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宿泊施設運営事業の終了の背景。終了に際して想うことも書き留めておきます。

2024年5月27日(月)のチェックアウト手続きをもちまして、HafH Nagasaki SAI は閉館いたします。これをもちまして、旅のサブスクサービスHafH(hafh.com) を運営する株式会社KabuK Styleによる自社宿泊施設の運営事業は、すべてクローズとなります。

※ Cafeの営業は5月27日(月)の11:00(L.O 10:00 )までとなります。


なぜ長崎で運営事業をやっていたのか?

起業の経緯

2017年、わたしは投資銀行で忙しく仕事に没頭しながら、30代をどう過ごすかを考えていました。世界中を飛び回り、数百億円、時に数兆円のお金を動かす仕事はとてもエキサイティングで充実していたことは間違いありません。しかし、10年を超えて、つまらなくもなっていました。社会にインパクトを与えているとは思っていましたし、レギュレーションを変えてしまうような新しいプロダクトづくりにもチャレンジしていました。でも、数兆円が記載された契約書にサインしようが、デジタル上で数億円が瞬時に飛び交う決済をしていようが、手触り感がなかったんです。

当時、投資用不動産が盛り上がっていました。私も住宅やホテルへ投資しながら、もっと効率化できるなぁということをボンヤリと考えていました。世界中のホテルに泊まっても、予約時に名前も電話番号も伝えているはずなのに、なんでもう一度チェックインの時に紙に書く必要があるんだろうとか。一般的に2年といった長期契約することに、オーナーの立場からは安定した収入が得られるとして馴染んでいましたが、借りる人からすると面倒だよなとか。

ずっとお金に携わる仕事をしてきたので、お金を稼ぐことに難しさを感じることはなくなっていましたが、同時になんだかつまらなさも感じていました。きっと、起業していくのは自然な形だったのだと思います。そして、やるからには、大きなインパクトを残すチャレンジをしなくてはとの覚悟もやればやるほど大きくなっていくことになります。

本社機能としての役割

大きなインパクトのあるチャレンジをしたいと考えている一方で、やり方にもちょっと変なこだわりがありました。普通と同じことは大嫌いな性格なのか、とにかく性分から、30歳を過ぎて若者というほどでもない中で、東京で起業するのはイマイチ普通だなと思ってしまいました(これが良かったのか悪かったのかは今でもわかりません)。始めるなら東京から一番離れているほうが面白い!中学高校時代を過ごし、明治維新のようなストーリーもあり、観光資源が最初からある長崎は、私にとってベストな起業の地だと考えたのです。名刺を出すと、「長崎からよくきたねー」と言っていただけるのは、アイスブレイクトークとして間違いなく機能しており、有効だったと思います。

長崎で期待していたことは3つ。
一つ目は、長崎にスタートアップなど存在しないどころか、上場企業が一社もない唯一の都道府県であることから、ようはチヤホヤしてもらえるだろうと思っていました。二つ目は、カジノ構想に手をあげることが期待されており、洋上空港のため24時間化もできるし、大型船が停泊でき、新幹線もまもなく開業したら大阪から長崎行きもできる。地理的に、韓国や中国が近く、アジアのビジネスハブとしてもちょうど良い場所にあるからこれから発展していくポテンシャルにかけようと考えました。最後三つ目は、地方から世界を変えるようなスタートアップできたらカッコいいだろと、思い上がってました。結果的には、2018年2月の設立から6年を経て、どれも期待した効果は得られなかったという結末を迎えます。

当社は、設立当初から全員がフルリモートワークで仕事をする組織でしたから、集まる物理的な場所があるというのは重要なことでした。年に2回ほど、場所を変えてブートキャンプを行っていましたが、HafH NAGASAKI SAI では過去に2回行い、自分たちで設計しているだけあって使いやすく、居心地がとても良かったです。まさに、自社のオフィスを兼ねていました。

2022年7月にNAGASAKI SAIで行われたブートキャンプの様子

旅行予約サービスを立ち上げることの困難さ

世界中に広がるサービスにしようと考えていました。世界中の多くの人に使ってもらいたいと。しかも、最高速度でそこへ到達したいと。しかし、自社運営施設だけで拡大していくにはどう考えてもスピードの限界があります。インターネットサービスに振り切った方が良い。

しかし、同時に旅行業界でも宿泊業界出身でもない私が、新しいサービスを作ったとして、宿泊業界の皆様にすぐに参入いただくイメージもどうしても湧きませんでした。そうであるなら、運営施設はあったほうがいい。二つを同時にやろうと決めました。幸い、資金調達することには一日の長がありましたので、不動産を購入して宿泊施設をつくること自体は十分に到達可能な目処をたてることができました。あとはどうインターネットサービスを立ち上げていくかです。

結果、この決断は正しかったと今振り返っても思います。新しいサービスを立ち上げるにあたって、私たちが何を体現したいのかを表現しておくことは大事です。なんだか違うサービスを立ち上げているんだなということはお示しできました。また、宿泊施設を運営する上での困りごとも自分ごととして理解することができました。

