自然音をとりもどす
「製品」といえば聞こえが良いが、やがて「ゴミ」になる。
要するに、製品とゴミはコインの裏表、一つのものだ。
産業革命以降、人間は、天然資源(natural resources)を工場のためのもの、ととらえてきた。現在もとらえている。ほんらいはナチュラルなものなのに。
スマホを動かし、車を駆動させ、エアコンを働かせるための電力。電力を作るために水力、火力、原子力を使う。
アイヌ語に「音楽」はないそうだ。祈り、楽しむための楽器演奏、歌・・・音にあふれているのだが、「これが音楽」と定義されている意味での音楽は、ない。
ぼくたちとは違う音との姿勢がそこに現れている。鹿の発情した鳴き声、白樺の樹液の奏で、森の囁き、風の怒り、豊穣への祈り・・・
都市化とは、言い換えれば、自然音との遮断だ。
いまぼくがこれを書いている部屋で聞こえる音といえば、加湿器の音だけ。時折、キッチンの換気扇を通してワンブロック北でやっている建設工事現場の音がもれてくるくらい。
技術の進化のおかげで、「遮音」は格段に性能向上した。
窓は室熱の50%を逃がすというので、断熱性能が求められ、メーカーの技術進化により、格段に高まった。同時に、遮音性能も上がった。
代わりに、自然音を失った。鳥のさえずり、風の音、太陽の音、月の音・・・
都市で耳にする音といえば、コンビニに入店したときのジングル、BGM(騒々しいおしゃべりや広告)、車の走行音、バイクの騒音、信号の音・・・
いま、3Dバーチャルショップのクリエイティブ・ディレクションを手掛けている。
現時点、世の中にある3Dバーチャルショップはぼくの知る限り、リアル店舗をなぞるコンテンツしかない。
だったらリアル店舗でいいじゃん。
2Dから次元が1つ増える、ということは、人間の原始脳に訴えかける感情を揺さぶる体験が可能、ということであり、ぶっ飛んだ発想でいきたい。
その鍵となるのが、産業化・工業化の中で捨ててきた貴重な天然資源、「音」だと考えている。さらに技術が進めば、「触わる」や「におい」もこれに加えたい。
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