コンキョレス・コンフィデンス

なるほどお〜〜。

そうか、言われて気がついた。ぼくは「自己肯定感」が高いのか。改めて思うに、なぜか昔から根拠のない自信があった気がする。その原因を考えてみたけど、うーん、、根拠が無いんだからさして見当たるわけもない。まあ三人兄弟の末っ子だし、甘やかされて育ててもらってきた。そういう環境による恩恵はあったかも知れない。そういえば、松任谷由実も根拠のない自信があったんだって。中学の時の社会の資料集にそう書いてあった。学校教育は夢を追いかける子どもたちを応援する仕組みだからそんなことを書くのは当り前かもしれないけれど、その意味でぼくはいまなお、その呪い(?)にかかっているのかもしれない。

この年齢になっていまさら言うことでもないけれど、自己肯定感が高いのは良し悪しだと思う。根拠のない自信はどこにでもどんなタイミングでも顔を出す。そいつがムクリと頭をもたげた瞬間に、その正体をきっちり見極めて論理建てて検証して崖から叩き落とす。それくらいでないと根拠のない自信の戦線がどんどん拡大していくんよな。晋平ちゃんの「健康第一」以外は戦線にエントリー出来ない、という意思表示には静かな迫力がある。

四十にして惑わず。2500年前から論語にそう書いとる。孔子さんが「そこ、気をつけるアル」と注意喚起を促している。

ふむ。ぼくはいま、なん叉路にいるのか。人生のドローン飛ばしてみたら、立体交差どころじゃない気もする。

こんな時の選択肢はおそらく2つだ。
①標識無視、アクセル踏んでノータイムで突っ走る
②路肩に駐車して地図を広げてみる

そこに緑と白のツナギを着た、あのナビタイムのおじさんはおらんのよ。


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