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MEZAME

仕事をする、と言っても、別に来年の計画を立てるとかではない。

今日2本めのnoteだけど、映画観たり、ウクレレ弾いたり、草もち食べたり、水飲んだり、日課の筋トレしたり、掃除したりして遊んでる。

ぼくの哲学、世界観は根っこに禅がある。だから、こう。

未来は予測できない
計画を立てても、意味ない
すべて「結果として」現れるのみ

「一年の計は元旦にあり」というが、ぼくは、ないと思う。
2022年元旦に計画した通りのことをやった人がいたらお目にかかりたい。

だから、もし孫が生まれても、「大きくなったら、何になりたい?」というような愚問は問わない。

なりたくてなるんじゃない。
結果として、なる。

リ・スキリングとかジョブ型雇用とか目にする。
「ジョブ型雇用で20代は不利になる」とかいう見出しが踊る。
いったいいつまでこんな「スキル偏重」の考えなのか。
人間をマシンとみなし、その性能で論じる。

あれができる、これに強い

というのは、人間の一面を見ているに過ぎない。

あれができない、これに弱い

も人間であり、一番大切なのは、目には見えないし、表には現れにくいがその人の意識だ。

そして、現代は、特に若い人から大きな意識の変容が生まれてきている。世界中で。

そして、組織やチームのパフォーマンスは、意識が生み出す。スキルではない。

だとすると、旧来型の・・・『ティール組織』風に言うなら・・・スキル依存のオレンジ組織には人が集まらなくなる。

意識の変容は間違いなく、地球を良い方向へ導く。
そして、そういう、「目覚めた」意識の人たちが作る組織やチームは、「未来予測」や「計画」を捨てる。それより、もっとホーリスティックに、全体観というか、自然の生命体に近い動きをする。

よくある話はこんなだろう。架空のA社にて。

「課長、今朝NewsPicks記事で見たんですけど、そろそろ夏の準備を始めたほうがいいかもしれません」
「お前はいつもそうだ。それで早すぎて在庫増やすじゃん」
「・・・・」
「まあ、どうしても、というのなら、エビデンスを添えて、いいか、数字の根拠がいるぞ、企画書を週末までに出してくれ」
「今週ちょっと立て込んでるんで、週明けでいいですか」
「いいよ」
課長→部長→役員4人→社長決済が済んだ頃にはお盆休みが始まり、そろそろ秋の気配である。

セミは誰の決済もなく、「そろそろオレの出番だ」と、鳴き始める。
ひまわりも、一斉に咲く。
雲は夏バージョン「入道雲」へと変身する。

A社は現実無視、社内手続きだけが重視される。そこには人の意識や「なんとなくそんな気がする」という直観は入る余地がない。

ところが、自然は「何らかの意識」で動いている。セミの意識、ひまわりの意識、雲の意識・・・・。

意識変容が起こり、目覚めた人たちが、新しい世界を作らないはずがない。

MEZAME、楽しみだ。

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