【大河ドラマ】鎌倉殿の13人 第7回「敵か、あるいは」感想
二所詣行ってたり、ウクライナ情勢のニュース追っていたりしていてほぼ1週遅れとなりましたが、2月20日放送の第7回について。
前回までの感想は下記から読めます。
第7回の主役は佐藤浩市演じる上総広常だったと言えましょう。
佐藤浩市は昔から好きな俳優ですが、さすがに少し年を取ったなぁと感じました。
ただやはり佐藤浩市にはオーラがあり、「坂東の大物・上総広常」は佐藤浩市だからこそ成立したようにも見えます。
しかし、その劇中の上総広常像を左右する問題が「上総広常はいつ頼朝軍に加わることを決断したのか?」という問題です。
大河の展開は原則、『吾妻鑑』の記述をなぞったものです。
広常が源氏につくか平家につくか迷っており、頼朝に対面した際に遅参を叱責されてその器量を認め、頼朝軍に加わる。
しかし、実は広常は早くから頼朝軍に加わることを決断していたという説を歴史学者の野口実氏らが提起しています。
確かに広常が最初から頼朝方だとはっきりしていたという話のほうが、石橋山で敗れた頼朝が海を越えて房総半島へ逃れた理由も納得がしやすい。
では、最初から頼朝方だった広常の参陣が遅れた理由はなにか?
これは上総国内において平家方と戦闘状態に入っていた、あるいは大軍のために召集に時間を要したということなのでしょう(私は前者だと思います)。
この場合でも、逃亡生活の不安からヒステリックになっていた頼朝が広常の遅参を責めた可能性はありますけど、やはり頼朝の広常への叱責はフィクションな気がします。
じゃあ、広常が迷うことなく早い段階に頼朝軍に付くことを決めていたのだとしたらその要因は何でしょうか?
前年の治承三年の政変の後、平家の侍大将・伊藤忠清が上総介に就任したということが1つ考えられますね。
治承3年の政変についてはアニメ『平家物語』5話感想を参照。
あとは、兄弟間の家督の問題。
広常の庶兄の印東常茂は平家方として富士川の戦いに参戦し、戦死しています。
『平家物語』には石橋山の戦い以前から、広常は頼朝軍に参加することになっていたと記述されており、軍記物でフィクションも確かに多い『平家物語』ですが、実は広常参陣については幕府の史書『吾妻鑑』より正確かもしれません。
ドラマ的にはネタバレになりますが、頼朝は後に広常を暗殺することになりますので、その行為を正当化するためにも、『吾妻鑑』での広常は尊大で反抗的な態度に書かれている気がします。
ただ、佐藤浩市をキャスティングした時点で「迷わず参陣を決めた従順な上総広常」では違和感しかないので、広常の迷いと選択からの頼朝の広常叱責という『吾妻鑑』の名場面を描いて「坂東の大物・上総広常」という人物像を採用した三谷幸喜の選択は正しいと思います。
脚本として面白かったので私には不満は全くありません。
藤原秀衡と源義経が本格的に登場。
私はこの2人を全く評価していないのですが、SNSの反応を見ているとやはり人気あるのだなぁと。
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