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農耕と狩猟採集を超えた先にあるもの

手間かけない菜園

昨年くらいからあまり菜園に手間をかけれないので、
気合をいれて夏野菜を植えていない。

定番の夏野菜は最低限植えているが、
最悪放置しておいてもいいくらいの感覚。
夏の定番のオクラは
収穫忘れて巨大化するので今年は作っていない。

自宅の庭では、
ヤマノイモ、キクイモ、ニラ、ノビル、
サトイモ、大葉、レモンバーム、ジャガイモ、
ミョウガあたりが庭のあちこちから生えてくる。

これらはこれまでのこぼれ種や種芋が残っていて
勝手に生えてくる。
多少植え替えもするが、
基本はその場で放置になっている。

今年は、昨年のこぼれ種から、
プチトマト、ルッコラ、バジル、モロヘイヤも
生えてきている。

他にも食べられる野草(シロザ、ツユクサ、ヨモギ)もあり、
食べ物が自然に生えてくると言っても過言ではない。

このようにこぼれ種から増える作物が自分は好きだ。
これだと思った場所から生えてくるわけではないが、
偶然生えた場所で力強く成長する植物を見ていると、
その命の力に感嘆する。

移植もするが、できれば、芽生えた場所で
育ってほしいとも感じる。

農耕なのか採集なのか?

こぼれ種や自生している作物たちのような、
作物を収穫することは、
農耕と言ってよいのだろうか?
それとも採集なのだろうか?

たとえば、自宅のミョウガは植えた覚えはなく
壁沿いから生えてきているのを毎年食べている。
きっとこれは妻の祖母が植えたのだろう。

この場合、育てているというより
採集している感覚が強い。

世話も一切しないてない。
強いて言えば草引きだが、
それも単に人が通路を通りやすくするためのもので
作物の育成のためにやってるのではない。

慣行農法や、ICTを使い様々な管理を行う最新の農業は、
人為的に生産性を最大化するために行われている。
100%人間のための農耕だ。
最大化のために無駄なことは排除し、
エネルギーをつぎ込んで最大収量を目指す。
人間による人間のための生産行為だ。

自然に近い在り方で作物を育てる農法、
自然農、自然栽培、パーマカルチャーなどは、
生物の営みに寄り添い、
作物の育成を自然の力に委ねている。

これらとて、人為的に種を巻き、苗を植え、
環境を整備しているので、
採集ではなく人のための農耕と言える。
虫や雑草を敵視することはないが、
あくまでも主体は作物にある。

では、これらを突き詰めて、
その場で作物が育ち、一部を収穫して、
残りは自然のままに任せて自生させようとした時、
それは果たしてそれは農耕なのだろうか?
それとも採集なのだろうか?

作物たちが自立したらどうなる?

人間が品種改良を行った作物たちは、
人の手がかからないと生育できないものが多くある。
それらは自然に任せて自生させることは難しい。
要するに「自分だけでは生きていけない」のだ。

自然に寄り添う栽培を目指す場合は、
在来種などの種を使ったり、
自家採種してその場に適した品種にしていくことで、
作物が環境に適応していくことになる。

それらを繰り返していくことで、
作物はその場所に適応した品種となり自生可能となる。
自生したらどこに生えるかは植物任せだ。

「今年はこの辺りでこれが取れるなぁ」

そんな偶然の出会い、発見、楽しみがあれば
それはもはや採集だ。
そしてそのように増える作物は
自立していると捉えることができるだろう。

里山で暮らしていると、
季節に応じた野草や果実をいただくことができる。
その感覚にだいぶ近い。

稲すらも実は多年草栽培ができると知って驚いた。

https://shop.ruralnet.or.jp/b_no=05_91053302/

その環境に適した果樹、野菜、稲、野草、
これらがどんどん増えて
人間に恵みを与えてくれるとしたら、
このような状態をなんと名付けるのだろう?
そもそも栽培でも採集でもなく
単に自然の恵みを頂くだけなのかもしれない。

人間と作物の対等な関係づくり

このように突き詰めていくと、
自生可能な作物を植えて、
後は自然に任せていくことで、
自然の恵みを収穫できるようになり、
もはや農耕と採集の境界は曖昧になる。

人為的な部分を極限まで切り落として、
ただ作物が自然に育つ環境だけを育んでいく。
人はただ、作物が育ちやすいように手入れするだけ。

同じように、
自然農の創始者である福岡正信さんは
人間の知恵の否定を行って
自然農にたどり着いた。

しかし福岡さんですらも「農」という言葉を使っている。

しかしこのアイデアは農ですらない。
人が世話をしなくても
作物が自分で育ち、実を成らせ、増えていく。
そんな事をイメージしている。

そんなことが本当にできるのかはわからない。

まるで子供を育てるかのように、
そうやって大人になった作物は
人の手を借りずとも、
自分で育ち増えていく。

人間はその恵みを分け与えてもらう。
その作物が増えやすいように
少しだけ環境を整えてあげる。

人間が一方的に管理するのではない、
生物同士の相利共生の関係性を構築する。

そうやって人間が、
作物との対等な関係をつくり、
大地の守り人となっていくと、
農耕でも採集でもない
対等な生物としての共生関係を築けるのではないだろうか。

皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。