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「世界一荘厳なピンク」に恋をして

「メキシカンピンク」と呼ばれる色がある。スペイン語で、Rosa mexicano(ロサ・メヒカノ)。

当たる光の加減によって、時に可憐な少女のように、また時に妖艶な女性のように見えるこのピンクに、わたしは少しばかり思い入れがある。

夫に転勤辞令が出たのは、2019年の春だった。

臨月だったわたしは日本に残り、娘を生んだ。乳児が打つ予防接種は、約5ヶ月で一区切りを迎える。そのタイミングで、夫を追って移住することになっていた。

海外で暮らす。駐妻になる。どれもすでに決めたことなのに、「母」をこなすだけでも精いっぱいだったあの頃、そのどれにも現実味を感じられずにいた。ふにゃふにゃで寝てばかりだった娘が、おもちゃを握り、寝返りをはじめ、出発の日がすぐそこまで近づいてきても、ただ戸惑いだけが増していた。

雑誌『ポパイ』にメキシコ特集が組まれると知ったのは、そんな頃だった。ネットで発売日を調べ、娘を抱いて本屋に行き、店頭に平積みされた1冊を手に取った。『メキシコが呼んでいる!』というタイトルに、小さく心臓が鳴ったのを覚えている。

帰りのバスで、買ったばかりの雑誌を開いた。そこに何を見つけたかったのかは、わからない。もうまもなく始まろうとしていた新生活への、希望のかけらのようなものを探していたのかもしれない。

そして雑誌を四分の一ほどまでめくっていってそのページが出てきたとき、わたしは本当に唐突に、動けなくなってしまった。

それは、ピンク色の壁の写真だった。赤紫にも見える、不思議なピンク。柔らかく差し込む太陽の光が陰影を作り、平面のはずの壁を、まるで美しい女性の横顔のように見せていた。瞬きをしたらもう同じ光景はそこにない。写真だということも忘れ、そんなふうにさえ思った。

メキシコを代表する建築家、ルイス・バラガン。彼が40代後半から亡くなるまで住み続けた自宅兼仕事場で、2004年に世界遺産に登録された。記事の執筆者はそれらの情報とともに、写真の壁を「世界一荘厳なピンク」と書いていた。

その日から何度、同じページを開いただろう。

船便の発送。役所での手続き。航空券の手配。物理的な準備のスピードに心が置いて行かれそうになると、決まってあの雑誌を手に取って、娘が寝静まった夜にひとり眺めていた。

「あなたを待ってる」ーーなぜだかそう言われているような気がした。

日本からメキシコまで、単純なフライトのみで14時間。そのほかの移動時間も合わせれば、およそ22時間掛かる。

感傷に浸るには十分すぎるほどの時間だけれど、生後5か月の娘を連れた初めての空の旅にそんな余裕はなかった。不安と緊張を胸の奥に抑え込みながら、授乳とオムツ替えをひたすら繰り返し、合間に浅く短い眠りに落ちる。ようやくメキシコのマンションの部屋に辿り着いたときには、もう疲れているのかどうかさえよくわからなくなっていた。這うようにしてトイレに行くと、ボロ雑巾みたいになった自分の姿が鏡に映った。

それからそのずっしりと重たい疲れが抜けるまでには、思っていたよりもずっと時間がかかった。人間の脳と身体は、テレビのチャンネルみたいにパチンとは切り替わらない。時差と気温、それから新しい家に少しずつ慣れ、夜眠くなり朝目が覚めるようになるまでのその過程は、深い水の底から光さす水面へとゆっくり上がっていくかのようだった。

半月ほど経ってようやく「いつも通り」と思えるほどまで回復したわたしは、娘に邪魔されつつスーツケースの中身を片付けていた。そこに、見慣れた『ポパイ』が出てきたのだ。

そうだ、ピンクの壁を見に行こう。メキシコに来て、初めて心が弾んだ。

けれど、世の中はこういうときにかぎって、優しくない。見学予約をしようと開いたWebサイトには、太字のスペイン語ではっきりとこう書かれていたーー「12歳未満は入場不可」。

当時、娘は夫にまったく懐いていなかった。生後2週間で一度会って以来、約5ヶ月ぶりの再会だったのだから、無理もない。2人を置いて出掛ける、なんて芸当は、半日どころか30分すらできなかったし、ほかに預けられる人もいなかった。諦めきれないわたしは、バラガン邸の管理人にメールを送った。雑誌で見てから、ずっと訪れてみたかった。必ず抱っこしているから、子どもを連れて見学させて欲しい。祈るように想いを綴った。

翌朝、メールボックスに至極あっさりとした文面の返信が届いていた。「申し訳ありませんが、12歳未満のお子さんを連れての見学はお断りします。」

待ってくれてたんじゃなかったの。言葉の代わりに、ため息が出た。

娘を幼稚園へ送り届けて部屋に戻り、洗い物をしながら紅茶を入れた。子どもがひとりいなくなっただけで、いつもの騒がしいリビングが知らない場所のようにに見える。

湯気の立つカップを手に、ソファに腰を下ろす。ぼんやりと部屋の隅へと視線をやると、黒い書類立ての端に、懐かしい背表紙を見つけた。

2年も、どうして忘れていたんだろう。なにかに急かされるように雑誌を引っ張り出して、記憶を頼りにページを繰ると、そこに変わらないあの写真があった。

そうだ、いまならもう行ける。パソコンを開き、2年前と同じウェブサイトにアクセスすると、見学予約フォームがあった。入場料、400ペソ(約2,200円)。平均月収が7000ペソのメキシコでは相当高いが、迷わずチケットを取る。2週間後の金曜日だ。プリントアウトしたチケットをクリアファイルにそっとしまうと、体温が少し上がったような気がした。


金曜日は珍しく明け方から雨だった。見学日の変更はできない。がっかりする気持ちを抑えながら、娘に制服を着せ、幼稚園までの道を往復する。部屋に戻って身支度を整えながらリビングの窓から空を見上げると、そう遠くない先に晴れ間が見えた。

車に乗ると、たったの20分でルイス・バラガン邸まで着いてしまった。路地の先は行き止まりになっていて、辺りは不思議なほど静かだ。空はすっかり晴れ渡り、この国らしい強い太陽の日差しが降り注いでいた。

木製の小さな玄関扉の前で15分ほど待っただろうか。予約の時間を少し過ぎて、ガイドが扉を開けてくれた。"sabino(サビノ)"と呼ばれる土間で、説明を聞く。外部の僅かな生活音までが完全に遮断されたその空間は、扉上のすりガラスから入る陽光に淡く照らされ、妙な懐かしさが感じられた。

説明を終えて、ガイドが次の扉を開ける。そこに、あの壁があった。

光と影が、メキシカンピンクに塗られた1枚の壁に、まるでひとりの女性の一生を描いたようだった。

言葉なく立ち尽くすわたしに、ガイドは「天気や時間帯によって、壁の表情はどんどんと変わっていきます。それを見るために8回訪れた人もいるくらいです。」と少し笑った。

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邸宅内の部屋を順に見て回り、最後に屋上へと出た。透明な水に青の絵の具をぽたりと垂らしたような淡い色の空の下に、ピンクの壁があった。今度は優しく、温かい。

2年前もしこの邸宅を訪れていたら、とふと思う。わたしはこの色をどんなふうに言葉にしたんだろうか。時間をかけて不安と孤独を乗り越えて、この国の光と影を知ったいまだから、見える色味があるのかもしれない。

8回も訪れた強者には叶わないけれど、またここを訪れよう。メキシコで暮らすいまの自分の原点は、きっとここにあるのだ。

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