映画『ファウンダー』で学ぶ「統計的差別 その1」
この記事では,みなさんと映画をベースに社会科学の概念を学んでいきます.ぜひ,映画を見てこのノートを読み,学術的背景に目を凝らしながら楽しんでください.
映画『ファウンダー』
このノートでは「モラルハザード」に引き続き,映画『ファウンダー』を取り上げます.「モラルハザード」編はこちらをどうぞ.映画の詳細もこちらに記載していますので,よろしければご参照ください.
「勤勉な」店長探し
(本編では53分ごろ)
「モラルハザード」編で見たように,マクドナルド・フランチャイズを広める営業のレイ・クロックは,問題に直面しました.それは,店長が基準を守らない,ということです.資金を提供した資産家たちは,お店の面倒を見なかったため,モニタリングが機能せず,店長が好き勝手に経営をはじめてしまいました(この件については「お金を出すだけで儲かる」と言ったレイにも問題はありますが……).
新たな店長選びに頭を悩ませていると,彼の会社に聖書を売る男が営業にやってきました.当然,秘書は冷たく追い払おうとするのですが,その営業に来た男がレイの目に留まります.わざわざ民間企業にまで聖書を売り歩く姿が気になったのでしょう.
レイは聖書売りの男に名前を尋ねます.彼は「ローゼンブラット」と答えます.
レイはローゼンブラットに問いかけます.「なんでそんなものを売っているんだ?」するとローゼンブラットは「生活のために仕方なく」という返します.
レイはそんな彼をマクドナルドの新店長に据えました.その後,聖書売りだったローゼンブラットは夫婦でお店を切り盛りします.そのお店はクリーンで,フランチャイズのルールが守られています.
「勤勉さ」を類推する
さて,なぜレイは聖書売りのローゼンブラットを店長にしたのでしょうか? それは,レイが彼から「勤勉さ」を読み取ったからです.
冷静に考えてみてください.「勤勉さ」というものには実体がありません.
ゲームでない限り,その人の性格は「見て」わかるものではありません.しかし,レイ・クロックは「ローゼンブラット」という名前に「勤勉さ」を見出しました.
それは,彼が「ユダヤ人」だとわかったからです.ユダヤ人と言えば「勤勉」な人たち,として有名でした.
(ただし,当時の欧米の中では「お金に忠実」という印象が近いようです.
古くはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」に出てくる金貸しが典型的なユダヤ人イメージでした.)
ここまでの議論を踏まえて,レイの思考回路をまとめると次のようになります.
「ローゼンブラット」という名前(見えるもの)
↓
「ユダヤ人」である(見えないもの)
↓
「ユダヤ人」は勤勉である(当時の傾向(というより通念?))
↓
聖書売りは「勤勉さ」を持っている(見えないもの)
レイは名前(見えるもの)から「勤勉さ」(見えないもの)このように推論しました.このように,名前(=人種)という属性から扱いを変えることを統計的差別といいます.雇用の場面では,統計的差別は人種・性別など生得的なものによって雇用するかしないか,判断することを指します.
今回のローゼンブラットの場合は,彼がユダヤ人であることが採用の決め手でした.しかし,冷静に考えみてください.レイ・クロックはローゼンブラットの何を知っているのでしょうか? 彼がユダヤ人であること以外知りません.本人が勤勉であることはわからないにも関わらず,彼がユダヤ人であることだけで採用しました.統計的差別はこのように,本人の特性を属性から推測するので,本人の特性は直接チェックされない,という特徴を持ちます.
食べ放題にみる統計的差別
統計的差別は実は身近なところにもあります.たとえば牛角の食べ放題のメニューを見てみましょう.
食べ放題メニューをよく見ると,このような文言が目に入ります.
食べ放題の料金が年齢によって変わっています.属性によって扱いを変えているので,これは統計的差別の一種になります(差別という言葉は強い表現ですが,統計的差別の定義上当てはまる,というだけです).
