『Silence is a commons / 静けさはみんなのもの』
前回の記事の続きで考えてることをもう少し。
ピクニックと同様、数年来ずっと屋上でなにかできないかなと考えている。
屋上でもっと「遊ぶこと」ができたらいいなと思う。
(屋上は)いつも快適に使えるわけじゃない。
雨が降れば、退散するしかない。風が吹けば、モノが飛ばないように大忙し。
周辺との調整をしなければいけない。
どこでも使えるルールがあるわけじゃない。
カルチャーとコミュニティが必要だ。
雨が降っても雪が降っても楽しむことができる強固なスターバックスと
雨が降ることはおろか、風が吹いたら楽しむのが難しいピクニック、屋上。
そういうことで世界は記述できるのか。
そういうあいまいな、ゆるっとしたコンテクストを束ねることで、
日常とか超日常とかチルアウトとか屋上とかで、世界は記述できるのか。
初めて行った人だけでなく、ふだんその街を歩いている人でもこんな場所があるのかという驚きが生まれる。
登ってみなければわからないし、一度登ってしまえば街に対する見方がほんのちょっと変わってしまう。
そんな体験が屋上の魅力の一つだ。
見方が変われば、その街がその人にとってちょっと特別な場所になるかもしれない。
街に関わりながら遊ぶことを考えたい。
屋上は建物にありながら街と繋がっている。
その場所で楽しく過ごすには、自分たちの空間だけよければいいわけじゃない。
周りを考えるきっかけ。街との繋がり。
屋上をいかにして自分たちの空間にできるか(好き勝手はしないで、場所をちょっとだけ、借りながら)
でも、都市生活ってそういうことだ。
どうやって豊かな都市生活を送ることができるか。
『Silence is a commons/静けさはみんなのもの』
孫引きで申し訳ないが、イヴァン・イリイチという思想家・哲学者の言葉でこんなものがあったそう。
そう。
静けさはみんなのものだ。
そんな価値観のなかで、いかにして楽しく豊かな都市生活は送れるのだろうか。
屋上を通して考えたいのは、そんなことです。
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