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ブックレビュー「米国人博士、大阪で主婦になる」

この本はボストン在住の小説家・翻訳家である渡辺由佳里さんの「ベストセラーで読み解く現代アメリカ」に挙げられていたもので、関西出身で異文化経験に興味のある私にとってこのタイトルは絶対自分にとって面白いものだと直感したものだ。

左翼傾向のある36歳の典型的ボストン女性トレイシーが、全く文化的背景も理解せずに東アジアの企業の幹部社員を対象としたMBA課程の新米講師として神戸に行き、しかも研修中に大阪出身の教え子の一人タクと恋に落ちることからこの本は始まる。

しかもトレイシーのけっして犯さないと誓った信条は、「宗教にはまる」、「ボストンの住まいを手放す」、「男に依存する」、「両親のような伝統的な核家族を形成する」、そして「毎日晩御飯を作る」、だ。

ボストンを離れることなど微塵も考えたことが無かった上に、裕福なユダヤ人両親からもやんわりと別の男性を紹介されるが、遠距離間で燃え上がった恋はついにトレイシーを大阪へ試しに住んでみることを決意させる。

そこは「目は見開き、胃は縮み上がる」ような光景だった。「頭の中には「学術的議論」が形を成し始める。」

「ポルノを読む男たちの隣に、漫画のキャラクターで飾った携帯を打つ女子高生?ショートパンツとピンヒールの女性に、存在感ゼロの地味な中年女性たち?」。

しかししばらく経つとガイジンとして疎外され、欧米と比べると男女差別的な社会にも次第に怒りが生まれなくなる。

「ここは私の国ではない。これは私が解決すべき問題じゃない。」

そして京都で茶道を経験する頃には、日本という国の新鮮さや謎に魅了され、まったく新しい自分になりつつある、と感じるようになる。

そして自分自身のボストンでのキャリアの将来、タクが米国に異動になってもボストンに一番近いのがカンサスシティ(!)だという現実、あれだけ男に依存しないと誓っていた「ハイレベルの文化的思考に長けた高学歴の独立した」自分がタクに依存して日本でガイジンとして住むことがそれほど悪い選択では無いと思い始めていた。

一時帰国したトレイシーは米国の文化を日本の文化を比較し、「まわりのすべてのものが見慣れていると同時に新鮮に映るという、不可思議な感覚」、「ホーム」への愛情に気づく。まさに異文化体験の恩恵だ。そしてなんと日本の「礼儀正しい洗練されたマナーが恋しくなった。」

そしてついに日本語を学び始め、日本で親友が出来、タクと結婚し、新居に移り、日本での生活が始まる(3年間限定という条件付きだが)。

本書は、その後の流れをトレイシーが観光ガイドブックで知ったカルチャーショックの「ハネムーン」、「自己破壊」、「自己再統合」、「自律」、「受容」という段階に沿っての10年間を綴っていく。

そして物語は、タクの子供が欲しいという母性愛への目覚め不妊治療の度重なる失敗想定外の義父の衰弱と入院。そして最後に...

本書は彼女が母国語の英語を日本語に翻訳したものであり、このため日本語らしくない表現が垣間見えるが、それにより高学歴で左翼傾向のある彼女が日本の文化と衝突し、自己の文化と比較し、それを次第に受け入れていく様子の機微が表現されている。タイトルから読む前に期待したほど「大阪」について面白い発見が見られなかったのは残念ではあった。

それにしてもタクとの出会い、日本への移住、義父の介護に妊娠に、と人生は何とドラマチックなことか。改めて異文化との出会いは冒険であり、人を育てていく素晴らしい旅であることが認識できる。

私自身も米国と英国に住む機会に恵まれて、多くの経験をさせてもらったことを感謝している。コロナ禍のお陰で異文化との出会いが限定されている現在だが、まだまだ新たな文化との出会いを求めていきたいものだ。

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