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最強の観光スポット!メキシコのスーパーマーケットの面白さ

最近の海外旅行ガイドブックを開くと、コスパの良いお土産が見つかる場所として現地のスーパーマーケットがよく紹介されている。私が暮らすメキシコも旅行で訪れた際にはぜひスーパーにも立ち寄ってみることをおすすめしたい。喜ばれるお土産が見つかるかどうかは別として、観光地では滅多に出会えないような、『カルチャーショック』を体験できるかもしれない。

我が家の徒歩圏内には3つのスーパーがある。1つ目は富裕層向けの高級スーパー、2つ目は中間層を狙ったスーパー、3つ目は大衆向けの超大型スーパーだ。1つ目と2つ目は客層も絞られ、店員の目が行き届き、店内の雰囲気も落ち着いている。一方、3つ目の大衆向けスーパーはどの売り場もとにかく巨大で、店員は滅多につかまらず、ありとあらゆる所得層の客がやってくる。そのため店内はいつも、ポジティブに言えば活気があり、ネガティブに言えば混沌としている。そしてこの店へ行くと、必ずと言っていいほど何か面白いことが起こる。

週末、まだ客のまばらな開店直後の店内を歩くと、店員たちが商品の陳列作業を行なっている。どうやらこの店では『ひたすら上に積み上げる』陳列が美しいとされているらしく、トマトもココナッツもコーラもシリアルも何でもピラミッドのように積み上げられている。店員たちは建設途中のピラミッドの上に立ち、別の店員が下から投げ上げる商品を次々とキャッチしては上へ上へと積み上げていく。通りがかりの客に配慮して作業を中断する気などさらさらなく、楽しそうに冗談を言い合いながら商品を投げ続けているため、ふと頭上を見上げるとシリアルの箱が自分の真上を飛んで行く瞬間だったりする。

また、小麦粉や砂糖の袋には非常に高い確率で穴があいている。日本では穴があいているなど可能性すら考えたことがなかったが、この店では逆に1つも穴のあいていないものを探す方が大変だ。陳列棚や通路はサラサラとした小麦粉や砂糖が飛び散っているが、客も店員もそんなことを気にする様子の人は誰もいない。私は買い物袋の中を粉や砂糖だらけにしたくないので、毎回棚から袋を取っては様々な角度に傾け、漏れを入念にチェックする。もはやメーカーよりも値段よりも『漏れていないこと』が最大のポイントになっている。

次はレジだ。列に並んで会計の順番が回ってくるのを待っていると、今度は近くに並んでいる客の行動に驚く。私が初めてその場面に遭遇したのは、隣の列に並んでいた品の良い初老の夫婦を何気なく見ていたときだった。旦那さんが奥さんと話をしながら、突然ひょいっとポテチの袋を手に取り、封を破ってバリバリと食べ始めた。一緒にいる奥さんも、カートからコーラを取り出しぐいぐい飲みながらポテチをつまんでいる。目の前の光景に私が衝撃を受けていると、今度は前に並んでいた若い母親が、ぐずる子供をなだめるためにカートの中のパンの箱を開け、食べさせ始めた。店員も前の客のレジ打ちをしながらこの様子を見ていたが、特に驚くこともなく、咎めもしない。同じような場面をその後何度も見て、ようやく私は、どうやらここではレジまでくれば、『会計前の商品を消費する』という行為は許されているらしいということを知った。

レジ待ちの列を進んでいよいよ自分の番が来ると、ベルトコンベアの上に商品を載せていく。レジ係は足元のペダルでベルトを少しずつ動かし、商品を自分の手元まで移動させ、バーコードを読み取っていく。レジ周りには日本のスーパー同様、飴やガム、チョコレートやスナック菓子などの商品が陳列されている。だが、よく見るとその中に突然玉ねぎやらスライスチーズやら、真空パックになった冷凍のエビやら、全然関係ないものが紛れている。会計直前に客が「やっぱりやーめた。」とカートから取り出し、そこらへんに置いていったのだろうが、冷凍品まで紛れこませているのはなかなかツワモノだ。

メキシコに来て間もない頃は、このスーパーの混沌とした感じがあまり好きではなかった。けれど慣れるにつれて、整然と並んだ商品をマダムたちが吟味している高級スーパーよりもこちらの方が買い物をしていて楽しいと思うようになった。ここにやってくると、自分の非常識が誰かにとっての常識だったり、またその逆だったりする、という当たり前のことを、頭ではなく目で見て理解できる。そして海外で暮らすことの面白さは、こういうところにこそあるのではないかと思う。日々の何気ない瞬間に自分の『当たり前』がひっくり返されること。それは、ストレスを感じることもあるけれど、さあ今日はどんな新しい常識に出会うだろうか?と、私の足をまたあのスーパーに向かわせるのだ。

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