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震える身体を許して


大阪に来ています。
今は梅田駅付近のサンマルクカフェで、ベルギーなんたらココアのホットを飲みながら読書中です。
大阪は人が多いです。店が多いです。大型ショッピングモールが、文字通り大型です。
地元とは大違い。
前に記事にした、大阪に住みたいという思い。
やはり、住みたい。
僕は人混みが好きではありません。それでも、この街にどこか惹かれてしまう。
人混みを2時間歩いてヘトヘトなのに、もしもこの街に住めたなら……と考えてしまいます。
あと、ベルギーなんたらココア美味しいです。



僕はたびたび恋人に「昔の自分の方が好き」と言っているらしい。あまり自覚ないけど。
まあでも、それを言ってる瞬間の自分の心持ちはよく理解できる。
だって、明らかに今より心が靭い。
対して、ここ数年の僕は何もかもが弱い。
メンタル豆腐だし、意志もへにゃへにゃだし、毎晩のように不安や恐怖に駆られて、吐き気催したりしてるし。
それを「鬱病だから」って言ってお終いにしてしまうのは、ついに人間としても終わってしまいそうで敵わん。

何故、昔の自分の方が靭いと思うのか。
簡単に言えば、尖ってた。
僕が通ってた高校って、一年生は文化祭で目立ってはいけないっていう暗黙のルールがあったみたいなのね。でもそれ知らなくて、一年生の文化祭で有志募って、割と話題になって。
そしたらまあ先輩たちが激おこ。
激おこっていうか、妬み嫉みの隠蔽行動だと思うけれど。
廊下を歩いてると、知らない先輩に足引っ掛けられたり、遠くから悪口言ってケラケラ笑ったり。

その状況、今の僕だったら多分首吊ってる。

でも高校生の僕は、そんなの全く気にせずに三年間有志を続けた。そして、屋外ステージだったのを三年目には体育館のステージにしてもらい、文化祭のほぼ終盤に組み込んでもらえるまで大きくした。
良くも悪くも尖っていたからできたことだと思う。

「嫉妬してんでしょ? 僕はやるよ」
みたいなスタンスでやり遂げた過去の自分は凄い。多分、自分に自信があったんだろうな。


と思っていたんだけど、ふと思い違いな気がしてきた。
靭いと思っていた過去の自分は、"靭く見せていただけ" かもしれない、と。

よく思い返せば、人の目を気にするのは昔からそうだったように思う。
悪口言われたり、喧嘩売られたりした時、心臓は縮んでいたに違いない。
鳥肌が立っていたに違いない。
でも、そんな恐怖心をプライドで打ち消し、平然を装い、"したいこと" を遂行していたのだ。

恥ずかしい。他の人と違う。普通じゃない。

それらの気持ちは確かにあったはずだ。
しかし、上手く隠し、靭く見せていた。
我ながら感心する。
よくやったな、と過去の自分に声をかけてやりたい。


それに比べて今の僕はどうだろう。
誰かに酷評されることを恐れ、やりたいことを行動に移せず、人の目ばかりを気にしている。
他人の意見に感情を左右されることが珍しくない。自分に意志がないわけでもない。へにゃへにゃだけど。
でも、誰かの些細な一言で過剰に深く傷ついてしまうことがある。過剰に歓喜することもある。
他人の機嫌を伺うことで、自分を守ろうと必死になっている。

人混みが嫌い。一人の人間と話しているだけでも多くの体力を消耗してしまうのに、それが複数人となるともう気が滅入ってしまう。
数年前までは誰かと遊んでいないとつまらなくて、必死に遊び相手を探していたものだ。
しかし今は、他人と長い時間を過ごすと疲れ果ててしまう。"楽しさ" が湧いてこない。

やりたいこと、表現したいこと、自信を持っていること。
それらが誰かに批評された時、心がもたないと分かっているから自分の気持ちが分からなくなっていく。やりたいことを失っていく。

僕は文章が書きたい。
人から「文章が上手」と言ってもらえる機会が多少ある。
自分の文章を読み返すことはあまり無いけれど、嫌いじゃない。全然。
でももし、文章を批評された時、僕はどうなってしまうのだろう。
生きる世界のコミュニティと離れたこの世界で自由に文章を綴っているけれど、文章さえも突き放されてしまったらきっと壊れてしまう。

どうして靭く見せることができていたのだろう。
どうして今は弱いままなのだろう。
病気だから?
違う。弱いから病気を患ったのだ。

今から再び尖ろうとは思わない。
他にもっと良い方法があるはずだ。
もっと自分に合った、最善の解決方法が。
今のところそれが何かは全く分からない。
尖らずとも靭く見せるべきなのか。それとも、本当に靭くなるべきなのか。
ただ、"靭い" の定義が僕には分からない。
僕の答えは僕しか持っていないのだから、誰かに答えを乞うことなどできない。

靭い人は、本当に靭い? それとも靭く見せているだけ?
見えないところで泣いているのだろうか。

結局、僕はどうしたらいい。
完治しない病を患った今、どうやって靭さを身につけたらいい。
同じ病気の人でも靭い人はたくさんいるのだろう。多くの精神病患者は、自分が精神病を患っている事実を隠そうとする。弱い自分を偽り、靭くなくとも弱く見せぬようにする。
恐らく、それも一種の "靭さ" なのだろう。
そうしたら、"靭さ" は多く存在することになる。
では、自分に合った "靭さ" を手に入れればいいのか。
だがしかし、結局僕の "靭さ" がどこにあるのかは分からない。

自分嫌いの現在は、どうにか改善しないといかん。
死にたがりで、人間嫌いで、不幸好き。

毎日どうやって生きたらいい。どうやって朝を迎えたらいい。
どうやって死んだらいい?






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