見出し画像

偶然が人生を動かす

偶然が人生を動かす。必然、ルーティンは動かさない。

ニューヨークで評判のオフ・ブロードウェイ・ミュージカル『デ・ラ・ガーダ』の当日チケットを買いに劇場まで行ったが、販売は正午からだった。

時間つぶしにユニオン・スクエア北のバーンズ&ノーブル書店に入った。ここは映画『ユー・ガット・メール』舞台になった。

1999年5月。ぼくは、ある商品のインターネット・マーケティングに悩んでいた。インターネットでマーケティングする、というのはまだ世間的には白紙に近く、方法論も何も確立していない頃だ。平積みの中から目に飛び込んできたのがこれ。

画像1

おっちゃんの丸坊主アタマ。やられたー! なんというとんがった表紙なのだ。手に取ると、ページめくるのがもどかしいほど。床に座って読み続けた。発売が5月1日だから、まだ3日しか経ってない。これは是非日本に紹介しなければならない。誰が翻訳する? 自分しかいない。その頃、ぼくは本を出版したこともなければ、そもそも英語の本をアタマからしっぽまで読んだ体験は数えるほどだった。まして翻訳経験、ゼロ。

この偶然がぼくの出版デビューにつながり、大ヒット、会社辞めて独立、翌年ニューヨーク起業へのドアになった。

ニューヨークから時を遡ること5年。1994年11月19日土曜日。初代「モーニング娘。」プレデビューイベントが心斎橋オーパで行われる。無名の子たちだからと応援のつもりで出かけたらとんでもない。大人気、チケットどころか、会場へ近寄れなかった。仕方ないから別階の紀伊國屋書店へ。平積みされてたのがこれ。発売直後。

画像2

この本でトムの大ファンになり、シリコンバレー(パロアルト)にある彼のオフィスへアポ無し訪問するまでになるのだが、それはまた別のお話。コンサルタントとしての「あり方」をイメージさせてくれたのはこの本との偶然の出会いだ。セス・ゴーディンもこの本は週に一回読み返す、と言っていた。

妻とはダンスのペアになったことがきっかけ(社内運動会で新人はダンスすることになっていた。いい時代である)。背の順番でペアを決めることになったのだけど、前から目をつけていた彼女と組むことになって、嬉しいやら恥ずかしいやら。これも偶然。

小室由歌利がたまたまぼくのメルマガ読者、「今度ニューヨークで宴会するので誰か参加しませんか?」と呼びかけたのに手をあげてくれた。それがJOYWOWへとつながっている。偶然。

世界は放っておくとスモール・スモール・スモールワールドになっていく。

スモールワールドは必然の世界。Netflixがおすすめしてくれるホーム画面の作品たちはすべてこれまでの視聴履歴に基づく。だから偶然の幸福な出会いというものは起こらない。

レンタルビデオ店をぶらついて、「あ、これ、面白そう」。借りて、観てみたら大当たりだった・・・そういう偶然は、いま、起こらない。興味関心の矢印はすべて、自分発信だから。映画観るのも、TOHOシネマズアプリで予約してから行く。「たまに映画でも観ようか」と映画館行って、それから作品を選ぶ、ということはまずしない。

会社での無駄話。

「人生最後の食事は何がいい?」

「ぼくは餃子ですね。ぜったい」

「うーん。フランス料理フルコースかな」

「食べたこと無いくせに(笑)」

「だからですよ! 人生最後くらい」

「寿司かなー」

「寿司はないっしょ!」

「えっ!? じゃあ、ヤマダは何さ」

「すき焼きです」

一同「ないないーーーー!」

・・・こういった、まさに「どーでもいいアホ話」があった。会社で。

廊下や自販機コーナーで偶然出会って

「おう、久しぶりやん。どう? 最近」

「それがさ、煮詰まってて・・・」

というのもあった。

ところがテレワークになったらこれらがすべて、無い。

「人生最後の食事につきミーティングします。ZOOMの会議室情報は***」→無いよね?(笑)

テレワークは必然のみ。だから、クリエイティビティは消えていく。処理や報告のみになっていく。

人生を開いたり、動かすのは偶然だ。偶然が起こるように環境を用意しておこう。昨日書いたように、新聞を紙にするとか、テレビを見るとか、あるいは無目的にぶらつくとかしよう。偶然こそが、ぼくたちの味方なんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?