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うまくやれることだけをやる

おそらく、前世のどこかで僧侶だった気がしてならない。それはお坊さんのように知恵があるとかそういうカッコいいものではなく、ただ単純に掃除が好きだから。部屋の掃除のみならず、トイレ掃除、風呂掃除大好き。食器洗いも好き。食器洗いの鍵は洗ったあと、いかに早く水気を拭うか。だからわざわざ中川政七商店の花ふきんを取り寄せてる。

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才能というのはそういうものじゃないかと思ってて、ぼくの場合はせいぜい掃除好きとか洗い物任せて、という話なんだけど、たとえばイチローは1000年くらい前から球投げたり打ったりしつづけ、その結果、今生のあの実績につながってる。バイオリンの天才は3歳から天才で、それは生物学的には生まれてたった3年なんだけど、生まれるまでの1000年間、繰り返しくりかえし音楽やってきてる。1000年磨いた結果の今生の才能。だから「うちの子も3歳からバイオリン習わせようかしら」と言っても次元が違う(笑)

才能はだから今生のぼくたちに責任ない。ではどうすればいいかというと、「うまくやれる」ことって、1000年かけてやってきたことだからどんどんやればいい。でも、「どうやったってうまくやれない」ことは無理してやる必要ない。やめたほうがいい。限りある人生の時間、「うまくやれる」ことをやるためにある。ぼくの場合は弦楽器。ギターだのベースだのウクレレだの、どうやったってうまくならない。1000年後の自分のために、今生を一学期として始める、という手もある。しかし、それより、「うまくやれる」ことをやって楽しんだほうがずっと楽しいよね。

努力の扱いなんだけど、努力しなきゃできないというのは、やらなくていい、ということだと思う。努力しなくてもできることだけやる。

新しいことを始めた。韓国語単語の書き取り。日常会話に出てくる言葉は韓流ドラマのおかげでなんとなく増えつつあるんだけど、でも、ハングルが書けなかった。書きたくなった。

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昨日から始めたんだけど、ぼくの中にルールがあって、というかこのルールも昨日決めたんだけど、1つ始めたら、2つそれまでやってたことをやめる。

そうしないと、増える一方で、生活がめんどくさくなるから。

韓国語書き取りを始めたので、1つは、「ある人(名前は特に伏せます)の話をYou Tubeで聞いて勉強する」をやめた。その時間に書き取りする。もう1つ何をやめるか。昨日から考えているんだけど、出てこないんだよ。このnoteやめるのもいいかもしれない。今日で連続投稿247日目とかになるはずだけど連続投稿が目的じゃないし、価値を感じないしね。連続投稿はあくまで「結果」であり、「目的」とは違う。

まあ、明日朝も「降りてきた」らnote書くんだろうなあ。だとすると、noteをやめるのはやめよう。何をやめようかなあ・・・と考えるのをやめることにします(笑)

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