スマホのない生活、牛乳のある生活

さて、気ままに、あんまり元気ではなかった頃の話をします。

あのころ私はドイツに留学していまして、念願の留学自体は泣いて喜ぶほどのものでしたが、訳あって心身は丈夫ではありませんでした。
ドイツでは授業を休む際も、プライベートに踏み込んだ質問をするのはナンセンスなので、なぜ休みなのか?どんな病気なのか?などを問われることは基本的にありませんでした。それは大きな救いです。といいながら、生真面目な日本人であった自分はほとんど休むこともしなかったのですがね。

鬱々とした長い冬を抜けると、人々は活発になります。活発になれないのは自分の心情だけじゃないかと、ますます鬱蒼とする人もいるかもしれませんが。とにかく、気候が暖かくなっていくのは身体には好いことでした。春の陽気は呼吸するだけで生命力を呼び起こします。

私はずっとWi-Fi環境にあえて繋がずに学生寮で暮していましたし、2月に旅行したアテネでスマホは盗まれ、高かったパソコンは壊れ、そういうわけで現代社会だというのにすっかりインターネットから隔絶された日々を送っておりました。
海外だから格安SIMは必須じゃないの、と突っ込まれますと、いやいや海外だからこそ完全にネット社会から離れた安定が手に入るんだよ、と答えたものでしょう。事実、私はそうでした。日本(私にとっての母国であり生活圏内)にいると否応なくコミュニティにネットは必要とされました。だから、その張り巡らされたネット社会から逃れることはできなかったわけです。

好きすぎるものや夢中になる風景があるとき、目の前の感覚を大事にしたかった。ドイツには魅力的な瞬間がたくさんありました。それらを享受するのに必死になりたくて、それ以外の動作は不必要に思えました。

Wi-Fiはありませんでした。しかもスマホが盗まれましたが、それでよかった気がします。

あのスマホの中に大切な写真は一枚もなかったんじゃないかとすら思えるのです。大切すぎる瞬間はその目の前にあることに真剣で、スマホを構える余裕がいつだってなかったからです。そういうわけで好きな場面ほど、画像フォルダには残っておりませんでした。ドイツではふらふら出歩く愛おしいような日常のなかでも、家の鍵以外なにも持たないことはよくありました。私の周りには物も人もなく、ひとりきりでした。

とはいえ、外部からの大きな打撃がある時期もありました。おかげで憔悴しきっていました。あまりにも私の姿があわれだったのか、それほど会話した覚えもない、同じ日本人留学生がその頃の私を心配してくれていたようです。

あるときそのうちの一人(同郷の留学生が今にも消えそうな顔して生活しているのを見かねた者は複数名いたようです)が、牧場に散歩へ行こう、と誘ってくれました。
半年以上知らなかったのですが、学生寮から徒歩10分も歩けばとても大きな牧場があったのです。だからときどき牛糞くさかったのか、と今更ながら納得しました。広大な牧場でした。本物の牛や馬が、コンクリートの車道を我が物顔で出歩いていました。ちょっと進めば完全なる森でした。そんな土地がすぐそばにあったのです。

「空の容器もってる?」と、友人になる人は言いました。なんと、牧場では採れたてのミルクが注げるということでした。なんで今まで知らなかったのだろう?
やり方を教わってからは、もっぱらひとりでミルクを頂戴しにいくようになりました。ジャリジャリと貯まった小銭を活用するいい機会でした。フン臭いにおいが体に染みついて、採れたての生乳は美味しくて、大地は広く空は青く、たくさんのものが生きているようでした。私もそこにいました。スマホなんて無くてよかったのです。カメラを構える暇もないくらい、私はそこが気に入りました。

一時期ベジタリアンになってみる試用期間を設けていました。大学の日替わり定食には毎日「ベジタリアンメニュー」と「その他」の2種類が出てくるくらい、その街ではベジタリアンの生活は自然なことでした。
けれども自分は、ミルクを飲まないタイプのベジタリアンにはなれそうにない、と思ったのでした。あの牧場のミルクなら、よろよろの老人になるまで飲んでいきたいのです。


スタッフJ

休んでかれ。