夢は現実、現実は夢

ぼくはついつい、店の経営を考えてしまう。だから今朝、テレビで評判だったローソンのこれを見つけたとき、いくつかある中で消費期限の一番近いもの(7日)を選んだ。手前にあった。他は9日だった。でも、廃棄処分が気の毒だから。

店は客があって「店」になる

ニュースで新橋の飲食店経営者が嘆いてた。

「20時までなんて、これじゃ夜営業するなっていうのと同じです。最低でも店の家賃、従業員の給与を補填してもらわないとやっていけません」

強烈な違和感を感じた。ただ、「人を狂わせるような熱量で襲いかかってくる『正しさ』」(金原ひとみ)だらけの世の中にならい、「正しさ」で彼を裁こうとは思わない。ぼくも小さな会社を経営している身だ。同じ立場である。では、どこに違和感を感じたのか。

店は客があって「店」になる。客がいなければただの不動産物件だ。まず、経営者として、ここを押さえよう。ぼくの哲学は、「JOYWOWにお客さんが来なくなったら、そういうことなんだから、店じまい」。

自分ではコントロールできない「何か」が決めてる。店や会社は永遠に続くことが良いわけではない。倒産の何が悪いのか。役割を終えただけである。そしてそれ(店の寿命)は人間が決めることではない。決められることでもない。ぼくは人間の寿命すら、自分ではコントロールできないと思ってる。「何か」が決める。

人は安定を求める。しかし、宇宙に安定などどこにもない。常に変化し続けている。ところが、「自分の店・会社を中心に世界は回ってる」と考えている人は「店・会社」を守ろうと思う挙げ句、安定しているかのように幻想を生み出す。幻想は、夢と同じだ。

夢は現実、現実は夢

夢の中で、「右に曲がってはいけないのに」と思っていると、必ず右に行ってしまう。「目覚めたくない」と、すぐに目が覚める。夢はコントロールできない。しかし、現実は、コントロールできる(と、思い込んでいる)。

つまり、ぼくたちが「現実」と言っているのは、自分にとって都合の良いように整えた環境である。ただし、整えたつもりになってるだけ。現実と思っているのは、実は夢なのだ。

夢は、自分の意識の地下2階に潜ませているサムシングを浮き彫りにする。つまり、夢こそ現実なのである。

コロナは、「つもりになっている」本来は夢に過ぎないものをバサーっと表に出す。

新橋の店は、「お客さんから必要とされてない」現実を突きつけられている。仮に閉店時間20時が22時になったとしよう。ということは、客が来店する可能性のある偶然頼み時間が伸びただけであり、その店を目指してやってくる客がいるのであれば、たとえ19時閉店になったとしても、確実に来てくれるはずだ。

テイクアウト、予約、近隣オフィスへのランチデリバリー、ネット通販・・・手は100万通りある。

夢の中に住んでいるという真実に気づかない限り、この店の繁盛は見込めない。そしてそれは、コロナが原因ではない

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