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「こういう子」を飲み込むのに9年かかった

ムスメちゃんは、特別支援学校に通う小学生。持病とアレルギーと知的&発達障害があります。ふーっ。色々あるな〜。

さて、まだ保育園だった頃、周りの子もそこそこ不思議っ子な年代。人より成長が遅れているけど、そのうち追いつくんじゃないか、と淡い期待を捨てきれなかった私。成長が遅いのは持病のせい(その薬のせい)ではないかと考えました。脳みそに関わる薬だったから。

持病は大学病院にかかっています。主治医のO先生が、それはもう、はっきりした先生で、診断を下す時も脳波を見て、超笑顔で「はい、〇〇(病名)決定!」みたいな。。。あまりにあっけらかんと言われてショックを受ける余地なし。ある意味清々しさまで感じる人です。

その先生に勇気を出して聞いてみたんです。
「あのー、この子の発達が遅いのは、持病のせいとか、、薬のせいとかありませんか?」と。
そしたら、一言「ないね〜。こういう子でしょ!」と。
こういう子ってどういうこと!!!?

知的障害にしろ発達障害にしろ、なにがしか理由があるのではないかと思ってたんです、漠然と。
〇〇だからこうなった。みたいな、原因と結果。なのに「こういう子」ってザックリと。。。
(ちなみに後年、自閉症スペクトラムの診断を受けたことを報告した時も、「あははー。そりゃそうだ。」って。知ってたんなら教えてくれよ、と心で毒づいたことは今でも忘れない。)

あれから苦節何年。
やっとこの頃、特別支援学校でのびのび育つムスメを見て、「こういう子」なんだな〜としみじみ腑に落ちるのです。

多分ムスメちゃんは最初から何も変わってなくて、変わったのは「私」。

生まれた時、自分と同じように育つと信じて疑わなかったムスメちゃんが、とんでもなく扱いづらい(一人っ子なので比較できないけど)。発達が遅く周りから置いてかれるような不安、ちゃんと「普通」になれるのかというプレッシャー、私が勝手に描いていた子育てのイメージ(夢)とのギャップ、、、。そういうものを、一つずつ手放していくのは、敗残者のようで辛かった。

でも、9年。毎日毎日ムスメちゃんと暮らしている中で、徐々に少しずつ築き上げたもの。信頼だろうか。ムスメちゃんも私も夫も幸せだ、という実感。その蓄積がやっと「ムスメちゃんはこういう子」だと肯定する礎になったんじゃないかな。「こういう子だけど、何か?!」って啖呵切れるぐらいに。

この先、どう育っていくのか分からない。まだ「意外といけるんちゃうの?」という希望(野望)も捨ててはいない。でも、何はともあれ、毎日幸せであればいい。ムスメちゃんが幸せであれば、私も幸せなのだから。

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ドローイング『無題』2020.4.10 インク、水彩

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