葉っぱと欲の二人連れ

日常、ほんのちょっとしたことに喜びを感じる。

雨が降って「おしめり」もらった。なんだかトクした気分。

朝イチに会ったマンション管理人さんの笑顔が素敵だった。

今日もごはんが美味しい。水ですら、甘い。健康で幸せ・・・

葉っぱが舞い降りてきた。それだけで、ハッピー。

映画『ソウルフルワールド』で葉っぱがとても重要な役割をする。「きらめきがあるからいい、きらめきを探すのが人生の目的だ」と、誰しもつい思ってしまう。でも、何か特別なきらめきなんてなくて良くて、見上げた空の美しさ、楽しそうな子どもの笑顔、舞い降りてきた葉っぱ・・・これらすべてが喜びで、人生の素晴らしさ、生きていく楽しさなんだ。

ここまではみんな賛成してくれると思う。こういう幸せ観を「葉っぱ」と呼びましょう。葉っぱ。

ところが、これでとどまってしまっていることが多い。いや、これにすら気づかず、ぶすっとしてる人はいるんだけど。

さて、今日のお話は、ここから。

葉っぱだけではまだ足りない気がする。では、何が必要かというと、「欲」。性欲、物欲、出世欲、お金欲・・・これらすべてがたいてい否定される。「執着してはいけません」とどこのお坊さんもおっしゃるけど、お坊さんご自身が「執着してはいけません」に執着してるんじゃないかというくらい(笑)

欲は捨てなさい・・・ホンマか? ほかの人はわからないけど、少なくとも商人(あきんど)に「欲」って必要ちゃう?

ちょっと話は逸れるんだけど、商いの神さまって、いると思ってる。そして時代の潮流に合わせて、神さまの「マイブーム」が都度、変わる。

戦後間もない頃の神さまのマイブームは「とにかくモノをたくさん作って、滞りなく流通させ、日本の経済復興を果たす」だった。なのでそれにマッチした松下幸之助さんは成功した。ソニーもホンダも成功した。

バブルの頃は「まあ、これまで日本人は質素倹約をずっとやってきたから、一回くらいは無駄な贅沢してもええんちゃう?」というのが神さまのマイブームだった。そういう経済になった。

ぼくが何か企画するとき、「四方良し」で考える。近江商人の三方良しは「売り手良し、買い手良し、世間良し」。売る人にとって良し、買う人にとって良し、そして社会にも貢献しなければ商いはあかんよという意味。これに「神さま良し」を加えて「四方良し」。ぼくの商いの神さまは大阪弁なので、「神さん」と呼んだほうがイメージぴったりくる。ちなみに大阪弁の神さんといえば、ガネーシャが有名だけどあれとは違う。

企画する。神さんに「どうですか?」と聞く。すると「めっちゃええやん! おもろいやん、自分、天才ちゃう?」という返答が返ってきたらその企画は当たる。ところが「しょーもな。自分、ホンマ、どーしょーもないアホやなあ」という時もある。そっちのほうが多い。

で、その「めっちゃええやん!」返ってくる企画に共通しているのが「欲」の入ってる企画やねん・・・ついぼくも大阪弁になってしまう。

令和&コロナの今の時代。神さまのマイブームは「葉っぱと欲の二人連れ」

欲にも不健康なやつがある。いわゆる法律であかんよ、と禁止されてることをやってまで手に入れるとか(銀行強盗とか、振り込め詐欺etc)。それはやったらあかん。あくまで正々堂々と、健康的に。

健康的な欲は、商人にとって義務だと思う。商人が儲けてもうけて儲けまくった結果、納税する。その税が社会を動かしていく。商人が買い物する。その消費が経済を回していく。自分の欲しいモノもロクに買えないような商人は、まだまだひよっこだと言っていいよ。買おう。買いまくろう。それが経済を健康的にする。

そして、NPOに多いのが、葉っぱだけ、良き意図だけ、というやつ。NPOが長続きしないのは、「善意」の上に組み立てられるから。ところがやがて「善意」は「犠牲」になっていく。そして終わる。

ミュージシャンもそういう「葉っぱだけ」な人が多いね。「自分は音楽を楽しめたら、それで幸せなんです」そこを越えよう。ビートルズも、欲があったからこそ、たった7年で世界を変えた。矢沢永吉。彼の欲のおかげでぼくたちは素晴らしい音楽を楽しめる。

葉っぱと欲の二人連れ。これで行きましょう!

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