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「恋」と「憧れ」の違い|デミロマンティックの私に見える世界

私は、あまりにも人を好きになる頻度が少なすぎて、自分の「恋」の定義が間違っているのでは?と何度も考えたことがある。

私はデミロマンティックを自認しています。デミロマンティックとは、感情的なつながり(信頼関係)のある人にのみ惹かれる恋愛指向です。私の場合、時間をかけて相手のことを深く知ってからでないと人を好きになることはありません。

好きになるのは芸能人ばかりの中高生時代

中学生や高校生のときは、芸能人や塾の先生を好きになっては、半年〜1年くらいのペースでまた別の人を好きになっていた。でも、ほとんどの同級生は「クラスの〇〇くんが好き」という話をしていて、全然理解ができなかった。同級生なんて子供っぽく見えたし、40人程度のこんな狭い世界に都合良く好きな人がいることが信じられなかった。私はきっとませているんだ、私は見た目より中身で判断するし、人を見る目があるんだ、と自分を納得させていたけど、私はどこかおかしいのではないか?という不安もつきまとった。

高3で初めて同級生を好きになってから、今までの感情は恋ではなかったと何となく感覚で分かった。

それからは、芸能人をかっこいいと思っても、これはファンとして好きなんだなと認識できるようになった。でも、その違いを言語化するのは難しかった。もしかすると、ただ身近にいない人で現実的ではないから、自分で「恋」と定義していないだけなのでは?とも思った。

ラブとライクの違いは?(ルービンの恋愛尺度)

「恋(love)」と「好意(like)」の違いを判断するための基準の一つとして、心理学者のルービンが考案した「ルービンの恋愛尺度」が有名だ。〇〇に好きな人を当てはめたときに該当する項目をそれぞれ数え、どちらが多いかによって判断するというものだ。

【恋愛尺度】1. 〇〇の元気がなかったら励ましてあげたい 2. 〇〇を全面的に信頼している 3. 〇〇の欠点は気にならない 4. 〇〇のためならどんなことでもしてあげたい 5. 〇〇を独占したい 6. もし〇〇と一緒にいられなくなったら私は不幸になる 7. 寂しいときは〇〇に会いたいと最初に考える 8. 私にとって一番関心があるのは〇〇が幸せになること 9. 〇〇がどんなことをしても許すことができる 10. 私は〇〇を幸福にすることに責任があると思う 11. 〇〇と一緒にいるときは時間が一瞬のうちに過ぎる 12. 〇〇から打ち明け話をされると嬉しい 13. 〇〇と仲良くできないのは辛い
【好意尺度】1. 〇〇と一緒にいるといつも同じ気分になる 2. 〇〇はとても適応力がある 3. 〇〇を責任のある仕事に強く推薦したい 4. 〇〇は人間的に成熟している人だ 5. 〇〇の判断には絶大な信頼を置いている 6. 〇〇に会って話をすれば誰もが好意を持つと思う 7. 〇〇と自分はよく似ている 8. クラスやグループで責任ある仕事に〇〇を推薦したい 9. 〇〇は人から尊敬されるような人間だ 10. 〇〇はとても知的な人だ 11. 〇〇は知人の中で最も好ましい人だ 12. 〇〇のような人になりたい 13. 〇〇は賞賛される人物だと思う

私は、今まで自分が恋をしたと思っている相手や、好きな芸能人を試しに当てはめてみた。前者は、恋愛尺度の10と好意尺度の1があまりよく分からなかったが、どちらの尺度も高くなった。後者は、身近な人ではないので想像で判断していいのか分からず、この尺度自体が参考にならなかった。私は、人として尊敬できる人を好きになる傾向があるんだなということだけ分かった。

自分なりに考えて辿り着いた「恋」と「憧れ」の違い

今でも芸能人にときめくことはあって、私の理想が高くて、現実から目を背けているせいで現実的な恋愛ができないのかな?とたまに思うけど、自分なりの判断基準に当てはめて考えると、ただ私は恋をする頻度が少ないだけなのだと冷静になれる。その私の基準というのは月並みだが、「その人になりたい」という気持ちと「付き合いたい」という気持ちのどちらが勝つかということ。ほとんどの場合は前者の気持ちが強く、「憧れ」という言葉で説明がつく。人として尊敬できたり、素晴らしい才能があったりするからかっこよく見えて、心がときめくのだ。

この基準があれば、人を好きになったときに「これは恋じゃない」という判断はできる。

じゃあ、どういう基準で「付き合いたい」という感情が生まれるのだろうか?「付き合いたい」と思う頻度がこんなに少ないのはなぜだろうか?

デミロマンティックの私が、恋愛とは何かを言語化するのはまだまだ難しそうだ。


恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。