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鬱憤晴らしの高校生活と自分らしさ。-生い立ち③高校時代-

 引き続き、自分を振り返る中での高校時代編。中学時代はTHE思春期を過ごしていたので、高校になった爆発した感じです。笑 中学時代のお話は以下をどうぞ~。

 中学の鬱憤を晴らすような気持ちで高校に入学。地元の鹿嶋市から千葉県の香取市の高校へ電車に乗って、1時間くらいかけて通学してました。中学時代から比べると、電車通学だし、県またぐし、知らない人だらけの知らない町だったけど、とにかくワクワクしながらのハイスクールライフスタート。

 この点は、小中学時代とは違っていて、新しい環境を楽しめていました。中学時代の反動が相当にあったんでしょう。人生リセット的な思いだったと思います。笑

高校デビューという言葉通りの生活

 リバイバルテンションだったので、内に籠もっていた中学とは決別する如く、身につけるカバンであったり、服装、髪型など、自分が良いなと思った身につける、買う、ということを楽しんでいました。(前髪上げて結んだ顔面で卒アル撮影しちゃったイタイ過去が物語る)

 部活には入らず、とりあえずアルバイトを開始。理由はコンタクトレンズが欲しかったから。(高校デビューと同時にしとけ!)バイトは学校の許可制でしたが、県をまたいでたのでバレないやろうとスーパーのレジ打ちをやっていました。他校の高校生アルバイトも多く、茨城県ならではというか、暴走族に入ってる先輩も居て、バイト終わりに単車自慢聞いたりとか、特攻服着せてもらったりとか、楽しいバイト先でした。笑

 高校自体は田舎の進学校といった感じで、真面目な雰囲気が強めだったのですが、その中でもスクールライフをエンジョイしたいメンバー同士で仲良くなって、授業もそこそこに休み時間や放課後をワイワイ過ごしてました。元から「楽しんでやるぞ!」という気概はありましたが、入学してすぐの学力テストで320人中297位という成績をみた瞬間に「よし、とりあえず遊ぼう。」というスイッチが入ったのは覚えてます。姉が居たので、私立文系なら高3の夏まで遊べると逆算して。

 学校終わってから電車の時間まで、コンビニの前でダベったり、カラオケいったり、休みの日は船橋とか東京に買い物いったり、バイトに明け暮れたり、初めての彼女ができてすぐ別れたり、文化祭やスポーツ大会になれば頑張る。中学の自分が求めていたスクールライフな日々。

今しかできないことをやろう

 そんな生活の中でも熱量込めてやってことが3年間にいくつかあって、文化祭、軽音楽、アントラーズサポ、受験勉強。高校生とはいえまだ思春期の時期で感情の波や心の変化は頻繁にあったものの、振り返った時に後悔がないようにマインドが強く、瞬間瞬間で今できることをやろうと行動し続けていました。

 文化祭、姉が文化祭実行委員会に入ったのを期にスクールライフを謳歌し始めたのを見てたので、僕も同じ道をたどりました。まぁよくある文化祭実行委員で、文化祭全体の仕切り進行を行う、ちょっと硬めの組織ですね。結果的に3年間文化祭実行委員会に所属することになったのですが、キャラの濃い先輩後輩との出会い、イベントを回す面白さ、クラスとは違った自分の居場所、など高校生の時に「コレはやりきったぞ」と胸を張って言える文化祭実行委員での活動。

 もちろんクラスの企画も力を入れてて、実行委員会に入ってた手前、企画段取りはお手の物という事で3年間クラス企画も中心となって進めてました。文化祭の準備通じてクラスが仲良くなっていく感じが好きなのもあったし。高3の時は、2年間の文化祭ノウハウを最大限活かして演劇の企画(脚本は別のクラスメイト)をゴリゴリ進めて、学内グランプリも獲得。高1の時からグランプリとった先輩たちの青春風景を見てたので、あの時は嬉しかったなー。

 軽音楽は高2の途中から、たまたま観に行った軽音楽部のライブでみたドラムの先輩がカッコ良すぎるてドラムを始めるという思春期あるある。寝ても覚めてもスティック持ってジャンプを重ねて叩きまくる生活。(クソうるさかったのに怒ってこなかった家族には感謝。。)軽音部の部室はなんとプールの更衣室だったので、楽器を触っていない時間はプールサイドに出て皆でダベってて、これもまた青春でした。抑えきれない音楽熱を爆発させた文化祭での卒業ライブはめっちゃ楽しかった、、というより暑かった、物理的に。。

