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「と共に」ある姿勢

ミツバチの前に蜜をいっぱい盛った大きな皿を置く。ミツバチは蜜を吸い始める。お腹いっぱいになったら、そこで吸うのをやめ、飛び立つ。これが人間なら「今度いつ蜜にありつけるかわからないから、吸えるだけすっとこう」となる(笑) ミツバチは自分のお腹の容量と共にある。人間は「実際には存在しない将来への不安」に動かされ、自分のお腹の容量と共にはない。

*ミツバチを知らない人のために。こんな感じです。

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トカゲはお陽さまで暖かくなった岩でお腹を温める。温めるだけで、「これが温かい理由は空にある太陽から来る光線である」とは考えない。人間は考えて、「太陽」→「岩温まる」→「オレのお腹、温かい」と因果関係で結ぶ。さらに「では、太陽そのものを手に入れたら、ずっと温かいんじゃね?」と考える。そして「これこそが科学的思考だ」と偉いつもりになる。トカゲはそもそも自分のお腹に当たっている物体が「岩」だということすら、認識しない。人間は岩を認識する。だから偉い、とするのがこれまでの「科学的」思考だが、ホンマにそうか? トカゲはお腹が温かいと共にある。人間は不要な「太陽を手に入れたい」という「叶わぬ夢」を生み出すだけで何とも共にない。

商売の達人に、達人たる秘訣を学ぶためお話を聞かせていただいた。商売だから、うまくいくときも、下がるときも、もちろんある。達人の話で印象的だったのは「自分のお金やないし」「いまのこの現実がすべて」。

自分のお金やないし;お金は自分の商いを「通過」する循環であり、コントロールできない。お金を「通貨」とは良く言ったものである。そういえば、英語ではcurrency。あれも流れを指すね。current(現在)と語源を同じにしている。要は「いま・ここ」。

いまのこの現実がすべて;人間のアタマで考えた因果関係なんて何の役にも立たない。

ミツバチ、トカゲ、商売の達人に共通するものは「と共に」の姿勢だ。「いまのこの現実と共に」。

東京會舘。関東大震災の10ヶ月前(大正11年)にオープンし、被災した。平成23年の東日本大震災も被災した。さらに戦争に伴い、建物が2度、自分たちの手から取り上げられた(大政翼賛会とGHQ)。その歴史の流れ「と共に」ずっとあり続けている。訪れるお客様の思い出と共に

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環境は自分では作ることができない。今回のような地球規模のパンデミックが来ようなど、予想した人は誰ひとりいない。そしてこのパンデミックがいつ終わるか誰にもわからない。緊急事態宣言が出ようと、渋谷は人で溢れかえっている(2021年5月29日現在)。手洗い、うがい、消毒剤、マスク、みんなしている。外出も控えている。宴会やらない。テレワーク中心にしてる。それでも感染者は減らない。ほら、パンデミックでわかるように、因果関係は成立しない。因果は捨てていい。

ならばどうするか。「と共に」あるしかない。あがくのは無駄なのであり、「と共に」ある姿勢。

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