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ロバート・シェルトン”ノー・ダイレクション・ホーム:ボブ・ディランの日々と音楽”

4月上旬新型コロナの影響で近所の図書館が閉鎖になるというので、書棚に残っていた本をごそっと借りてきた中にこのロバート・シェルトンの”No Direction Home(邦題「ノー・ディレクション・ホーム: ボブ・ディランの日々と音楽」)"があった。

そもそも本格的にボブディランに興味を持つようになったのは2014年の来日前後だったと思うが、興味に拍車がかかったのはノーベル文学賞受賞の2016年だ。

FacebookとInstagramを振り返ると、2015年に萩原健太の「ボブ・ディランは何を歌ってきたか」とCROSSBEATの来日記念ムック「ボブ・ディラン」を、2016年にGreil Marcus著/菅野ヘッケル翻訳の”Like a Rolling Stone"、湯浅学の「ボブディラン」、菅野ヘッケル翻訳の”100 Songs, Pictures & Comments"(邦題「公認本 弾いて歌って、ボブディラン」)、同じく菅野ヘッケル編のCDジャーナルムック「ボブ・ディラン読本」、Barry Feinsteinの”Real Moments(邦題「ボブ・ディラン写真集 時代が変る瞬間」"を、2019年には”Dylan on Dylan"、をそれぞれ読んだとある。確か菅野ヘッケル翻訳の「ボブ・ディラン自伝」もこの頃読んだ記憶がある。

音楽に人一倍関心がある1962年生まれの私にとって正直ディランは身近とは言えなかったし、パンクやニューウエーブ、MTVが思春期から大学時代の音楽シーンだったので、興味の中心ではなかった。実際、同世代でディランをしっかり追っているという人にはまだ会ったことが無い。

ディランの新譜で同時代的だったのはせいぜい76年の「欲望」以降で、ライブ盤の「激しい雨」(76年)や来日と「武道館」(78年)が盛り上がった記憶はあるが、ビルボードチャートを調べてみてもその後97年までで新譜が10位以内に入ったのは79年の「スロー・トレイン・カミング」の3位だけだ。

93年の30周年トリビュートライブ(a.k.a.シンニードオコナー、現シュハダ・サダカットの事件があったのをよく覚えている)や95年のMTV Unpluggedを除いて、97年の「タイムアウトオブマインド」までは音楽メディアでも大きな話題にはならなかった印象がある(もちろん一世代前のディラン・ファンの方々にとっては異論があるのでしょうけど)。

一方91年からはオフィシャルブートレッグシリーズが発表され始め、05年にはマーティン・スコセッシ監督による”No Direction Home"が映画化されたし、97年以降はクリスマスアルバム以外はどの作品もビルボードランキングが高い。個人的には2000年前後からWilcoやThe Jayhawksを初めとしたAlterna-CountryやAmericanaに興味を持つことでグッと音楽趣味がRoots系に移っていった時期に重なる。

さて、書籍の方の”No Direction Home”に話を戻そう。

この本は本編が839ページに及ぶ大作で、近所の本屋で見かけた時は立派な白いボックスに装丁されビニールでパックしてあった(ちなみにまだ売れずに残っている)。何しろ外出自粛でも無ければ腰を据えて読んでみようという気持ちにはなかなかならない圧倒的な情報量である。

日本での翻訳書の発行は2018年の6月と割と最近なのだが、原書のオリジナル版が発行されたのは1986年。この翻訳書はシェルトンが1961年にThe New York Timesに記した歴史的なレビューから50年を記念して86年版では削除された部分を加えて編集された2011年版をベースとしている。

この本が対象とするのはディランの全時代ではない。彼の先祖の米国への入国、出生、親子兄弟の素性と彼らとの関係、ミネアポリス時代の音楽活動・遍歴や友人関係、ミネソタ大学への入学・ドロップアウトと音楽シーン、ニューヨークへの移動と人間関係、ウディ・ガスリーとの交友、そしてレコード契約から主に60年代のアルバムやライブ活動までである。しかし、この時期が一番研究対象として「美味しい部分」というのに異論がある人は少ないだろう。

それまでにもディランのバイオは色々な本で読んでいたので、「裏切り者」と言われたコンサートやバイク事故といった有名な事件の経緯は理解していたが、今回ディラン本人からの信頼を得て本作を書くまで長年ディランを追っていたシェルトンの解説を読むにつけ、それぞれの事件の時代背景や心境が深く理解できた気がする。

バイク事故前後でディランは本当に人が変わったようなところがあったようで、それまで敵対的だったインタビューの態度も随分変わったらしい。

ジョーンバエズとの関係は微妙で、彼を育てる立場だと思って全面的にバックアップしたジョーンが気がつくと英国公演で彼から必要とされなくなっていった、というのはジョーンにとって相当悲しい現実だったことだろう。

フォーク界から大反発を食らったエレクトリック化についてはニューポートでの二部構成の順番(一部エレクトリック、二部アクースティック)は確信犯的だったと思われるし、ボブ自体は元々それ以前からその垣根を全く意識していなかったにも関わらず、伝統主義のフォーク界が純粋主義に陥って変化を認めたがらなかったという構図も面白い。

その結果、変化に抗ったフォークミュージックがほとんど商業的には死に絶え、一方ボブがラジオ番組のTheme Time Radio Hourや最近の新譜で再びスタンダード曲など古い音楽に脚光を浴びせ、ある種新旧・音楽ジャンルを超えて縦横無尽に飛び回っているのは興味深い。

Punch BrothersのChris ThileがLive From Hereでジャンルの垣根が無いゲストを迎え、また毎週お誕生日祝いでファンクからオルタナのアーティストまで演奏してみせるのは、こういう音楽界の黒歴史を踏まえているのかもしれない(写真は昨年11月にLive From HereをNYのTown Hallで見た際のスナップ)。

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14年のディランの来日公演はZepp Diversity Tokyoの座席がある二階席で見た。少し前の席には数年後に亡くなったかまやつひろしさんがいた。かまやつさんはカントリー音楽出身で同時代的に長年ディランを見ていただろうから、まだまだ研究中の私なぞよりも同公演を楽しんだことと思う。

私の世代でも日本人なりにディランを理解する努力はできるとは思うが、今回この本でディランの考え方を掘り下げて理解すればするほど正直ディランの考え方や音楽性について日本人として肌感覚で理解するのが難しい部分があるように思う。特に宗教観やミネソタの文化や経済環境、彼が育った時代背景や音楽シーンは米国に8年近く住んだ私でも世代や時代が違うので今一つピンと来ない部分があった。

そうは言っても、また世代が上の日本にいる達人級の菅野ヘッケルや萩原健太のレベルまでは無理だとしても、まだまだ研究したい対象であるのは間違い無い。それだけこの人は複雑で興味深い人だ。

きっとディランは私のニューノーマルの一部になるのだろう。

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