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その話、いつ終わる?

宴席。

「スイカのタネ、どうする?」という話になって。

ブーでしょ
ブーだよね

おもむろに営業のHさん、話し始めた。

「上司の◯◯さんとお客さんとこ行ったとき、スイカ出されたんですよ。ちょっと大きめ。これ、タネどうしよう。横にいる◯◯さんどうしてるかな、と横目で見たら・・・・バリッ、バリッ、バリッ、バリッ」

一同爆笑。

たったこれだけで、用が足りる。さすがベテラン営業マン、話がうまい。

一方、話の長い人がいる。もっかい言う。話の長い人がいる。

ちなみにこのTシャツ、邪悪なハンコ屋しにものぐるいのクラファン・リターン。クラファン成立後、雪が溶けて川になって流れてゆきます つくしの子が恥ずかしげに顔を出します・・・春が過ぎて、夏になってセミが鳴きます忘れた頃に到着した。

なんだっけ? ハンコ頼んだっけ? と開封したら出てきた。

これ、いい。MAIDOで着ていこう。話長い人多いから。

では、どういう人の話が長いか。

文章書けない人の話は長い。

逆に言うと、話の長い人は文章書かない。

どういうことなんだろう。

「話す」は便利だ。

「ローソンの隣に餃子の王将があって、王将の隣に酒屋リカーマウンテンがあって、マウンテンの隣に定食屋があって、定食屋の隣にスイーツがあって、あのスイーツ、いつ出来たんだっけ、ま、いいや、そのスイーツの隣に新しく出来た自転車グッズの店、知ってる?」

これができる。

でも、文章は建築物。

建築だから、先に何を建築するか決めないといけない。店舗なのか、一戸建て住宅か、マンションか、工場かで、必要な材料は変わる。
集めた材料を見て、屋根に使うもの、間仕切り用、基礎用、と、役割(用途)によって積み上げる順番は違う。言い換えると、役割で積み上げる順番は決まる。誰も屋根を基礎に置かない。

つまり、手元の材料=単語をただ並べるだけでも成立するのが「話」であり、1→2→3→4と順番決めた上で建築するのが文章なのだ。

「順番付けを意識しないまま」→ 話好きな人あるある。

先の事例を文章にすると、こうなる。

自転車グッズ開店。

文章は建築したあと、削除する。できるだけ、削る。読みやすいし、理解しやすいから。

話は、話しながら削除できない。一度言った言葉はそのまま存在する。
また、「聞いてる人が自分で理解してくれる」という期待もある。

結婚披露宴で学校の先生のスピーチが長い理由はここにある。先生ってのは、みんな自分の話を聞いてくれるという幻想に生きてるから、乾杯前でもなんでも気にせず、話す。長く。いや。「聞いてる人が自分で理解してくれる」ではなく「理解するのがあなたのためですよ」くらいに思ってる。

文章講座やってるが、話し方講座も必要かもしれない。

どちらも技能で、学ぶ必要あるから。

ぼくは人様の前で話す仕事を選んだとき、勉強した。
落語。歌舞伎。好きなドラマのシナリオ。
談志、志の輔、古今亭志ん生、古今亭志ん朝、第十八代勘九郎、クドカン・・・

特に落語は、スライドも何も使わない。話だけが武器だ。歌舞伎もそうだね。広い劇場の空気を、セリフで色づけしなきゃならない。

さて、どうエンディングしよう。

よそう。また夢になるといけねえ。

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