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【映画「真夜中乙女戦争」ネタバレ感想】私はかつて乙女だった。

真夜中でもないけれど、レイトショーで「真夜中乙女戦争」を見てきた。当方キンプリヲタなので永瀬廉びいきに書きたいところだが、今回は映画を語ろうと思う。

この物語は「私」と「先輩」と「黒服」という3人の登場人物がメインだが、その3人とも名前は明かされない。先輩は“私”のことを「きみ」と呼び、黒服は「おまえ」と呼ぶ。

その理由は原作も原作者のインタビューも何も読んでいないので知らないが、私にとって“私”が私(筆者)に置き換わるスイッチだったことは間違いない。

先日明かされた“私”が大学教授に詰め寄るシーンを見て、私はかつて18歳だった私をすっかり思い出してしまった。当時、私は高校3年生で予備校に通っていたが、ある日、日本史の授業で「年号覚えろ」の呪文ばかり唱えられたことで、若い沸点に達してしまったことがあった。

「この年号を覚えることが人生の役に立つとは思えない、年号を覚えることに何の意味があるんですか、こんな無駄なことに頭を使いたくない」
“私”と違って、すがるようにその予備校教師を見つめて投げた言葉をうけて、その予備校教師はこう返した。

「じゃあ、大学受験やめるんだな」

放たれたその冷たい言葉に私は絶望し、この社会のシステムを恨みながらも結局は「こうやって生きていくしかない」とその無駄な年号を覚えたのだ。(とりあえず大学は受かったが本当に無駄だった)

かつての私はまさに、この映画の中でいう「乙女」だった。ゆえに、私はすぐに「“私”は私だ」と映画の中の彼の中にすっぽり入りこんでしまうことになる。

少し、現在の私の話をすると、今の私の年齢は中学生の息子がいる年代だ。
この社会のシステムやからくりもだいぶわかるようになった大人だ。
ライターになる前は歴史ある日本企業にも、ベンチャー企業にも、そしてグローバルな外資企業でも働いたことがある。ある程度の社会経験を積んでから、決して他人にも身内にも勧めないフリーライターになった(笑)

そして現在、息子は中学1年生で、NHKオンデマンドで大河ドラマを見まくり「日本はこうしてできていったのだ」という歴史にとても興味のある少年に育っている。育っているというか、ほぼ洗脳である。先日まで放送されていた大河「青天を衝け」にドはまりし、未だに家にいる時はずっと腰におもちゃの日本刀を挿し、何かあると剣を振り回すので夫が「剣道でも習えば…」と声をかけるほどだ。

そんな彼がすっかり魅了されてしまった渋沢栄一に私は言いたいことがいっぱいある。「よくもこの日本をこんな資本主義の国にしてくれたな」「そもそもこの国が資本主義になったことが、この世のシステムが狂ったはじまりではないか」

話を元に戻そう(笑)

私は18歳の頃、この世を恨んでいた。日本が資本主義で、いや世界が資本主義で日本が経済大国になった背景には、ちょうど学生運動をしていた我が父たちの世代がいる。彼らは大学生活を謳歌した。暴れるだけ暴れた。警察に石を投げたことが自慢の人達だ。彼らは暴れるだけ暴れて、その後経済の軸になり経済を伸ばし、私たち子供に「俺たちが日本の経済を大きくした」と自慢し、そして年金をがっぽりもらって死ぬ。

かくゆう私の世代はすべての波に乗り遅れ、バイトの時給さえ上がらない時代に大学生活を迎えてしまった。就活もうまくいくものの方が少ない、そして若い内から年金がもらえない不安と闘う、そんな世代だ。

この世に嫌気がさしながらも、そんなこの世の中に取り残されたくないと必死にもがいた18歳だった。

リアルに今を正しくもがきながら生きていく「先輩」に憧れ、

その一方、自らの手で金を産み資本主義に勝ち自らの暇つぶしに大学へ行き資本主義である東京の闇をいとも簡単に操ることのできる「黒服」に憧れもした。

要するに、

この世の歯車にうまくのっかり、若干の不満に蓋をしつつも人生を謳歌する自分になることに憧れ、その逆「この世の中はおかしい。この世のシステムなんて全部ぶっ壊れろ」とくすぶる自分もいた。

まさに「先行く憧れ」と「黒い破壊的な自分」すなわち、先輩と黒服もまた、私(筆者)だったのだ。

実は私は20代の頃、映画の中の「黒服」のような存在がいたことがある。彼は私より一つ上で、資本主義を恨み資本主義から脱していた男だった。要するに労働せずに金を得ていたのだ。彼の周囲には彼に憧れた人達が集まり、その中に私の夫になる人もいた。

私は最初はこの黒服と一緒にいるのがとても楽しかったがそのうち「現実離れ」していることから距離を置き始める。現実とは資本主義のことだ。

私は多分、この映画でいうと“私”が冒頭で黒服と楽しんでいたくらいがちょうどよかった。それくらいで楽しんでいたかった。資本主義に敬礼をする奴らを小ばかにして笑い、その歯車に少し抵抗しながらも、その後はきちんと乗っかっていき日常を生きる──。

しかし私の黒服も、映画さながらそれでは終わらずその先に行きたがった。(決して東京爆破計画ではない笑)

黒服の回りはほぼ、黒服の信者の集まりのようになり、私の夫もそのように洗脳されつつあったが、私は反旗をひるがえし黒服から夫を奪って去った。

「一生こんな世の中のシステムで生きていくのか。それもお前の人生だ」

その黒服に最後に言われた言葉は私の胸を刺したが、今も後悔はない。

黒服から去らなければ、多分私は今頃全く違う人生を生きていたけれど、それはこの映画と同じく「東京を爆破する」という結末だったように思えるからだ。すなわち、私はあやうく私を爆破するところだった。

いや、爆破したい気持ちはやまやまなのだ。そうすればきっとすべて辻褄があう。私の人生に矛盾はなくなり、すべてスッキリするに違いない。生き方としては誰がなんと言おうと「ハッピーエンド」だ。

しかし人生は爆破してしまうとやり直しはきかないことを、映画の中の黒服も“私”も知っていたように、私も知っていた。私(筆者)はブレーキを踏み、先輩をとり、黒服を捨てた。だからここにいる。

爆破しない分、一生くすぶりながら。

それもまた人生で、私はこの人生に悔いはない。
一生くすぶりながら生きていこうと思う。

さて、この映画の感想に苦言を加えるとしたらこれを言わずにいられない。

ビリー・アイリッシュの「Happier Than Ever」はもっと大音量にすべきだ。

あんな控えめでなくていい。大音量にして“私”の最悪なハッピーエンドを、映画だからこその、あのハッピーエンドをあの歌声で包み込んでほしかった。

そして、最後に永瀬廉くん。

あなたの演技は全部見てきました。何者にも染まる“私”を見事に演じきり、あなたはしっかり俳優に育ったと確信しました。おかえりモネの合間にこの映画を撮り切ったことに驚きを隠せません。

この物語はわかる人にはとても分かる一方、わからない人にはただの暴力に見える可能性もあるので、酷評もあるでしょう。しかし、私はこの作品はあなたの代表作になることは間違いないと思います。わかる人にはしっかり届く素晴らしい映画でした。

きっとあなたの世代の俳優はみな、この役をやりたかったでしょう。この映画を見て悔しくなると思います。

廉くん、おめでとうと言わせてください。

おめでとう。


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