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SESクソ体験(4)1社目を辞めた時のこと

2004年07月のことです。
現場としては、クソ体験(1)クソ体験(3)と同じ某保険会社、時系列はそのあとという感じです。時系列順に書けばよかったですね。

その某保険会社のプロジェクトは、どれもこれもコントロールを失っていました。当時は他の現場を経験していないので、これが普通だと思っていました。人間は比較でしか判断ができないため、どんな『異常』も、比較対象が無ければ『当たり前』としか認識できません
薄々、この現場はおかしいと思っていましたが、おかしいと言う人間がいないので、ついていけない自分が悪いのだと思い込んでいました。その中で僕も徐々に心身ともに疲弊し、ついに退職に至るというお話です。

思い出したことをすべて書いたら、無駄に長くなりました。
クソSESで苦しんでる人に対して伝えたいのは「辞めたくなったらさっさと辞めろ」のとこだけですので、読むとしてもそこだけでいいです。
結局、言いたいのは一貫して、「SESはクソ。登竜門として入るのはいいけど、さっさと自社サービス持ってる会社に入れ」ということだけです。


自社について

今回は退職についてのお話なので、自社にも触れておきます。
『自社』とは、僕を直接雇用しているSES会社を指します。

かつて茅場町にあった社員40人のソフトハウスでした。一人会社も多い業界なので、 40人もいればまぁまぁの規模だと思います。
システムのことなど何もわからないおじいちゃんが、60を過ぎて「これからはITだ」とか言い出して作りました。社長は病気を患っていたので、実権は全て、奥さんである副社長が握っていました。典型的な一族経営の会社で、平社員は薄給でした。社長や副社長、副社長に気に入られた方々は儲かってたみたいです。
社長が事務所の裏手に分譲マンションを買って「8,000万円だよ。遊びに来ていいよ」って言ってて、なんで金額言うんだろ、不愉快だなぁと思って嫌いでした。

また、「社員は家族」とか言い出す、典型的なブラック企業でもありました。副社長は社員に対して、「会社は親だ、社員は子供だ。親は子供を守り、子供は親に報いるものだ」というヘドの出るセリフを真顔で言っていました。守られた覚えも、育てられた覚えもありません。副社長の周りにはイエスマンしかいないので、取締役のデブが眉間にシワを寄せて頷きながら「そのとおりなんだよなァ」って言ってました。死ね。

ちなみにもう潰れました。
転職エージェントが僕の過去を洗った時、1社目のことを調べたら、該当の企業が無かったそうです。当時の源泉徴収票を見せたら嘘や間違いじゃないと納得していました。社長夫婦は高齢でしたし、元々長くやる気はなかったのでしょう。

現場である某保険会社が発注元、某M総研(当時はF総研でしたっけ)が一次請け、我々ソフトハウスが二次請けするという流れでした。弱小ソフトハウスなので、一次請けにゴマをすって案件を流してもらっていました。
僕は、自分がいくらで売られていたか知りませんが、推理することはできます。おそらく一次請けに40万で売られており、それを某保険会社に60~70万円で転売されていたと思われます。
自社が欲をかいて、某保険会社から直受けしようと月単価50万円で持ちかけた時、PMが「清瀬君を50万で借りれるの?それならかなり助かるんだけど」と言っていましたので、間を取るとそのくらいということでしょう。
あとで直受けしようとしたのがバレて、会社ごと仕事切られたらしいです。

COBOLからVB6.0への焼き直し案件に参加

僕が退職を決めた案件は、システム再構築プロジェクトでした。
クソ体験(1)クソ体験(3)を足して2で割ったようなプロジェクトです。言うまでもなく設計書はないので、COBOLソースコードから設計を起こすところから始まります。「既存のCOBOLプログラムと同じ動きをすればいいから」という要求定義であり、その設計が正しいことは誰も保証できませんでした。紛うことなきクソ案件ですが、もう慣れたもので、VBを組めるメンバーが僕の他にもいたことがまだ救いです。

プロジェクトメンバーはPM1名、PL2名、メンバー4名の、計7名でした。PMは掛け持ちなのでほぼタッチせず。Aチーム(PL+メンバー3名)とBチーム(PL+僕)という編成でした。
この時、僕の上についたPLは、某M総研のろくでなしでした。逆線表を引くことしか能が無く、進捗報告を誤魔化すことがテクニックだと思っている元ヤンでした。