しかし,この料金の違いには納得感がありますよね.というのも,統計的差別のもう一つの特徴は一定の合理性があることです.統計データからわかることは(あるいは見なくてもわかるかもしれませんが),子どもとお年寄りは平均してほかの年代と比べて小食である,ということです.だから,ほかの年代と同じ料金にしてしまうと,お店に来なくなってしまうので,安く済むようにしているわけです.ここには合理性があります.
ここでのポイントは,いちいち客に「どのぐらい食べますか?」と尋ねていないことです.当然,大食いのお年寄りや子供がいてもおかしくありません.統計的な情報をもとにその人の食べる量を想定しているので,いちいち尋ねる必要がないのです.
ティーンエイジャーの保険は高い?
もう一つ,映画ではありませんが,BBCの名物番組『TopGear』のワンシーンを見ていただきましょう.シーズン13のエピソード2の回をご覧ください.
(エピソード2,最初から4分ごろまで)
TopGearシリーズはジェレミー・クラークソン,リチャード・ハモンド,ジェームス・メイの3人のおじさんが縦横無尽に暴れまわる車番組(?)なわけですが,このエピソード2の最初のお題は「17歳の自動車保険」なわけです.
「自動車免許を取ったばかりのティーンエイジャーに2500ポンドで保険付きの自動車を」という企画で,彼らは17歳になりきって保険会社に見積りを取りますが,とんでもなく高額な保険を提示されてしまいます.そう,若者の自動車保険は高いのです.そして,現代の日本でも同じことが起こります(実際に年齢だけを変えて見積を取ってみるとわかります).
これには一定の合理性があります.なぜなら,単純に若者は事故を起こしやすいからです.日本では実際,事故の加害者を見てみると,件数ベースでみれば16~19歳,20~29歳の順に多くなっています.
警視庁交通局『平成29年中の交通事故の発生状況』p.17
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/H29zennjiko.pdf
通常,自動車保険は事故を起こすリスクが高いほどもらう保険料が高くなります.そのように設定しないと,保険会社として割りに合わないからです.しかし,保険会社にとって厄介なのは加入希望者の誰が事故を起こしやすいかわからない,ということです.だからといって,平均的な保険料をつけてしまうと,(思ったより)安い保険料で済むリスクの高い人が加入し,(思ったより)高い保険料を提示されてしまったリスクの低い人が離れていく結果になります.すると保険会社にとっては悪夢のような,事故を起こしまくる客しか残りません.このような現象を逆選択と言います.
逆選択の対策として,筆頭に挙げられるのが統計的差別です.つまり,リスクの傾向は見えませんが,年齢は見えます.そして,統計データは年齢が若いほどリスクが高いことを示唆しています.だからこそ「若い人ほどリスクが高いので,保険料を高く設定しよう」という保険会社の値段設定が,一定の合理性をもってなされるわけです.
保険会社の考えをフォローしてみましょう.
「保険加入者は若い」という情報(見えるもの)
↓
「若い人は事故を起こしやすい」という情報(統計データ)
↓
「保険加入者は事故を起こしやすいだろう」(見えないもの)
しかし,ここでも考えなくてはならないのは加入者本人の情報は特に調べられていない,ということです.TopGearの3人の企画を思い出せば,見積りを取っているのはおじさん3人です.なのに,17歳のフリをして見積りを取ることができて,しかも高額を請求されるわけです(車番組の司会なのに:ただしハモンドはF1で大クラッシュしたので外しておきましょう).これは統計データのみによって保険料がはじき出され,その本人がどれだけ慎重に普段運転しているか,といったことは気にされていない,ということを示しています.
まとめ:統計的差別は必要悪か?
ここまで来て,統計的差別にもいろいろな形態があることが分かったと思います.しかし,そのいずれにも共通しているのは一定の合理性があることです.食べ放題では小食の人を逃さないために,保険会社ではリスクの低い人を逃さないために,統計データを利用して料金設定をしています.これは明らかに合理的判断です.
しかし,この統計的差別が雇用に向けられると途端にマズいことになります.というのも人種差別や男女格差といった側面が顔を見せるからです.これについては,別のノートで話すことにしましょう.
今回の話は,情報の経済学という分野に属します.ご興味のある方はこちらのテキストを読んで理解を深めるとよいでしょう.
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