エクストリーム立川流
博多天神落語まつりで、聴いてみたかった方の噺を初めて聴けた。
その方は、立川志の輔師である。
そして、立川談春師である。
TVでも人気のおふたりだ。
志の輔師は、「抜け雀」。談春師は、「五貫裁き」。いづれも古典のスキな演目。寄席では、あまり聴くことできないので、うれしい限り。どちらもワタシに時間の経過を、全く感じさせてくれなかった。
両師の師匠は、立川談志という名人だ。落語をスキな方はもちろん、そうでなくてもご存じの方は多いはずだ。自ら落語立川流を創設した「家元」である。
落語のスキな方なら、立川談志を避けて通ることは、できないのではないか。もちろん、みんな大好きという類ではない。万人受けではない「毒」を孕んだ非凡の落語家である。
現代落語の証明 弟子というエビデンス
噺家は、寄席でネタをかけて、お客の反応を感じ、自分を知り、芸を盗み、修行するのが通常である。だから昼から晩まで毎日、寄席はやっていて、それでも成り立っている。
志の輔師以降の立川一門は、その寄席に出なくて、今の落語をやっている。志の輔師が、家元に弟子入りして、半年後に立川談志一門が落語協会を脱退したのだ。
ワタシは、まだ半年ほどしか落語沼に浸かってないが、それがどれほど、厳しいものか。。。
寄席を知らない落語家として、初めて真打ちになったのが、立川志の輔だと知った時、もうそれだけでちょっと泣けてきたよ。
真打ちになって、初めての演目は、「忠臣ぐらっ」という古典落語ではなく新作落語だった。
古典落語には、忠臣蔵の噺は無いとされているらしい。もちろんその周辺の噺は、中村仲蔵とか四段目とか七段目とかある。ただ、実際の登場人物が出てくる噺は無いというのだ。
その理由は、こうだ。
落語とは、人間の愚かさ情けなさ全てをひっくるめて認め、それを抱えてなお生きていく人間の姿を語るものだ。
立川談志が、落語というものを分解して、いってのけた。
立川談志に、オレの最高傑作と言わせた、立川志の輔。真打ちになっての演目が、「忠臣ぐらっ」という理由がそこにある。
命をかけて忠義を果たす忠臣蔵は、美徳ではあるが、人がみな、そしていつも、そうではない。義士だって、愚かさ、情けなさ、迷い、喜びの姿があったんじゃないか。それが、「忠臣ぐらっ」という落語に込められている。
もちろん噺は、実に笑えるのだ。あったかい気持ちになるのだ。
ワタシの誤読も盛大に混ざってるかもしれないけど、談志には会えなかったけど、この人たちに会えてワタシはよかった。
談春師の、時よりお茶をすする風景が、なんともカッコよかったよ。
12月にまたいきますね!
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