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大河の流れに気づき、身を委ねよう

カルマの法則というのがある。「カルマ」はサンスクリット語で「行い」という意味。

たまたま入ったラーメン屋のおやじがすっごく愛想悪く、しかも破壊的にまずかった。これはあなたが前世で同じことをそのおやじにやったカルマです・・・ウソだ(笑) 

そんなもん、何とでも言えるし、すべてに当てはめられる。マスクして満員電車でひーこらしてたらハイヒールに踏まれた。イタタタタタタ! 「それはあなたが前世で・・・」違うって(笑)

この、「因果で結ぶ」カルマの考え方は、実のところ、日本人に限らず、人類全般に広く染み渡ってる。仏教やヒンズー教では、ぼくたちが肉体を持って生まれてくるのは過去生のカルマ蓄積を解消するためであり、善行を重ねることで、カルマが消えるとする。すべてのカルマが消えると、もう肉体を持って生まれてくる必要がなくなる。ユダヤ教やイスラム教、キリスト教の精神的ルーツ『旧約聖書』にも、こんな文章がある。
「人の血を流す者は、人に自分の血を流される」(『創世記』9章6節)

人類の潜在意識地下2階に共通して染み込んでいるカルマの法則、これって、楽しくない。下手するとこれでツボや数珠を買わされる人も出てくる。

それより、人生を動かす原理というものがあって、それをぼくは大河の流れと呼んだ。

生きてると、そりゃいろいろある。○とかバツとか、こまごましたものの蓄積が人生だ。それらのいちいちに因果や理由をつけても、結局は「犯人探し」になってしまう。楽しくない。しかも「過去生」のことを言われたって、検証のしようがないし、どうしようもない。こまごましたものを一旦横に置いて、自分の大河の流れ(全員、持ってる)に気づき、その流れにゆったりと、笑顔で身を委ねる。風が順の時も逆の時もある。あるけど、それはすべてスパイスであり、味わいだ。

そして大河の流れに身を投じると、共時(シンクロニシティ)が起こる。会いたい人や手を差し伸べてくれる人、今必要なものの見方、場合によっては資金や時間が、「なぜか」やってくる。そこにカルマのような因果関係は結べない。ぼくは理系思考をする人間だ。理系思考というのは、論理をつなぐ。しかし、「大河の流れ」や「共時(シンクロニシティ)」については論理をつなぐことはできない。できないけれど、確実に存在している。そして、楽しく生きようと思えば、大河の流れのほうがいい。何しろ、楽なのだから。

「もっと賢く、もっと知識を増やす」ことが成功への道だと長く思われてきた。ビジネス書がその典型だ。しかし、違う。成功と「賢さ」「知識量」とは何の関係もない。それより、素直であること、明るいこと、こまごま気にしないおおらかさこそが、大河の流れに気づく秘訣であり、一旦気づけば、あとは何もしなくていい。

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大河の流れはあなたにも、あります。全員にある。気づいて、身を委ねましょう。楽だし、楽しいし、思わぬ出会いが生まれますよ。

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