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ブックレビュー「流星ひとつ」

この本は「敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする」ニュージャーナリズム手法の先駆者と言える沢木耕太郎が、芸能界引退直前の1979年に藤圭子へインタビューした幻の原稿を、藤の死後2013年に発表した作品である。

藤圭子は私の世代では、「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット作で有名な歌手だが、若い世代にとっては宇多田ヒカルの実母であり、2013年に突然自殺したことで有名なのではないか。

私が元々この作品に興味を持ったのは、先にブックレビューを書いた「平成とロックと吉田建の弁明」で、同書が参考にした手法として本書を挙げていたからだ(ったと思う)。ただ「平成とロックと吉田建の弁明」が「「実録ドキュメント」の体裁をとっているものの、対話形式のフィクションとしてとらえるべきだ」とするのに対して、こちらは沢木によるとかなり元々のインタビューに近いもののようだ。

本書は沢木によるとインタビュー直後に藤から発表の了解を取り付けており、新潮社から発表する段取りまで進んでいたものの、沢木自身が、将来藤が芸能界に復帰せざるをえない状況に陥った際に本インタビューが足かせにならないか、また自分の周囲の人達についてあまりにも好悪をはっきりと語っているため人間関係を難しくしてしまわないか等の懸念を持ち、出版を一旦断念したものである。実際、藤は81年に芸能界に復帰する。

ところが沢木は2013年藤の自殺の報を知り、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺した女性」という一行で片づけることができない、輝くような精神の持ち主だった藤を、世間に、そしてなによりも宇多田ヒカルに知ってもらいたいという気持ちで発表することにしたのだと言う。

本書は藤と沢木があるバーで会い、ウオッカを一杯づつ、最終的には八杯まで飲み続けるという構成で、当初インタビューに乗り気で無かった藤の心は酒と話が進むにつれ次第に打ちとけ、語りたくなかった部分をも話始める。

藤の幼少時代の貧困、盲目の母親、父親の家庭内暴力、こども歌手としてステージに立たされ、生きることで精一杯だった世間知らずの藤が69年にデビューに至るまでの様子、デビューしてわずか2年で尊敬する前川清と結婚し翌年に離婚、74年には喉のポリープ手術を経て自分自身の歌に自信を失っていき、そのストレスと繰り返す男性との関係破綻を経て引退に至る姿が生々しく語られている。

本書を読んだ後、デビューから数年の全盛期の歌を改めて聴き直してみたが、その歌の上手さには驚かされる。しかし彼女は意外にも当時は「何も考えずに歌っていた」のだと言う。

また、その後ヒット曲がなかなか出ない中、久しぶりに良い曲に恵まれたが、期待されたほどヒットしなかったというエピソードが紹介されている。その曲が作詞阿木曜子、作曲宇崎竜童コンビによる「面影平野」である。後に宇多田ヒカルが本作を最も気に入っていたらしい。

喉の手術を経て自らの本来の声を失い、本来の声とのギャップにどうしても我慢できずに一旦芸能界を退くことを決意するに至った、その2年前の作品で、結局本人は売れなかった理由を「歌っていても、女としてズキンとしないんだよね」と言う。

本書での藤について沢木は何度も彼女の気性を「男らしい」と表現する。「ズキンとしなかった」と言って、良い曲であっても歌い続けることに妥協できず、元々の声を失ったことを悔やみ、新しい声に我慢できない姿はアーティストとして人一倍純粋だったと感じざるを得ない。

今年の3月末に亡くなった坂本龍一が好きだった一節として、古代ギリシアの医学者ヒポクラテスの「箴言」の一節「Ars longa, vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」が挙げられているが、62歳で亡くなった藤の人生はそれにしても短すぎるように思えてならない。

79年に引退した後、ハワイなど米国に移住した後は、英語を勉強したり、Boz Scaggsのコンサートに行ったり楽しんでいた様子が本書のあとがきに出てくる。人並みの青春時代を過ごせなかった藤がわずかの間であっても青春らしき時間を過ごせたことがせめてもの慰めかもしれない。

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