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近くて、すごく遠い世界

ずっと、メキシコの"陽"ばかりを書いてきた。
オープンで温かい国民性。せかせかと急がない、のんびりとした街の空気。どれもぜんぶ、嘘じゃない。

けれど明るい光が射せば、かならず暗い影ができる。そしてその影のなかにも、人々の暮らしがある。

そんな「当たり前」を、強烈に思い知らされる出来事があった。

週に一度、わが家の掃除をしてくれるマリアという女性がいる。共働きで3人の子どもを育てる彼女は、いつもキビキビ働く元気な肝っ玉母ちゃんだ。

わが家がメキシコに来て以来だから、もう4年の付き合いになる。ある意味一番近くで、わたしたち家族の日々を見続けてきた人。友人とはまた違う、特別な存在だ。

いつも通りの火曜の朝、幼稚園に娘を送り届けて足早に戻ると、部屋の前でマリアが待っていた。

「おはよう。渋滞すごいね」

かばんの中を引っ掻き回して鍵を探しながら、声を掛ける。が、なんだか様子が変だ。赤く充血した目の奥は、ひどく疲れて見えた。

「何かあったの?」

問いかけに彼女が語った話は、衝撃的な内容だった。


マリアは、自身が生んだ息子2人のほかに、姪っ子を1人育てている。妹が10代で未婚のまま生み育児放棄した子を引き取り、育ててきたのだ。

貧しい家庭の7人兄弟に生まれ育ち、10代から掃除の仕事をしているマリアは、3人の子どもたちに十分な教育を受けさせたいと、夫と二人三脚で必死に働いてきた。その甲斐あって、長男は今年高校を卒業し大学に進学する。11歳になった姪っ子も、マリアを母親のように、従兄たちを本当の兄弟のように慕いながら、元気に学校に通っていた。

その姪っ子が、先週土曜に突然いなくなったのだという。

マリアと夫、マリアの両親は方々探し回り親戚をすべて当たったが見つからず、警察に届け出た。

翌日、姪っ子が見つかったと警察から連絡が入った。連れ去ったのは妹夫婦だった。マリアや両親に尋ねられても、頑なに知らないと突っぱねながら、実は強引に連れ去り、家のなかに隠していたのだ。

姪っ子は児童相談所に一旦引き取られ、カウンセラーとの面談を経て、マリアの家に戻るのか、妹夫婦のもとで暮らすのか、養護施設に入れられるのか、専門の委員会によって決められることになった。戸籍上、姪っ子の母親は今も妹なので、妹夫婦に同居の権利が認められる可能性もある。一方で、戸籍上は叔母でしかないマリアは、収入や資産の厳しい審査に合格しない限り、その権利が認められないのだという。

「どうして妹夫婦は突然その子と暮らしたいと思ったんだろう」

キッチンのカウンター越しに口にした疑問は、腫れぼったい目をしたマリアの残酷な答えで、すぐに消えた。

「この国では、12歳くらいになればもう働けるのよ」

妹自身が言い出したのか、夫が言い出したのかは、分からない。けれど目的はおそらく「働かせて、家に金を入れさせること」。

「恐ろしいのは、それだけじゃない。11歳の女の子が血の繋がらない父親と暮らすのは、リスクがある」

全身の肌が粟立った。目の前で淡々と働くマリアが、どんな気持ちで週末と月曜を過ごしたのかを想像すると、胸が詰まった。

わたしに何かできることはある?

喉まで出掛かったその言葉を、飲み込む。ただの腰掛けでここに暮らしているわたしに、できることなんて何もない。

けれど、翌日になってもまだ、頭の片隅に彼女との会話があった。幼稚園へと向かう道を歩きながら。娘とおやつを食べながら。

迷った末、娘を寝かしつけたあとに、マリアにメッセージを送った。「友人を頼って弁護士を探せるかもしれないけど、役に立つ?」

「ありがとう。弁護士に相談したい」

その返事を見て、急いで友人に連絡を取った。電話相談ならお金の掛からない、今回のようなケースに詳しい弁護士を紹介してくれた。

これぐらいしかできない。でも、どうか事態が良い方向に向かいますように。姪っ子の未来がここで途絶えてしまいませんように。今はただひたすら、そう願っている。

人間ひとりとってもそうであるように、どの国にも陰と陽の”顔”がある。

頭ではとっくに理解していたつもりだったその事実を、わたしはいまになってようやく、ゆっくりと咀嚼しはじめているのかも知れない。

きっかけをくれたのは、近くて、でもどうしようもなく遠い世界に住む彼女だ。


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