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はなればなれのデュエット


紫陽花と蝉の声

 数年前の5月31日。季節はまだ春と呼べるのに、その日はうんざりする程に暑い日だった。まだ梅雨入りさえしていない晴天で、空気は夏のような熱気を帯びていた。田舎まちの最果てへ向かう電車の途中の停車駅で、自動ドアが開いたホーム脇に紫陽花の花が見えた。その奥の青々と茂った木々のどこかからは、蝉の鳴き声が聞こえた。6月にもなっていないその時期にまさかもう紫陽花が咲いていて、蝉が鳴いているとはにわかには信じられなかったから、いつもより一際早く夏の訪れたその年の記憶は鮮明に残っている。

 仕事の休憩中に彼氏から届いていたメッセージを見て、僕はその日働いていた仲間に事情を説明して早退し、ローカル電車に飛び乗ると、彼氏が待つ駅へと向かった。今朝、彼の弟が自ら命を絶ったという知らせだった。

かなしみの正体

 彼の弟とは面識がなかった。会話の中で話題にしたことはあるけれど出会うことはなかった。最初で最後の対面は棺の中に入った姿だった。仕事に就いてもうまくいかず、オンラインゲームに時間を費やしているのを諭す彼にそのゲームを取り上げられて、自暴自棄になり少ししてからの出来事だったと言う。
 そのオンラインゲームを弟がプレイするようになった経緯には少しだけ僕が絡んでいた。僕が始めたそのゲームを彼がやるようになり、しばらく実家に戻っているその間に彼が弟にも勧めて遊ぶようになったらしい。
オンラインゲームはハマると抜け出せない遊びだということを以前に身を以て体験している僕は、彼がその時間を強制的に失うことになった時の喪失感がわかるような気がした。ゲームをしている時間以外にどうしようもなく襲ってくる無力な自分への絶望、将来を想像できない恐怖感とそれにどう対処したらいいのかがわからない混乱は、順風満帆に生きてきた人間には理解できない感情だ。
 同時に弟と僕が出会っていれば、似たような境遇に陥ったことのある自分は、もっと何かしてあげられるようなことがあったんじゃないかと思いもした。そんなことはひとりよがりの身勝手な妄想であるのは重々承知だった。僕以上に計り知れない深い苦しみを背負ったのは、弟を失った彼氏とその母親なのだ。
 その苦しみをや悲しみを支えられたらいいと思っていた。何かをしてあげたいと思うことすらも本当は傲慢なことのようにさえ感じながら。それでもその悲しみを抱えた彼を守っていきたいと思った。そう誓ったはずだった。

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優しさにかたちがあるなら

 彼は元々底抜けに明るくて自分の感情をその場その場で表現していくタイプの人間だ。例えそれが繕いだったとしてもほとんどの時間を笑って接してくれた。怒りに震えると一瞬で噴火し、思いの丈をぶつけてくる。自分で死ぬことを選んだ弟に対しては、なんでそんなことしたんだよ、と兄弟思いの兄が弟を叱るように寂しそうな顔をして呟いた後に、小さく笑った。ふとした瞬間に崩れ落ちて大泣きすることもあった。だけど悲しみに暮れているだけの人ではなく、それを反動に強く生きていこうとしていた。

 その彼の必死に前を向いて生きようとする姿がどうしようもなく苦しくて切なくて、泣きたい気持ちが抑えられなくなってしまったのは僕の方で、彼とは別の独り善がりな苦しみを抱え込んだ気がした。
どうして彼がそんなつらい想いをしなければならないんだろう、そんな彼と一緒に暮らしていく自分に自信が持てなくなりかけていた。

 弟が亡くなるまで僕と一緒に住んでいた彼は、弟と二人暮らしをしていた母親をひとりにしないために母親の元へ身を寄せるようになり、週に少しだけ二人の家に戻る生活になった。一人でいることが増えたのは少しだけ僕の気持ちを楽にさせた。

