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刻み込まれた、人生の軌跡。

先日、事故にあった。
ぼんやりと立っている後ろから車がぶつかって来て、前方へ倒れた。
幸いかすり傷で済み、念のために病院に行ったものの、その後お山登りに行ったくらいだ。

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愛知県・鳳来寺山。絶景!


 ただ、後ろから突然、車がぶつかってきたので、なんの構えもなく転んだということは、身体にはそれなりに負担がかかっているはず。同じく、心にも。(たとえば、ビックリして筋肉と心に緊張が走るとか)
病院では、レントゲンをとらなくていいほどの、「ただのかすり傷」として処理されたけれど、別の面でのケアが必要だと思い、専門家に頼んだ。
そんなことをしていたら、ふと思い出したことを、今日は書いてみる。

身体は記憶する

 かれこれ15年以上前から、身体知の分野を実践・探究している。
細かいことは省くけれど、人がその可能性を最大限に開くには、あたまだけではなく「からだ」へのアプローチが不可欠だと直感したからだ。
ボディ・ワーク(ソマティック・ワーク)という言葉は近年やっとビジネス現場でもちらほら聞こえるようになってきたが、当時はもう本当にニッチで、「キャリアコンサルタントとしてボディ・ワークを学んでいる」と話すと「は???」という顔をされたものだ(まあ、今もキャリア発達領域では相変わらず「??」だとは思うけれど)。

※ボディ・ワークの世界に足を踏み入れた話は、昔の記事をぜひ!

 ボディ・ワークは、「からだを通した自己理解」と言い換えることもできる。身体の智恵を通じて、自己理解を深め、人間的成長を遂げることの助けとするものだ。(だから、キャリア発達にとても有用)
私が現場でそれをどうやって活用しているかは今回は省くけれど、自分自身も数々のボディ・ワークをクライアントとして体験する中で、また座学として学ぶ中で、本当にそうだと思うことが「身体は記憶する」ということだ。

 それは、生活習慣によって姿勢や動作がつくられていったり、繰り返し使われる神経回路がその道筋をより強くネットワークしていく、という、わかりやすくて物理的な面はもちろんのこと、「感情」や「過去の体験」さえも、身体は記憶するのだ。
つまり「身体にトラウマが宿る」ということも、ある。

 私が先日の事故で、病院では「ただのかすり傷(ほおっておけば治癒しますよ)」と言われたものの、ケアをしようと思ったのは、こういうことを身をもって学び、知っているからだ。身心が負った衝撃を、早いうちに、小さいうちに癒してあげたい、と思うのだ。

 ただ、そんなことを知らなかった時代には、数々のものを身体にため込んできた。(愛すべき私の人生が、身体に刻印されている、とも言える)
キャリアコンサルタントになり、多くの方々の役に立つサポート方法はないか、現場で感じる課題を紐解く中で発見してきたワークは数知れない。そこで、それまでにため込んできたものを、癒し続けてきた。

数多くあるので、すべてを紹介することはできないが、今日焦点をあてたいのは、「シン・インテグレーション」という施術だ。

 シン・インテグレーションとは、マーク・カフェル博士が「ロルフィング」という技法を発展させて開発した身体統合技法である。
カフェル博士はもともとスタンフォード大学で経済学を学び、ビジネスの分野で活躍したのちに、あることがキッカケで心理学・生理学・解剖学などを学び、ロルフィングの施術者になったという方である。

 「ロルフィング」とは、アイダ・ロルフ博士が開発した施術法で、「重力と調和する身体」をつくるために、主に筋膜(体内の組織を包み込んでいる膜のような「結合組織」。よく、鶏肉についている白い薄皮を例にとり説明される)に働きかけていくものである。

詳しい説明はこちらをどうぞ

 ロルフィングは単発セッションで受けたことがあるけれど、ロルフィングを発展させた「シン・インテグレーション」の方が先にご縁があり、10回のフルセッションと、その後のアドバンスコースも受けた。

 10回シリーズは別のプラクティショナーだったけれど、アドバンスはこの、カフェル博士の奥様であるふみ子さんから受けた。
ショックを受けた時、筋膜は収縮する。そこに、その時の感情エネルギーが溜まる。あちこちの筋膜が収縮した身体は、物理的にも歪みを起こす。からだと心はつながっている。施術することで、心身が解放されていく。そんな説明を受けたように記憶している。

