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恋バナが苦痛なのは恋愛経験が少ないからだと思っていた|デミロマンティックの私に見える世界

私は恋バナが苦手だ。恋愛相談なら真剣に聞くことができる。でも、雑談のノリで強引に彼氏彼女の有無を聞き出そうとしたり、その類のプライベートの自己開示を求められることが苦痛だ。
原因は、恋愛経験の少なさだと思っていた。話せることが少なくて気まずいからこんなに居心地が悪いのだと。

しかし、経験の無さがバレるのが恥ずかしいというのが、恋バナが苦手な本当の理由なのだろうかと、デミロマンティックという言葉を知ってから疑問に思うようになった。

友達の恋愛事情を知るタイミング

大学生の頃、当時一番仲の良かった友達Aと共通の友達Bと3人でランチをしていたとき、友達Bが友達Aに「その後好きな人とはどうなったのか?」という話題を振っていた。友達Aに好きな人がいるというのは初耳だったが、友達Bとしては、私と友達Aは仲が良いのだから、そのことは知っていて当然という感じで話を進めていた。
仲良くなったら普通はそういうことを聞いてあげないといけないんだなと実感した。

もともと他人に対する興味が薄い方ではあるが、友達の家族の話や仕事の話ならちゃんと興味がある。でも恋愛の話だけは聞こうと思ったことがなかった。聞きたくないとか聞き返されたくないとか以前に、そういうことを聞くという発想自体が私になかった。話題のレパートリーの中にないのだ。
だから、初めて友達と恋愛の話をするときは、いつも決まって友達が真面目に恋愛相談をしてくれたときだ。

私は人生の中で、“恋愛”を重視していないのだと思う。

“恋人が欲しい”とみんなが思っている前提で展開される会話

カジュアルな飲み会では必ず恋バナに発展するのも不思議で仕方なかった。初めての飲み会で、自己紹介が終わった途端に彼氏の有無を聞く人の気持ちがわからずに困惑した。なんで”とりあえず聞いておく質問”になっているんだろう?(最近では「これセクハラかー!」と言いながら聞いてくるタチの悪い人もいる。)

恋人がいない=非リア、という価値観が蔓延しているので、恋人がいないとなんだかすごくプレッシャーに感じることはあるが、自発的に「彼氏が欲しい」と思ったことは正直ない。本当に好きな人が現れたら、そういう関係になれたらいいなと思うだけ。

もし素直にそう打ち明けたらどうなるだろうか?経験則からして、確実に場は盛り下がる。「そりゃ理想はそうだろうけど…」という冷たい眼差しとともに空気の読めない奴と認定されてしまう。そんなこと言ってるから彼氏ができないんだよ、とバカにする人もいるかもしれない。

「彼氏/彼女いるの?」と聞くのではなく「恋人いるの?」と聞きましょう、という提案はだんだんとメジャーになってきたように思う。でも恋人の有無を聞かれること自体をプレッシャーに感じる人がいることも知ってほしい。
せめて、初対面のときや、大勢の人がいる前で聞くことは遠慮してもらえると、デミロマンティックやアセクシャルの人々が、肩身の狭い思いをせずに済むはずだ。


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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。