日々遅れていく進捗

誰も進捗管理をしてない(できない)ので、日々遅れていきました。
誰も正しい仕様を知らないのに、この短時間で、コメントもろくにないソースコードから設計書を起こすこと自体に無理があります。元ヤンが作った計画だって、締め切りから逆算した「ぼくのかんがえたさいきょうのせんぴょう」なので、なんの説得力も信憑性もありません。もしそれができれば素晴らしい進行なので、PMも「すごーい!よろしく!」みたいな感じで全く指摘しません。最高責任者なんだから「何を根拠にその線引いてるの?無理でしょ」って言わなきゃいけないところなのに。

ちなみに、大昔はプログラマーの給料が「プログラム1行いくら」で換算されていたらしいです。嘘か本当かは知りません。その名残か何かは知りませんが、コメントは無く、なるべく改行しないように書いてあり非常に読みづらかったことを覚えています。COBOLは1行80文字しか打てないので、変数名も略されており、「PRM_A」「STR_B」とか当たり前でした。そんなものを読んでスラスラ設計に起こせる訳がない。

元ヤンは「自分はリーダーであって、設計書やプログラムを書くのは仕事ではない」と心の底から思っていたので、たまに「今日までに外部設計終わってないといけないのに終わってないから急げよ」「まだテスト設計書書いてないのか?残業しろよ」とかケツを叩いてくるだけでした。いちんちふつか遅れたからって再計画する必要はありませんが、2か月ほど作業して計画線から遅れ続けているにも関わらず、もともとの計画に無理があったと思わないところが、能無しと言わざるを得ません。

「やる前に諦めていたわけではなく、計画通りに進めてみたら、案の定日々遅れていっている。稼働を上げて遅れを取り戻そうにも、既に毎日終電まで作業していて効率もどんどん落ちていっている。毎日進捗報告しているので、リーダーも状況はわかっているはずだ。絶対に終わらないので、なにか対策を考えてほしい」

僕が元ヤンにそう提言したら、そいつなんて言ったと思いますか。
「安心しなよ。俺が進捗報告で上手く言っておいたから、遅れてないことになってるよ。この間に効率を上げて、元の計画に乗せるんだぜ。これがマネジメントだよ」
嘘ぶっこいて問題が明るみに出てないのでヨシ!って言っているんです。なんら根本解決になっていません。さすが飲み会で酔うたんびに、学生のころ喧嘩に明け暮れていたことを自慢するだけあって、能無しです。
現場のおじさんに「M総研さんってああいう人多いんですか?」って聞いたら、「本隊は優秀な人ばっかりだと思うよ。でも外注リーダーなんてあんなもんだよ」って言ってました。

頼りにならない自社

このままでは納期に間に合わないことは明白です。というか、僕が心身ともに限界です。そして元ヤンは役立たずで、僕を頑張らせれば終わると本気で思っています。

仕方がないので、自社に報告し、指示を仰ぎました。
「真面目にやってるのか?残業もしてる?じゃあ人を増やしてもらうしかないだろ。PLに人を増やしてくれって言えよ」
交渉してくれるとか人を出してくれるとか、そういうんじゃなく、「PLにちゃんと言えよ」と言うだけでした。「社員は家族」という社訓がいかに無意味で空虚であるかがわかります。

それで言われたとおり、元ヤンに折り入って相談したのですが、「君は最低だね」と半笑いで言われました。
「終わらないから誰かに仕事を押し付けようっていうんだろ?恥ずかしくて言えないよ、俺なら。与えられた仕事をやり遂げてやろうっていう気概は無いのか?」
その後もクドクドと説教され続け、ああ、辞めよう、と決意しました。そのときは恥ずかしいことに、職場で少し泣きました。何か月も睡眠不足が続き、いつになったら終わるのかもわからない状況で、何もかも限界でした。元ヤンを殺そうか考えましたが、こいつのために人生を棒に振るのもな…と思って考え直しました。ほどなくして涙が止まると、体調不良を理由にその日は早退しました。後で元ヤンから電話がかかってきて「わかった、納期を2日遅らせるよ、それならなんとかなるだろ?」と言ってきたので「何日遅れてるか把握してないんですか?」と答えて電話を切りました。

