映画「法廷遊戯」感想──美鈴の正義とは何だったのか。(ネタバレあり)
映画「法廷遊戯」を初日に観てきた。
King&Prince永瀬廉くんの映画は、彼の初主演作品から全部映画館で観ていて、彼の演技が育っていくのもずっと楽しんで応援している。
私は髙橋海人演技強火担だが、彼らの共通点は「デビューしてから映像作品に出始めた」(※永瀬廉くんはチョイ役ならドラマや映画に出たことはあったが経験は積んでいない)というところだ。
髙橋海人くんがもがいてもがいて、ヲタクからみたら「ああ演技でなにかつまずいてるんだな」とわかってしまうほどかなりいろんなものを表に出てしまうタイプなら(それもかわいい)
その一方、永瀬廉くんは、この5年演技を見てきたが「もがいているところがまったく見えない」というのが特徴だ。
先に書いておくと、この「法廷遊戯」を撮影していたのはドラマ「新信長公記」の後、あの1104(3人の脱退宣言)の直前から直後の時期である。
あの頃の彼のラジオを聴いた人ならわかるだろうが、彼は苦しみを吐露した。しっかり苦しんでいた。しかも演技ではなく人生の軸となることで。しかし想像するに、彼はその苦しみを現場では出さなかっただろうし、そして演技にもまったく出すことはなかっただろう。メンタルのコントロールが、一般人からしたら「おばけ」だと思う。それも彼が「ジャニーズ」での経験で得たものに違いない。
話を元に戻そう。
「法廷遊戯」を観始めて最初に思ったことは「どうして永瀬廉は、私が自分を投影してしまう映画ばかりに出てしまうんだ…」ということだ(笑)。
以前の映画「真夜中乙女戦争」は一般受けしないと思ったらその通りだったが、私はガツンと胸を打たれた。そこにいる「私(永瀬くんの役)」に自己投影した。
そして、今回の映画「法廷遊戯」は永瀬廉くんの役ではなく、杉咲花ちゃんの役「美鈴」に私は自己投影してしてしまった。
自分の心も体も救ってくれた清義(永瀬廉)を主軸に生きている美鈴は、純真無垢で清義を守るためなら人を殺しても構わない狂気を持っている。
そして、私には彼女にとっての清義にあたる存在がいる。それが15歳になる息子だ。息子は、私にとって一人息子で、それは可愛い可愛い存在だ。そして、彼は私の人生を肯定してくれたただ一つの存在であり、救世主だ。
私は息子を生むまで、自分の人生に悲観的だった。
「あの時こうしていれば」「この時の判断が私の人生にまずかった」と思って生きていた。これはもともと、私の父親が「お前はだめだ」と抑えつける教育を私にしてきたため、自分に自信はあっても「うまくいかなかった場合、自分の決断が悪かったと自分を責める」思考を植え付けられていただからだ。
しかし、息子を生んでからそれが一変したのだ。
その小さな瞳はキラキラと輝き、幼き彼は母親に「生きるのが楽しい」「生まれてよかった」と伝える子だった(今は反抗期なので言いません笑)。
私がこの人生を選択して、この道を歩いてきたからこの子が生まれた。私の辿ってきた道は正しかったのだ。これこそが正義だった──。そう思えた時、私は息子を抱きしめて「ありがとう」と泣いた(この母親重っ)。
美鈴の話に戻ろう。
美鈴は、清義に「救われた」。心の底から救われた美鈴は、清義とともに清義の幸せを願ってただそれだけを主軸に生きてきた。犯罪をおかしてでも。
私は息子の幸せのためだったら、どうなるだろう。
犯罪はおかさないだろうか、いやもしかしたら「私さえこれをやればこの子は救われる」と思ったならばそれをするかもしれない。私にとってこの世で一番辛いことは「息子が苦しむ」ことなのだから。
美鈴にとって一番の苦しみは「清義が苦しむこと」。
それが確定するだろう彼女の無罪判決時、美鈴は笑っていた。それは楽しくて笑っていたのではなく、
世の中まったく自分の思い通りにいかない、
何なんだこの世の中の理不尽さは
この世の中なんて全部なくなれ
清義を罰する世の中なんてなくなってしまえ
そういう笑いだったのではなかっただろうか。
私は彼女のその笑顔に涙がこぼれてしまった。彼女が救いたかったのは清義だったのに、結局美鈴が救われてしまった。彼女にとって最悪の結末である。
恋愛とは違う。
もっともっと根っこの部分でその人を守って救って、いや救われてほしい、この人が幸せな世の中こそが正義なのだ!!それが正義でなくて何が正義だ!
そう思う美鈴と、息子の幸せこそが正義と信じる私の違いが、正直わからない。それほど私は美鈴の気持ちが響いてしまった。
「法廷遊戯」はこの美鈴に寄り添えるかで、その内容の入り方感じ方が変わってしまう映画だと思う。いわば「おかえりモネ」なら「モネに寄り添えるかどうか」が肝だったように、この映画は美鈴に寄り添えなかった人には酷評されるだろう。(急なおかもねwちなみに私はモネに寄り添えず最後の最後で酷評でした)
そして主役である清義。清廉潔白な彼は幼馴染を救いたかった。それとともに、彼は自分自身が正義でありたかったのだ。施設で、駅の階段で美鈴を救った時もそれは「美鈴を救うことこそが正義」だった。しかしその裏で人が死にそれに苦しんだ友がいたことを知る。
弁護士バッジを置いて、彼は彼の「真の正義」を取り戻した。天秤が平行になるように。それこそが本来の「彼の正義」だったのだ。
人によって「正義」は変わる。
だから世の中は狂っているように見えるし、実際に狂うのだ。
そんな悲しい答えに響くのがエンディングの「愛し生きること」だった。
「正義とは人それぞれ」
「あなたの正義と私の正義は噛み合わない」
「よって世の中はバランスを崩すと狂う」
「いや、バランスを保っているようで実は既に狂っている」
そんな結末を救ってくれる一曲だった。
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