存じ上げない方だけれど、この方の説明もわかりやすかったのでリンク。


事故をキッカケにシン・インテグレーションで起こった体験を思い出したのでここからそれを書いてみたい。もう、10年以上前の話になるけれど。

準備ができた時に、それは表れる。

10回セッションの体験で印象的だったことが3つある。

ひとつは、開始の際の、静かな時間だ。
 セッションが始まる前はいつも、ショーツ一枚になって、プラクティショナーの前に立つ。前、横、後ろの身体を見せる。プラクティショナーは小さく体育座りをして、私の全身を観察する。そして、施術が始まる。とくに、何も言わない。
(ほかの施術者を体験してわかったけれど、ここまで半裸になるのはこの時だけだった。そして、あれこれ言わないのも、このプラクティショナーの特性だったと思われる)

ふたつ目、みっつ目は、施術中の私の体験だ。

 まず、恥骨まわりを施術していた時のこと。突然、股間がブワッと熱くなった。(え!? おもらししちゃったの??)とビックリして、「すいません!おもらししちゃったかも!」と言ってそこに手を当てたら、ぬれていない。プラクティショナーは「エネルギーが解放されたんですね」と言った。恥骨周辺、性に関するエネルギーの滞りか、ショックか、何かが解放された、ということらしい。

 多くのボディ・ワークで面白いのが、「原因」や「理由」を追求しないこと。施術者からも、深く聞かれない。ただただ、身体に記されたものを、せっせと解放する感じだ。
(カフェルふみ子さんの施術は、もう少し対話があって、カウンセリングしながらボディの施術をするのが多かったので、これも施術者の特性で違うだろう。また、シン・インテグレーションはロルフィングよりもカウンセリング色が強いと言われる)

 次に、背中をやっていた時のこと。突然、猛烈に気持ちが悪くなってきて、何を思ったか、「ちょっとすみません!」と私はベッドのシーツをまくりあげ、それにくるまって縮こまった。考える間もなく、そうしたくなったのだ。シーツにくるまり、「ごめんなさい、ちょっと、しばらくこうしていたいです……」と呻く私に、「ごめんなさい、ちょっと急激にやりすぎたかも」とプラクティショナーは詫びた。しばらく休んだら、シーツから顔を出すことができたので、もぞもぞ出てきて、「あー、ビックリしました。なんだろうこれ、思わずこうしたくなりました」と話すと、彼女はもう一度、「ごめんなさいね、もっと私が加減すべきでした」と謝った。(補足しておくと、その後、体調を崩したりなど困ったことは無かった)

 そのやりとりが私にとって、とても良かったのは、「なんでもかんでも解消すればいい、ということでもないのだ」と学べたこと。この時の体験は、考える間もなくそういう行動(シーツをかぶる)に出たことや、込みあがってきた不快な感覚、その後のスッキリ感など、私にとっては大変興味深いことだったし、良かったと思っているけれど、彼女が「もっと加減すべきだった」と話したことは、私自身も対人支援職をしている身として学びだった。

 ともすると、「悪いことは早く無くしたい」「不具合は早く解消したい」と考えがちな合理性社会だけれど、人の成長に関するものは、そういう考えでは成り立たない。なぜなら、成長は固有の力学が働くから。個人個人の個性として、そのスピード、生まれる変化、その繋がりはあまりにも違うから。画一的なものさしでは、到底図ることができないからだ。
 私自身、個人セッションをする際は、「その人が受け取れる量」「扱えるもの」を観察することに気を遣っている。


先日、夫に8年一緒にいて初めて話したこと、をnoteに書いた。

 これには後日談があって……私は、キャリアコンサルタントである自分を整えるために定期的にカウンセリングやコーチングを受けているのだけれど、この、ものすごく大変だった体験について、セラピストと扱うことになったのだ。
 当時、私はまだキャリアコンサルタントではなく、ましてや「身体が記憶する」なんてこともまったく知らなかった。とてつもなく辛い出来事だったけれど、その一連の嵐が止んだ時、「ああ、終わった…」という安堵とともに、そのことで傷つき疲れ果てた「私」を扱うことなく、その後の人生をおくったのだ。

おそらく、その出来事はかたくかたく、封印をして。

 ものすごく長い時を経て準備が整い、そのことがやっと、「扱われたい」と私をノックしたのだろう。「扱えるくらい」に、浮上してきたんだろう。
ボディ・ワークも何か受けようかな、以前は出てきていなかったものが、扱える身体になっているはずだから。

 我々人材育成の領域では、「人は変われるのか?」という問いが話題になることはよくあって、おおむね「その人が変わりたいと思えば変われる」というオチにおちつくのだけれど。
(逆を言えば、「無理に変えることはできない」)
 課題の大小にも左右されるだろう、というのが私の見解だけれど、大きな課題であればあるほど、無理に引っ張り出して、首根っこをつかまえて向き合わされるようなものではない。ということは、浮上してきたり、現実に不具合が生じたり、何かのサインを感じたのなら、扱ってあげるタイミングなのだ。 

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