番外編:電話口で「そのまま死ね!」と怒鳴るおっさん

あるとき、21時を過ぎて、そろそろ帰ろうかなと思っていたころに、職場の電話が鳴りました。お誕生日席の偉いおっさん(たぶん部長かなんか)が電話を取りました。しばらくモゴモゴ話をしていましたが、突然、
「この忙しいのに何やってんだ!そのまま死ね!」
と怒鳴ってガチャ切りしました。夜遅かったので元々静かでしたが、残っていたエンジニア達のキーボードを打つ手も止まり、本当にシーンとなりました。僕は八神庵かな?と思いました。

あとで事情を聞いたら、仕事に疲れた社員が、高田馬場駅ホームから線路に飛び込んだそうです。会社がすぐわかったので、駅員から連絡が来たらしい。本人が電話で話したということは、命に別状はなかったということでしょう。死のうとして一命を取り留めた人間に、「死ね」と言い放てる生き物が同じ部屋で生息しているという事実に手が震えましたし、早く辞めようと思いました。

別の話題ですが、とある正社員から、開発室の窓に鉄格子がかかっている理由も聞かされました。さも嬉しそうに話していたので、「せっかくだからお前も飛び降りてから格子をかければよかったのにな」と言い返しそうになりました。

全くの閑話です。僕が言いたいのはそういう職場だったということです。

体を壊したフリをして職安に通う

もう辞めるとなったら無敵です。
納期も何も知ったことではありませんので、数日おきに体調不良を理由にAM休を取り、職安に通いました。PMから働くつもりだったので、スーツ姿です。志望動機欄を空白にした履歴書をカバンに入れており、職安のおっさんに「面接いつ行けますか?」と聞かれたら「今からでも」と答えていました。職安のおっさんは多少驚きつつ「あなたはすぐに次が見つかりますよ」と言いました(なお、本当にその日のうちに面接をする企業はありませんでした)。

3社面接をして、次の会社を決めました。3社とも内定をいただきました。当時は若かったので、健康でプログラム書ければ、使い道はいくらでもあったのでしょう。よその会社で揉まれているなら教育コストも低いので、お買い得だったのだと思います。こんなにも簡単に再就職先が決まるなら、死ぬか殺すかを迷う必要なかったなと思いました。

ある日、午後に会社に行くと、元ヤンが「君いつも体壊してるな。大丈夫か?」と声をかけてきました。その『大丈夫か?』は、『進捗大丈夫か?』だろ。
「(僕はもう関係ないので)大丈夫です」

退職届と、退職慰留

次の会社が決まったとなればさらに無敵です。
早速、上司に退職届を出しました。
「困るよ、こんなの受け取れないよ」
高価なプレゼントもらった女の子じゃねえんだから受け取れよ。普段から偉そうに、ああしろこうしろ、お前なんか他じゃ使い物にならねえよ、と言っていた上司ですが、いざ退職届を提出されると可愛くなってました。

小一時間、辞めます、辞めるな、の問答を繰り返したあと、埒が明かないので本社へ行って副社長に手渡すことにしました。
僕は開発室に戻ると、パソコンを落とし、カバンを持ちました。元ヤンは「あれっ、どこ行くんだよ」と声をかけてきましたが、「自社です」と言い残して立ち去りました。
あとで元ヤンが自社にクレーム入れたらしいですが、まさしく知ったことではありませんでした。

自社に戻ると、副社長とも小一時間、辞めます、辞めるなの問答を繰り返しました。そしてババアはいつものフレーズを口にします。
「お前はうちだからやっていけてるんだ、他所じゃ通用しないから馬鹿な真似はよせ」
そのくだらない洗脳も最早効果はありません。通用しないなら現場に出られる訳がないし、企業面接にも受かるはずがないからです。ここまで育ててやった恩を忘れるのか、とも言われました。恩を受けた覚えはありませんし、百歩譲って受けたとしても労働力という形で返してきたので、スジは通してます。
次の会社の入社日決まってるので辞めます。1ヶ月以上あるから問題ないはずです。そう突っ撥ねて退職届を置いてきました。無敵なので。その当時、退職代行なんてサービスは世の中にありませんので。