 その後しばらくして別れ話になるのだけれど、どうして別れることになったのか、決定的な出来事は正直覚えていない。
ささいなことで喧嘩をしたのかもしれない。僕自身が、弟を亡くした彼氏という存在に重圧を感じて距離をとってしまったようにも思う。
口では支えになりたいだとか聞こえの良い言葉で自分に言い聞かせても。お酒を夜遅くまで飲むようになって、浴びるように飲んで二日酔いで倒れる日が増えた。友達との約束で出かける僕を「行ってらっしゃい」と送り出していたのは彼なりの優しさだった。そんなことにも気づかずに「行ってきます」と行って夜の街へ繰り出した。知り合いも増えて、お酒を飲んで騒いでいると、悲しい思いをしなくてすむことに気楽さを感じずにいられなかったのも覚えている。
後悔しても遅いけれど、彼は自分の悲しみを僕に伝染させたくなかったに違いない。本当は逃げずに彼と一緒にいたら良かったのに。
 それから僕は、彼から逃げてしまったんだと無意識の中で少しずつ自分を責めるようになった。支えになりたいと思っていたのは、果たして優しさだったのか、思い上がりだったのかさえわからなくなった。

思い出にすること

 蜃気楼のように揺らめく紫陽花を、電車の外に眺めたあの夏の始まりからちょうど一年後、長らく過ごした部屋を引き払った。
一緒に暮らしたその部屋では、職場の人や友達を集めた飲み会を個々に開いたり、すぐそばにあったレンタルショップで借りた映画を一緒に見たりした。捨て猫を引き取って僕の実家に連れて行くまでの一週間くらいの間、一緒に育てて子育て中のカップルの気持ちになってみたりもした。
ありふれた日常だったけれど、愛の言葉をいとも簡単に口にしてくれる明るくて率直な彼のおかげで、深い愛情に包まれて過ごせた場所だった。

 最後の日が近くなると、彼は僕の荷物を実家に運び出すのを手伝ってくれた。少しの間、我が子のようにしてふたりで育てた子猫に会った彼は、久々に会った子の名前を呼びながら抱きかかえて頭を撫でて少し涙を流して、また笑った。それを見て、僕も泣いた。
 それから彼に再会するまでは長い時間がかかった。彼が抱えた悲しみも僕がそれに呼応するように感じたすべての想いも、お互いに思い出に変えるためには時間が過ぎる必要があったんだろう。
 再会したのは僕が東京に引っ越してからのことだった。
3人兄弟のもう一人の、いちばん年下の弟を連れて旅行に来た少しの合間に会うと、彼はまた、一緒に過ごした時のように笑顔を見せてくれた。
亡くなった弟とは会うことはなかったけれど、もう一人の弟に会わせたい、と連れてきてくれたのは、僕にとっては何かの赦しだったのかもしれない。

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さいごの恋文

郊外の1Kの部屋に住んでいた頃に君と出会って、しばらくしてから駅まで徒歩1分の大きな交差点のそばのその部屋に、一緒に住むことが決まったね。
それまで出会ったことがないくらいに、そばにいる人を笑顔にする力を持っていた君のおかげで、僕は幸せな時間を過ごせました。
しばらく会うことは出来なかったけど、君がとなりにいない日常にも慣れて、三年近く経ってから再会して、君の笑顔を見たら。
君も僕も、もう大丈夫かな、なんて。わずかながらに疑問だけれど、そう思うことができました。

 今年も道端にあの花の蕾がつき始めたのを見つけて、いつも笑顔だった君が泣いていた夏を思い出しました。
君はとっても素敵な人だから、僕が知らない生活の中で悲しみを癒してくれる誰かと出会い、その人を幸せな気持ちにしているに違いないと思います。別々の道を進んでいるけれど、今でも君と過ごした思い出に、僕は勇気づけられています。

優しくしてあげられなくて本当にごめんね。
一緒にいられなくなっても、負けないでいるよ。

本当に本当にありがとう。



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