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貴方にまだ、話していないことがある。

パートナーシップやチームワークについて話していると、「人への信頼」について発展していくことがある。
先日も、「一番身近なパートナーに、自分のすべてを言えていない(言えないことがある)。自分は、相手を信頼していないのではないか」という言葉を聞いた。こういうセリフはよくお聞きするもののひとつだ。
お一人ずつ、その意味合いや背景、根底にある願いなどが違うので、今回はそれについて意見を言いたいのではない。

今日書きたいのは、私の体験だ。
その言葉をキッカケに、つらつらと考えたことを書こうと思う。「ふうん」とお読みいただけたら幸いです。

8年一緒にいて、はじめて話したこと

先々月、夫が私の誕生日を祝おうと旅行に連れて行ってくれた。
夕食の時、「誕生日を迎えた気分はどう?」なんて言いながら、あれこれと質問された。たとえば、「これまでの人生で一番嬉しかったことは?」とか、「これまでの人生で一番思い出深いことは?」とか、そんな問いかけだ。全部で5~6個あっただろうか。いくつか答えた後、こう聞かれた。

「これまでの人生で、一番がんばったな、と思うことは?」

ふと、あがってきたことがあった。
うんと若い頃の、ほぼ誰にも言っていないこと。
私の人生の中ではとても過酷で、その年齢で同じような体験をすることはそうないだろう………いや、年齢に関係なく、体験する人はそんなに多くないだろう、という話。
ほぼ誰にも話していないので、夫にも話したことはなかった。
ただその時は、ふと「話してみようかな」と思ったのだ。

「これさ、ほとんど誰にも話したことがない話なんだけど」

夫は「ほお」という顔をして聞いてくれた。
取り立てて深刻な反応もせず、かといって軽く扱っているわけでもなく、それなりに驚いていた。そして、「そりゃ、大変だったなぁ」と言った。

「そうなの。大変だったの」

老舗料理旅館のおいしいご飯をモリモリ食べながら、淡々と説明した。

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海のない奈良なのに、このお宿はお刺身がおいしい!


夫とは、結婚して7年になる。その前のつきあいを足せば、8年強くらいの関係か。
この話は、私にとって夫に知っておいてほしい話でもなかったし、別に、一生話さなくても良かったことだった。
けど、たまたまあの質問をされて、たまたまふと湧いてきて、たまたま「話してみようかな」と思って、話してしまった。そんな感じだ。

「人は、話したい人に、話したいことを、話したい時に、話す」

この言葉は、私が新人カウンセラーだった頃、スーパーバイザーからもらったアドバイスの中のひと言だ。
とても印象的で、今回もまた、これを思い出した。

※以前書いたnoteにもある話です

今回の私は、そんな感じだったんだろう、と思う。
ただし、それを話したからといって、何かしてほしいわけでもないし、私の何かをわかってほしいわけでもない。
ただ、質問された時に最初にあがってきたものを、そのまま素直に出しただけだ。
その「たまたま」が……なんとも言いようがないけれど、あらゆることが「合致した」のだと思う。

8年話さなかったのは、夫を信頼していないからではない。
もちろん、関係が長くなっていく中で、最初の頃より格段に信頼は深まっている。だからといって、私が今回話したあのことは、「この人を信頼できるようになったから話そう」と思ったから話したことでもない。
聞いてほしいけれど言えなかったこと、でもない。
本当に、「たまたま」だ。

あえて整理すれば、夫に対して、この話を聞いてドン引きする人だともドン引きする関係だとも思っていなかった。
(これが「信頼」といえば、そうかもしれない)
加えて、たとえ夫にドン引きされてもまあいいや、と思う私もいる。
(これは「私への信頼」、と言えるだろう)

結構大きなトピックスだけれど、あの日以降、そのことは私たちの間でとくに話題にあがっていない。淡泊なものだ。
では、ほぼ誰にも話していない話を彼に話したことで、私の中で何かが変わったか?彼への信頼が変化したか?と聞かれたら、あまり変わった質感もない(笑)。

なんとなく、だけれど。
あの話は、私たちの関係において、あのタイミングで、あのシチュエーションで、あんなトーンで語られることが、たぶん一番適切だったんだろう、と思う。
それは、私のコントロール外のことだ。

「不思議」より「ミステリアス」の方が、個人的には好みなんですけど。

夫にこんな話をしたら、変な風に思うかな。
どんな反応をするかな。ちゃんと、わかってくれるかな。
そう思う時はきっと、探りながら話すだろう。
わかってもらえるように、話す順番や使う言葉も工夫して、相手の機嫌のいい時を選ぶ。
それは、コミュニケーションにおいて必要な配慮でありテクニックだ。
自己防衛機能でもあるし、相手との関係を大事に思って、この関係を壊したくない、という気持ちの表われでもある。(ほかにもいろんなケースはあるけれど、今回は省略)


ただ、そんなこともなく、風が吹くように現れる「大事な話」もある。
繰り返しだが、それは「意図して起こること」ではない


そういえば、初めに書いた「パートナーに言えていないことがある」という言葉を思い出したので、夫に聞いてみた。

「ねえ、私のこと、全部知りたい?」

「知りたくない」

「え!なんで?」

「なんかさ、ミステリアスな方がいいじゃん」

「ほお……………ちなみに、私はミステリアス?」

「………………不思議」

「は?」

「不思議。不思議だ………不思議だよねえ……貴女は」

ミステリアスと不思議は、かなり質感が違うのではなかろうか。
まあいいか。

私自身はどう思っているかといえば、そもそも私が自分のことなんてわかりきらないのだから、他人にだってわからないし、私が他人のことなどわかるわけもない。
隠そうと思って言わないこともあるけれど、隠す意図もなく言わないこともある。
話したいことは、話したい人に、話したい時に話すのだから、それがすべて私相手でなくてもいい。
なんだかんだで、まあいいか。
という感じだ。

貴方にまだ、話していないことがある。


それは、外側にいる「貴方」にも、内側にいる「私」という「貴方」にも、同じことが言える。
まだ言葉という形になっていない何かが、この世界にはたくさんあるのだ。

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