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アメリカに移住した理由

日本での仕事

僕は2001年まで青山一丁目にある米系広告代理店に勤めていました。

当時その会社はコカ・コーラやマイクロソフト、ナイキ、ロレアル、GM等大手外資系企業のクライアントを多数持ち、業界的には外資系のエッジを利かしたクリエイティブが強い会社という評価があったと思います。

僕は米系自動車会社や保険会社等のクライアントを担当。仕事はすっごく大変だったけどそこそこいい給料を頂き、仕事仲間にも恵まれていました。

渡米の決意

そんな僕は2001年12月末に会社を辞めて2002年にアメリカに行く決意をしました。

2001年といえばアメリカで同時多発テロがあった年です。

そんなタイミングで日本での安定した生活を捨て、当時幼稚園を卒園したばかりの6歳の娘と妻を連れて何のあても無くアメリカに渡るという決断をした時には多くの反対意見がありました。

ではなぜ(日本的には)そんな「無茶なチャレンジ」をしたか。

当時は「アメリカで成功する為」と対外的に言っていましたが、正直言うと当時の僕は日本不適合者でそんな日本から逃げたかったんだったと思います。

外資系広告代理店という華やかそうに見える仕事でも、結局はクライアントの顔色を伺い、自分の身を削って奉仕する事で給料を得ていた気がします。正直仕事に対する楽しみは全くありませんでした。

僕は学生時代から「伝統」とう言葉が嫌いで人と同じルールや考えを強いられる事に抵抗がありました。また人に合わせるという事が大嫌いでした。だから「会社に就職して会社のルールに従う」という事が凄く嫌でした。

そんな僕が求めていた事は「自分が自分のままでいれる自由」だったと思います。

22歳の時、生まれて初めて海外に行ったのがカリフォルニア。
3週間のホームステイだったんですが、そこで感じたのは「自由な世界」

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「自分が自分らしくしていい」という事は本来は人間として当たり前の権利だと思うんですが、日本に居た時の自分には見つからなかった場所です。

初めて行った海外がカリフォルニアという「綺麗な青空とパームツリーに満たされた特別に気候がいい場所」だったのかもしれませんが、僕はその時に肌感覚で「カリフォルニアの空気は自分にあっている」と感じました。

「空気が合っている」って「美味しい」とか「綺麗」と人が感じるのと同じように、理屈抜きで体にポジティブなエネルギーが流れている感覚です。

その時感じた「空気があっている」というのは恐らく当時求めていた「自由」が感じられた事が大きな要因だと思います。

その後何度か旅行でカリフォルニアに来ましたが、毎回「自分に空気が合っている」と感じました。

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結論

自分がアメリカに移住した理由は、凄くシンプルに話しをすると日本でずっと苦しんでいた「自由の無さ」から逃げ出し、「自分にとって心地よい空気の下で生活をしたい」という自我の欲求だけだったと思います。

そんな自分の我儘で妻子を犠牲にしていいのかと思われるかもしれませんが、結果的にふたりとも喜んでくれたので自分の選択は間違っていなかったと信じています。

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