後日、上司から改めて引き留められました。
「うちは若い世代だとお前しかまともなのいないんだよ。やっと仕事も独り立ちしてきて、これからってときに辞められたら、会社として立ち行かなくなる」
もう転職先決まってますし、こんな割の合わない仕事はたくさんです。そう伝えたところ、次のように言って食い下がってきました。
「だったら昇給するから、辞めないでくれ」
僕が憎いのは元ヤンであって、別に上司が憎いわけじゃないので、ゆっくり言葉を選んで話しました。
「じゃあ、今までは上げられるのに上げなかったってことですか?従順に貢献してきた間は待遇が改善されなかったのに、退職届出したら待遇が上がるって…変じゃないですか?」
そのうちに、上司も観念したようです。
「…そうだな」
彼が小さい声でそう答えたことを覚えています。

今こうして文章を書いていると、上司も可哀想な役回りだったかもしれません。大方、副社長に言われて無理とわかって引き留めに来たんでしょうし、そもそも僕を追い込んだのは上司じゃない。最初の現場で社会人一年生の僕を使えるようにしたのは彼でした。これからは一人で稼いでくれると思っていた若手がフッといなくなるのは、さぞ期待が外れたことと思います。

後日、離職証明書を送ってこないという嫌がらせを受けました。

あとは辞めるだけ

それからというもの、元ヤンのパワハラもモノともせず、とにかく次の契約終了までやっていなくなると決め、心を殺して働きました。それでも最後まで働くつもりだった当時の自分を思うと、エンジニアとしては少しだけ誇らしく、一方で社畜もいいところだと悲しいです。できるだけ迷惑かけて辞めてやりゃよかったのに。

気が向いたときに僕のプログラムを動かして「ここ動かないんだけど」とチクッと言ってくる元ヤンに「まだ作ってませんからね」と即答したりしてました。
元ヤンの血が騒いだのでしょうか。「お前…その態度は駄目だ。ちょっと上来いよ」と威圧されました。僕は無敵なので間髪入れず言い返します。
「また人がいないところに連れて行って一方的に言いたいこと言うんですか?ここで言ってくださいよ。人前では言えませんか?」
「お前」
「私、来月からいないんで。それまでにやれるだけの仕事はやりますよ。裏で話してる時間もったいなくないですか?」
元来ビビリなので、元ヤンの方を見ることはできませんでしたが、言いたいことは言いました。今にも喧嘩が起きそうな張り詰めた雰囲気に、PMが「まぁまぁ落ち着いて…」と間に入ってきました。「っていうか辞めるの?」とびっくりしてました。

その態度を貫き通したら、元ヤンは何も言ってこなくなりました。昔は喧嘩相手の頭をバットで割ってたらしいですけど、だからなんだっつーの、今の社会的地位が大事なおっさんには、昔話をして睨むくらいしかできないことがわかっていたので怖くもなんともありませんでした。こっちはつい最近まで死ぬか殺すか迷ってたくらいですから、肝の座り方がまるで違います。
大体、仕様を組んだのもコード書いてるのも僕だ、今更お前に何ができるんだよ僕の邪魔をしないことだけだろ黙ってろ役立たずが、と思ってました。結局、テストは不十分だったとは思いますが、Aチームの成果物と結合テストができるレベルのものを仕上げて、現場を去りました。Aチームのリーダーは最後に「大変だったね」と声をかけてくれました。

教訓、辞めたくなったらさっさと辞めろ

当時の自分に言ってやりたいのはこれです。
同じように追い詰められている人がいたら、迷わず言ってやります。
大げさでなく、死ぬか殺すか迷っていました。でも、そんな風に追い詰められる必要はなく、とっとと辞めて他の仕事を探せばいいだけでした。後のことはなんとかなる、頑張って駄目だったらさっさと逃げろ

ただ、冒頭にも書きましたとおり、人間は比較でしか判断ができないため、どんな『異常』も、比較対象が無ければ『当たり前』としか認識できません。自分の置かれている状況が異常なのか、それとも単に自分が根性なしなのか、外に出てみないとわからないのです。
転職するかしないかはさておき、疑問を感じたら一度転職活動してみるといいと思います。そうすれば、比較の対象ができますから。


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