 中学から引き続きアントラーズのゴール裏でサポーターも続けていて、バイトのお金もあったのでアウェイ参戦にも積極的にいってました。首都圏近郊のスタジアムへちょこちょこ行ったり、特に国立でのタイトルのかかった試合には必ず参加。天皇杯決勝に行った時は、大晦日から移動して徹夜で並んで、優勝の瞬間に立ち会えたのは良き思い出。ホームの試合でも、朝4時頃から並んだり、試合後も友達の家で夜通しウイイレしたり、まじで元気だったな。。

 遊びまくった2年半、残りの半年は必死こいて受験勉強。自分の中では文化祭までを一区切りと決めていたので、グランプリをとった翌日から塾の自習室に籠もって勉強勉強勉強。最初は全く成績が伸びず、志望校の偏差値まで全然足りなくて、担任の先生からも「もう少し低い偏差値の大学にしてみては、、?」と言われたほどでした。悔し泣きしながら、自分の勉強法を信じて続け、中途半端な志望校はつくらず、何とか志望校から1つだけ合格をもらえ、関東から関西へフライアウェイ。「井上くんが大金星です!」と担任が周囲に言った時はめっちゃ腹が立ったけど「大人って汚いんだな」と冷静に見てた自分もいたのでした。

 そんなこんなで駆け抜けた高校生活。若くて体力も気力も存分だったので、多忙ながらも楽しみながら全力でやり切ったスクールライフ。中学時代の後悔を晴らし、清々しい気持ちで卒業式を迎えたのを覚えてます。

ゴーイング・マイウェイ

 この時期の経験が僕のその後の人生に影響を与えていて、今しかできないことを頑張りたい、であったりとか、自分らしいやり方を全うすることが楽しい、といったスタンスを形づくってくれたと思っています。

 今しかできないことは上記の通り、青春を謳歌することを前提に、高校という環境でしか実現できない事に打ち込んだり、アントラーズサポの時も優勝のかかったタイミングで最大限できることをやろう、と行動したり。

 自分らしいやり方でいうと、文化祭での企画はもちろん、ドラムは完全に独学だったし、受験勉強のやり方も独特だったと思う。

 僕は私立文系という方向だけ明確に決めてて(偏差値60以下の大学には行きたくなかったので国公立は学力的に無理、学費はバイトで稼ぐ条件付き)、塾の先生からの入知恵もあって、夏休みから赤本を解いてました。センター試験は対策せず、センター受験も結局しませんでした。

 文系なので暗記科目が多く、最初は色んな参考書や単語帳などを買いましたが、最終的には絞り、あとはひたすら記憶に定着するように回転率を上げていく。暗記ペンみたいなのは使わず、とにかく目に触れる機会を増やして、赤本から逆算した傾向に合わせて勉強を進めていく。

 学校では受験に関係ない授業が大半だったので、その時間は寝る時間と割り切って、爆睡。休み時間は友達と存分に遊んで、勉強は基本的に塾の自習室。朝早くの電車に乗って高校の最寄り駅近くにある塾へ行き、遅刻前提で朝2時間勉強(高3の遅刻回数やばかった)、放課後は終電の時間まで勉強して6時間、平日で8時間、休日は12時間、ひたすら勉強していました。

 元気とはいえ無理もしてたので、たまに疲れが溜まった日は、週末ではなく敢えて平日の午前中を睡眠時間に当てたことも。だって休日は自習できるけど、平日は学校の授業があるから、休むなら平日の方がいいじゃん、、という思考で。笑

 そんなこんなで受験もそうですが、その他の事も案外結果がついてきていたので、自分が楽しいやり方を全うすればどうにかなる、というマインドが強まったのだと思います。受験勉強も追い込んではいましたが、英単語暗記の時は洋楽爆音で聴きながらやるとか、過去問解いたら塾の屋上で夜空眺めてボーッとするとか、工夫しながら楽しんでやってました。

 周囲がどうやっていようが、自分は自分。今できることを全うし続けたことで、中学時代には無かった自信も付いていたんだなと。この自信もしっかり大学でへし折られるので、その話はまた次のnoteで。笑


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