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サイコロの転がったその先で

先日、メキシコシティ在住の日本舞踊師範でファッションデザイナー・木原直子さんにインタビューをさせて頂いた。

偶然の出会いから生まれたこのインタビューに、わたしはこれから一生忘れない、「生きるヒント」を教えてもらった。

実は、わたしを直子さんに出会わせてくれたのは、直子さんの夫・準さんだった。準さんが院長を務める歯科医院はわが家のすぐそばにあり、1年以上前から歯の治療をしていただいていた。歯科診療の傍ら、JICAの日系メキシコ人協会会長も務める準さんは、そのお忙しさを感じさせない穏やかな物腰で、毎回丁寧に治療の説明をしてくれる。

そんな準さんが、ある日の治療後、ふとこんな話をしてくださった。

「妻は日本舞踊の師範で、ファッションデザイナーの仕事もしています。わたしよりずっと、妻の方が活躍しているんですよ。」

メキシコで、日本舞踊とファッションデザイナー。それはすごいですね、と口では相槌を打ちながら、その時はまだ、バラバラに見える3つのキーワードがひとりの女性によってどう掛け合わされるのか、イメージすることができなかった。

けれど帰り道も、家に着いてからも、心のどこかにずっと準さんの言葉が引っかかっていた。それからしばらくしてふと思い立ち、準さんから聞いた奥さんのお名前をパソコンで検索した。「Naoko Kihara México」と入力してEnterキーを叩くと、スペイン語で書かれた記事がいくつも出てきた。B5用紙に10枚分ほどになったそれを、辞書を引きながら一晩で読んだ。読み進めるほどに、胸の鼓動が少しずつ早まっていく。なんて面白い仕事をしている人だろう。会って、どうしても話を聞いてみたい。読み終えたあと、浮かんだ質問を急いでノートに書きつけた。

翌朝すぐに、準さんにメッセージを送った。奥様にインタビューさせてほしい。快諾の返事とともに、直子さんの連絡先が送られてきたのを見て、心臓がとくんと鳴った。

インタビューの日、直子さんとわたしは、準さんの歯科医院内の一室で、向かい合って座った。

ブラジルで生まれ育ち、結婚をきっかけにメキシコへと移住したら直子さんは、はじめに「日本語が上手じゃなくて、ごめんなさい」と謝ってくださった。けれど、いざインタビューを始めてみると、直子さんのお話はとてもわかりやすくて、耳心地がいい。日本語をスペイン語で補いながら、さらにご自分がおっしゃった言葉がわたしに正しく伝わっているかどうか、時折り話を止めて、確認してくださる。その丁寧で思いやりに溢れた話し方には、直子さんの人柄そのものが表れていた。

ブラジルで過ごした幼少期から夢見続けたファッションデザイン。留学して知った日本の伝統舞踊。迷った末に結婚し、移住したメキシコで出逢った美しい布。直子さんというひとりの女性の人生を舞台に、それらが手と手を取り合って、ひとつのストーリーを作っていく。いつのまにか手元の質問表を見るのも忘れ、その物語を夢中で聞いていた。頭で考えなくとも、まるで導かれるように、次々と聞きたいことが溢れてきた。

世界中どこに行ったとしても、そこに学ぶことがある。直子さんは、ご自身のこれまでの道のりを振り返って、そうおっしゃった。行った先々で心を開き、その土地を愛し自分にできることを探すうちに、おのずと道が開けてきた、と。

その言葉を聞いて、ほぼ無意識のうちに、こう聞き返してしまった。

「なぜそんなに謙虚でいられるんでしょうか」

夫の転勤についてメキシコに来て2年。心のどこかに、「仕事を犠牲にした」という思いを抱えながら暮らしてきた。そしてこれからも家族が一緒にいようとする限り、その思いは消えないのだと。

けれど、直子さんのような人がいる。こんなふうにしなやかに、自分の周りの人やモノを愛しながら生きられたら。暮らす土地が変わっても、輝き続けられたら。インタビューをしながら、気がつけば自分のキャリアを考えていた。

わたしの問いに、直子さんはすこしいたずらっぽく笑ってから、答えてくれた。

「だって、つまらないじゃないですか。」

「え?」

「ほら、人間って生まれた時から文句ばかりでしょう。眠い、暑い、お腹すいた。赤ちゃんのときはそれが仕事だからいいんです。でもね、成長して自分の人生を歩んでいくとき、文句ばかり言っていたらつまらないと思いませんか。これが嫌だ、あれが嫌だ、と思いながら世の中を見ていたら、世界がつまらなく見えます。そうなると、今度は人生がつまらなくなる。わたしは一度きりの自分の人生を、つまらなくはしたくありません。だから、良いところ、好きなところを探すんです。自分のためにそうしているのが、謙虚に見えているだけですよ。」

直子さんの言葉が、すとん、と腹の中に落ちて、やさしく溶けていった。

彼女のこれまでの道のりを、幸運な人生だと思いながら聞いていた。ファッションが好き、日本が好き、着物が好き、メキシコが好き、伝統的な布が好き。行く先々で好きなものに出会って、それらがうまく絡み合って仕事に繋がって、幸せな人生だ。そんなふうに感じていた。

けれど、そうじゃない。彼女は出会った人や場所や物事ひとつひとつから、良いところを探し出し、好きになっていったのだ。ときにこぼれ落ちそうになる文句を、心に押し戻しながら。

鼻の奥が少し、つん、とした。

すべてが素晴らしい100点満点の人や場所なんて、どこにも存在しない。どんな目で見るか、それだけ。そしてその「目」は決して他人には決められない。自分の人生をおもしろくするのは、自分なのだ。

直子さんの柔らかな笑顔を見ながらそんなことを思ったら、今度はお腹のあたりが不思議と温かく感じられた。

転勤、上等。どこまでも転がしてくれて構わない。サイコロが転がったその先で、心も目も開けるだけ開いて、人生を最高におもしろくしようじゃないか。

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