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キースがテレビを放り投げる

キース・リチャーズがベランダからテレビを投げ捨てる若き日の自分の映像を見ながら「カメラが回ってたからね。バカなことをしたもんだよ」と恥ずかしげな表情をした。

つまり「聴衆を意識して意図的にバカをやったことが恥ずかしい。いやー。若気の至りでして」というわけだ。

でも、SNS時代、多くの人が、これと同じことをやってるんじゃないか?

パフェ、パンケーキ、コーヒー、うどん、餃子、カレー、あるいは高級フレンチ、イタリアン、和食・・・テーブルに持ってきてもらった。でも、提供されてすぐにいただくことをせず、スマホで撮影。「食レポ系」YouTuberなら、食べている姿も映している。

それって、カルマ(=業(ごう))を新たに創っている。

何かを得ようとしてする行動は、新たな業を創る。
なので、何かを得ようとするのではなく、ただその行動そのものを楽しむ。

瞬間を、喜ぶ。

仕事と遊びの違いは、「何かを得ようとする」のが仕事、「やっているその瞬間を楽しむ」のが遊び

昨日、シングルマザー就労支援をミッションとするNPO法人JW-UPの活動で、こども本の森中之島へ行った。子どもたち含め、総勢14名(子ども5名+大人9名)。

暖かく、良い天気でした

入れ替え制になっていて、滞在できる時間は90分。すぐに飽きて出るだろうと思っていたら、あに図らんや、全員、最後まで図書館にいた。

ぼくも楽しんだ。面白い本との出会いもあった。

直訳すれば、『アートは動詞』

貸し出しはしていないため、その場でスマホのアマゾンアプリで、購入した。

この本が言っていることは、要するに、「動詞こそがアートを創る」。

だからといって、難しいことじゃない。ただ、「朝起きる」「歩く」「ギターを弾く」・・・といった何気ない動詞。これらがアートを創造する。これって、禅。

図書館で各自、出会い気に入った本を読む。楽しかったね、で、帰る。
本を貸し出ししていないのは、とても良いね。本との出会いも一期一会で、その瞬間の楽しさだから。

仕事を遊びにしよう。

何かを得るためではなく、瞬間を楽しむ。
だからといって、お給料やギャラを求めてはいけない、ではない。仕事というのは、誰かのお役立ちする価値提供で、その価値は目には見えないから、プライシングするわけで。だから報酬を受取るのと、カルマになる「得る」とは別の話。

冒頭書いたように、ややもすると、現在の社会的空気感が、「キースがテレビを放り投げる」方に行っちゃいそう。だからこそ、「遊ぶ感覚」を、「瞬間そのものを楽しむ」ことを、大事にしたい。

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