,なんとハーバード大卒・黒人と州立大卒・白人が大体同じぐらいの採用率という結果が得られています(日本だと東大と県立大の差が,人種の違いによって埋められたことになります).

なぜ統計的差別が残っているのか?

世の中には大別して2種類の差別があります.1つめは,偏見ゼノフォビアに基づく心理学的な差別です.このタイプの差別は,基本的には教育等によって低減することができます.

もう一つが統計的差別になります.たとえば「黒人のほうが問題行動を起こし,退職しやすい」という統計データがあったとします(もちろんこれは仮想です).このとき,あなたが人事の採用担当だとして,中途採用を一人雇うことになりました.いま,手元に2通の履歴書が来ています.だいたい同じような学歴・経歴の持ち主でただ一つ,人種が違います.一方は白人で,もう一方は黒人です.あなたはどちらを採用しますか?

人事になって考えてみましょう.中途社員とはいえ,人を雇うのはコストがかかります.教育や諸々の手配に会社は少なからぬお金・時間・労力を投資します.しかし,そこで統計データを考慮に入れると,白人を雇うほうが合理的に見えてきます.なぜなら,投資したコストが無駄になる可能性が,統計データに言えば白人のほうが低いからです.そこで,人事としては白人を雇うという意思決定をすることになりました.

一見このような意思決定は合理的に見えます.しかし,この意思決定は統計的差別につながります.なぜなら,本当に履歴書を送ってきた白人・黒人の候補者が問題行動を起こすか,調べていないからです.

本当は問題行動を起こさない人を採用することが望ましいのですが,問題行動を起こすかどうかは「見えないもの」なので,「見えるもの」の人種にまつわる統計データから,「黒人が問題行動を起こしやすい」と考え白人を雇うことにしました.ここに統計的差別が厄介な理由があります.その1でもお話したように,合理性があるので,統計的差別に基づく人種差別を取り除くことは難しいのです.

思い込みが実現するとき

統計的差別が厄介なのは,最初は統計的事実がなくても偏見があると実現してしまう可能性がある,ということです.たとえば,人事が「黒人は乱暴で問題を起こしやすい」という偏見を持っていたとしましょう.すると,この人事はこの思い込みの元,白人はよく働く人材として優遇し,黒人をトラブルメーカーとして冷遇します.ここでのポイントは「思い込みの元では合理的な判断である」ということです.

このような状況が続くと,会社にいる黒人としてはたまったものじゃありません.当然,社長等に直訴するなど直接的な抗議行動を起こすでしょう.しかし,この行動は会社にとって「問題行動」であるに違いありません.

ここで気づかれたと思いますが,人事の「黒人は乱暴で問題を起こしやすい」という思い込みが実現してしまったことになります.このような思い込みに従って合理的行動をした結果,思い込みが実現してしまうことを予言の自己成就といいます.

この予言の自己成就が厄介なのは,偏見から統計的差別の経路ができてしまうところです.思い込みは往々にして偏見から生じます.偏見から予言の自己成就を経由して起こってしまうと,それは「事実」となります.つまり統計的データの一つとして蓄積されることになり,統計的差別への経路が開かれてしまいます.偏見は教育によって減じることができますが,それが統計的差別に転じてしまうと,消えにくい差別構造となってしまいます.これが厄介なのです.

フランスの履歴書から○○を消す?

こんな状況だからこそ,フランスでは履歴書からある項目が消されることが議論されました.それは名前です.

名前というのは多くの情報があります.人種,宗教,国籍,性別,年齢といった情報は名前からある程度類推できます.日本だとキラキラネーム・シワシワネームや○○子,○○夫,カタカナの名前(例:キク)と並べれば類推ができるのもわかるかと思います.

『最強のふたり』で言えば「ドリス」は典型的な黒人の名前です.そんな彼はおそらく履歴書の名前を見た時点で落とされた過去があったのではないか,という推測をすることができます.

統計的差別の行く末

だからこそ,彼は「不採用になって失業保険で暮らしていく」ことを選んだわけです.彼のフィリップへの介護の働きぶりを見ればわかる通り,彼は生来の怠け者ではありません.統計的差別によって,不利な立場に立たされ,労働意欲を失った末の結果なのです.

これはアメリカでも,日本でも見られる光景です.たとえばアメリカの大都市の飲食店に入ると目に入る店員さんの人種が黒人かヒスパニックであることに気づきます.日本でもコンビニや牛丼屋さんでは外国の方(=日本におけるマイノリティ)がバイトしていることが多いと思います.このような状況は,マイノリティが周辺的な職業に追いやられているわけです.このような状況を人種による職域分離が起こっていると表現します.

統計的差別をなくす地道な方法

では,統計的差別をなくすことはできるのでしょうか? 特に,雇用の観点から言えば,多様性への理解が重要であるといえるでしょう.

たとえば先ほど「黒人が問題行動を起こしやすい」の例でいえば,その根源は出自の違いや文化的摩擦の存在,価値観の違い等が考えられます.つまり,一つのモノサシに押し込められた結果,不満が溜まり「問題行動」を起こしてしまう,というわけです.

であるならば,モノサシを増やすほうが得策でしょう.これが多様性への理解です.多様な価値観に寛容になることで問題の根源を取り除くことができれば,このようなことは起きません.しかし,これは超長期的な道のりになるでしょう.人の「合理的(だと思っているよう)な」考えを変えるのはなかなか難しいものです.今後の社会の行方を見守るほかないでしょう.

今回の話は,情報の経済学という分野に属します.ご興味のある方はこちらのテキストを読んで理解を深めるとよいでしょう.



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