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幸せの道は宝探しじゃない

「そのままの君が好きだから、口紅もしないで。もちろん、香水なんて、絶対いらないからね」

「この前、お店に連れて行ってもらったんです。カウンター中のご主人が、『いつも男ばかりと来てるけど、どうしたの? 今日はきれいなお嬢さん連れて、びっくりするなあ!』と言ってくれたんです」

「でも、昨日、わかっちゃったんです。奥さんともうすぐ離婚成立する、と言っていたのが大嘘だし、彼女もいっぱいいるって・・・。私に口紅とか香水つけるなというのは車でにおいが残らないよう、アリバイ作りだったみたいで(泣)(涙)」

・・・・って最初からわかってるやん!!(笑) と思わずツッコミ入れたんだけど。彼女はJOYWOWやMAIDOの仲間とは全く別の、プライベートな知人の知人。可愛い子なんだけど、「幸せの道」を歩いてない。彼女は、歩いていく先のどっかに宝が埋もれている宝探しのイメージでいるみたいだけど、違う。彼女が歩いているのはゴミの山なんだ。ゴミの山のどこかに埋もれてるからその宝を見つけなきゃ、と思ってる。ゴミはゴミなんだよ。宝なんて、どこにも埋もれてない。

幸せの道は、行くところ、行くところ、宝ばかり。試しに彼女が歩いてみるとする。同じ道を。でも「え? 葉っぱしか落ちてないですけど・・・」と言うと思う。でもその葉っぱが宝なんだ。

ぼくはよく雲見をする。宮沢賢治『蛙のゴム靴』。

ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三匹は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見というのをやっておりました。

これにならって、ぼくはよく雲見やる。
これは昨日。

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これは今朝。

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曇っていたらくもっていたで雲見てて幸せだし、今朝のように晴れてたら、晴れなりの雲が動いて幸せ。

幸せの道は、幸せしかない。幸せしかないけど、でも、一見、「え!? 宝って、どこにあるの?」でも、葉っぱが宝に見える視力が、幸せなんだ。

不幸せの道は、ゴミばかりに見える。葉っぱはちゃんとあるのに、ゴミにしか見えない。キラキラの宝がどこかにあると思ってる。ない。100%ない。

そう。幸せの道って、視力の問題だけ。宝探しじゃない。

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