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愛せよ、燃え尽きるまで



だから、ぎゅっと抱きしめて


わたしがあなたを愛することには
善も悪もないのです。
わたしがあなたを愛してしまうことには
倫理も道理もないのです。
わたしがあなたを愛してしまったことには
理由もきっかけもないのです。
いま、愛していること
それが、わたしがここにいるということなのです。

誰かを愛するということは
己の世界を贈るということです。
誰かに愛されるということは
その人の世界に飛び込むということです。
贈るも飛び込むも、リスクが伴いますが
それでもわたしはあなたを愛するのです。

あなたが嫌われ者だとしても
あなたが裏切り者と罵られようとも
あなたがどんなに悪人でも
あなたが何を正しいと思っていても
あなたが楽観的でも悲観的でも
あなたがどんな職業でも
あなたにお金が無くても
あなたの何かが欠けていても
あなたとあなたの家族が仲違いしたとしても
あなたがどんな身体をしていても

たとえ、あなたが他の誰かを愛したとしても
今、わたしはあなたを愛しているのです。

世界が滅びたとしても、明日死ぬとしても
わたしの愛の矢印は
いつだって、あなたの方を向いています。
寂しくなんかありません。
だから、ぎゅっと抱きしめてくれませんか?




味のない涙


あなたの欠片が至るところに散らばっている。
あなたが置いていった下着、
あなたに取ってもらったぬいぐるみ、
あなたの勧めで買った詩集、
あなたとドライブした道、
あなたが好んで聴いた音楽。

もう会えないというのに
いつまでも、わたしのそばにいる。
もう未練は無いのに
ふとした時に思い出してしまう。
わたしの生活圏内に
あなたの破片が舞い散っているから
生きているだけで、あなたを感じる。
そのたびに、わたしは涙ぐむ。
でも、味はしない。

なんでだろうね。
もう好きじゃないからかな。




わたしの中の、わたし度数


誰かの口癖や仕草を真似してきたからか
自分が自分ではないような気がしてしまう。

濃度100%の自分ではなくなって
誰かの要素で練り作られた、何か。

きっと、それもあなただよって
言われてしまうだろうけれど
わたしはわたしを見失ってしまった。

でも、濃度100%でなくてもいいじゃない
って考える私もいる。
わたしの人生の中にいる人たちを
全力で愛してきたからこそ、
わたしには様々な要素が練り込まれているのだから。




失恋の石ころ


失恋は、靴の中に入り込んだ石ころのよう。
多分あなたは足を振って、どうにか取り出そうとするだろう。
鬱陶しいなぁって、ぶらぶらさせて
わたしを振った時のように。

でも、いなくなったらあなたは気がつくの。
そこにあった違和感が無くなった心地悪さに。




愛せよ、燃え尽きるまで


誰かを愛するときは
絶望する覚悟で、激情的に愛しなさい。
傷つくかもしれないけれど
傷つくことよりも愛せないことを恐れて
後悔や幸福をないまぜにして愛しなさい。

でも、己の軸はぶらさないように。
価値観とか信念は決して流されないように
自分を愛しなさい。

たくさんの人と関係を持ちなさい。
たくさんの人から刺激を受けなさい。
自分ひとりで、自分を豊かにするのには
いつか限界が来てしまう。
だから、色々な人の知識や雑学、人道を
盗んで活かしなさい。

他人にナメられないようにしなさい。
怖がらせるということではなく、
いかに賢くみせるかということ。
それが、自分を守るということ。

愛したら、愛される努力をしなさい。
都合よく尽くしてあげるということではない。
夢を持ったり、
よく眠ったり、
教養を身に付けたり、
相手が引くほど愛したりしなさい。

一歩引いた恋愛など
傷つくことを恐れているだけ。
愛した人ならば、信じて、信じて
愛せよ、燃え尽きるまで。




どうして


あの人は
わたしが嫌がることをするから
別れたいと思ったとき
どうして
あの人が嫌がることをしてなかったかと
考えることはできなかったのだろうか。

あの人は
わたしを褒めてくれないと
憤りを感じたとき
どうして
自分はあの人を褒めてあげれていたかと
見つめ直すことはできなかったのだろうか。

あの人は
すぐ目移りするからと
別れを決心したとき
どうして
安心させてあげれていたのかと
自分に問うことはできなかったのだろうか。

あの人の嫌いな部分を
粗探しする前に
自分の欠けている部分を
見出せていれば
まだ隣で笑えていたかもしれないのに。





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