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音を楽しむってこういうことだった

少しの違和感と緊張感と、新たに気づいたこと

先日、あるアーティストのライブに行ってきた。

生音に生の歌声、9ヶ月ぶりの現場だった。

今年はどのアーティストも公演が中止になったりで大変な思いをしている。

無観客での配信ライブが当たり前に行われるようになり、僕もいくつかの配信を見てきた。

配信でもそれなりに楽しめて、それなりの満足感はあった。

「これはこれでありだ、新しい楽しみ方ができたな」

そう思った。

配信には配信なりのメリットもあるだろう。

観る側はなんと言っても交通費や宿泊費がいらないし、どんな格好でも何を飲食しながらでもOKで、トイレ待ちの行列もない。

観る場所だって自由だし、見逃し配信もあったりするから観る時間だって自由といえば自由だ。

料金設定も低めだし、みんなが最前列センター気分になれるのもいい。

ネットワークの具合で映像が止まったり画質が落ちたりするということもあるだろうが、僕自身はそういうこともなく最後まで楽しめた。

アーティスト側からすると、大きな会場が必要ないとか、セットも大掛かりじゃなくていいとか、諸々の費用も抑えられるのだろう。

キャパの問題はないからチケットもある意味無限に販売できるし、ライブ当日ギリギリまで、見逃し配信であればライブ後でもチケット販売が可能だ。

ただし魅せ方には工夫が必要で、通常のライブではカメラを意識して歌うということはあまりないが、配信の場合は常にカメラの向こうの観客を意識して歌わなければならないから、いつもと違うやり方が求められる。

ステージがいらないから場所を移動しながら歌えたり、ドローンカメラとかアーティスト自身が自撮りするとか、いつもとは違う角度から歌っている姿が見られるのも面白いと感じた。

この魅せ方次第で配信ライブの面白さが何倍にもなるのだから、その点をうまく利用した魅せ方ができているアーティストは、この配信という形でもきっとそれなりにやっていけるだろう。

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今回、運良くチケットが当たり、久しぶりにライブを現場で観れることになった。

観客は席数の半分以下に抑えられているし、当然ながら観客は皆マスクをして会話も控えめにしている。

そんな違和感と久しぶりの現場ということでの若干の緊張感が会場を包んでいた。

ライブは立って観てもいいとアナウンスはされていたが、始まってからもほとんどの人が着席して観ている状態。

声を出すことはNGなので、身振り手振りやハンドクラップで盛り上げることしかできない。

アーティスト自身もMCで話していたが、みんなに呼びかけても声で返ってこないと、ずっと一人でスベっている人みたいな感じにも見えてしまう。

そんな違和感の中、気づいたことがあった。

「バンドの演奏、アーティスト自身の演奏と歌声、いつもこんな感じだった?」

今までより演奏や歌声の迫力を感じ、楽器を演奏している手元だったり表情まではっきりと見える気がした。

久しぶりの現場だからということもあったのかもしれないが、声も出さずに着席して観ていたからよりステージに集中していたんだと思う。

なんだかすごく心地よかった。

もともと音楽大好きだったけど…

音楽ってホントにいいな!  めっちゃ楽しい!

心底そう思った。

いつもは立ち上がって声援を送ったりしていて、体を動かしながら観ていたから、それだけ他のことに気を取られていたということなのか?

ギター・ドラム・ベース・ピアノ、どの音も体の奥底まで響き渡ってきて気持ちよかったし、歌詞も頭の中にスッと入ってきた。

きっと今まで、僕が気づいていなかっただけなんだろうけどねー

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コロナ禍でいつもと違う生活を余儀なくされて、そのせいでリモートワークとか新たな形を色々と体験するはめになったが、新たな発見もあってそれはそれで良かったこともきっとあるんだと思う。

新しい環境に順応して新たな良い面に気づけた人が、これからの新しい生活にも適応しながらうまくやっていけるのだろう。

僕もそんなふうにうまくやっていきたい。

(ハンドクラップのやり過ぎで翌日は腕と肩がめちゃくちゃ重かった。これには適応できない…)

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