宿泊施設が掲載されていない予約サービスを誰が使うでしょうか?誰も使っていない予約サービスに宿泊施設が掲載を許可する理由はなんでしょうか?自分たちだけで完結せず、BtoBtoCタイプなど他者に依存するサービスを立ち上げる時、鶏と卵のジレンマの中にいます。これを乗り越える術はいくつかあると思いますが、私たちのアプローチは自分でモノをつくってしまうということでした。

終了する理由

築57年。実はもう建て替えが必要な時期

トップの写真は、HafH NAGASAKI SAI への回収直前の写真です。昭和42年築の鉄筋コンクリート造の建物です。築57年。もちろんもう少し続けることは可能ですが、大雨のたびに雨漏りし、どちらにせよそう遠くない将来には建て替えが必要であると考えていました。当初は10年以内を目処と考えていましたが、7年目での判断となりました。

本社機能としての役割の変化

当社はすでに30カ国に展開し、スタッフの過半は日本人でなくなりました。日本での会員数が多いため、マーケティングに近い部門での日本人割合はまだ多いですが、プロダクト開発側はほとんど日本人ではなくなりました。実は、当社のコーポレートページは昨年からもう日本語では用意していなかったりもします。

昨年から韓国と台湾でサービス展開を開始しておりますが、現在世界中への展開へ向けて準備を整えていっており、長崎に集まることが完全になくなりました。スタッフで HafH NAGASAKI SAI を訪れたことがある人はむしろマイノリティとなり、おそらく長崎が本社だと思っている人のほうが少なくなっていそうです。実際、法律上、本店登記が求められるので登記をしてはいますが、長崎に本社機能があるというわけではありません。みなリモートワークですし、管理部門の役員も海外におりますから、実際的にはクラウド上が本社機能という感覚です。

選択と集中

先日発表しました通り、会員数が10万人を超えた状態で、当社グループ全体の売上に占める運営事業の売上はごくごくわずかになりました。私も最終的な判断をするために数値をあらためて見始めるまでは、もうここしばらく運営事業にタッチしていない状態でした。この運営事業を拡大させて、インターネット予約サービスの成長以上の成長を示していくには、一般的にいっても資本効率がかなり悪いのはご理解のとおりです。

当社は、HafH NAGASAKI SAI に限らず、地域を発展させようと考えていらっしゃるスポンサー様に支えられて出店できていたという側面もあります。複数のスポンサーを探し続け、さらに陣容を拡大させるというビジョンも2019年当時はありましたが、創業からすぐに起こったweworkショックを契機として、アセットを抱えて莫大な資金を投下していくビジネスモデルは実際的には不可能となっていたということも、すでに運営事業の終了はその時に決まっていたとも言えるかもしれません。


当初、運営事業を同時に開始したことによって、宿泊施設の皆様から信頼を得ることに貢献したことは事実であろうと考えています。私をはじめとした業界出身でないスタッフ達の宿泊業界、旅行業界のキャッチアップを早めたことも間違いありません。日本での会員獲得を止めてまで次のステージへ行こうと全社をあげて覚悟を固めたタイミングで、事業を選択し、集中させていくことは必然であろうと考えています。

それでもなお想うこと

これを機に、長崎へ足を踏み入れることは当面なくなるだろうと思っています。すでに日本にもいなくなっている中で、飛行機も飛んでいない、24時間でもない、新幹線は来ない長崎市にわざわざやってくるほどの時間はありません。

結局、上場企業がないということは、その県に資本がないということです。長崎の最後の上場地銀であった十八銀行は、ふくおかフィナンシャルグループに買収されたことで、長崎のための意思決定を自由にはできなくなってしまいました。私がちやほやされることを期待していたというのは、ようは長崎で資金を調達したいという考えでしたが、それもかないませんでした。長崎の銀行や企業から大きくベンチャーキャピタルへ出資いただいて、長崎にリスクマネーを引っ張ってきて、起業家育成に尽力しようともしましたが、誰もそのようなお金は持っていませんでした。同情するならリスクマネーをくれです。

しかし、それでもなお、私は戻って来たいと想っています。

日本の西の最果ての都市をアジアのハブにしようなんて野心は、あまりにばかげており、私自身がまだまだ世の中を知らない若造であったことも思い知らされました。今の私ではまだまだ力不足。今は "まだ" です。

世界に冠するグローバル企業として当社を成功させ、私がビリオネアになったとしても、なお足りないかもしれません。それでも、今よりはだいぶマシになって長崎に貢献できると考えています。

HafHを2nd stage へ持ち上げるという覚悟は、ここまで5年かけて培った知識、経験を使って、ここからさらに5年、10年と改めて注力する覚悟を意味します。必ずやり遂げます。

本当に色々な思い出が蘇ります。後ろ髪引かれないと言ったら嘘になります。長崎からだけでなく、私は日本からもしばらく旅に出ます。
でも、必ず戻ってくる。

待ってろ長崎!!


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