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不安症のこと:誰でも穴に落ちる可能性はある


父の死後、とにかく毎日泣いていました。父の葬儀の時よりもどんどん悲しくなっていき、父が「いない」ということを受け止めきれず、自分の意志ではなく発作のように泣いてしまうのです。「もうやめて〜泣きたくないよ〜」と懇願するのですが、涙が止まりません。まるで壊れたおもちゃのように泣き続けました。
おかしければ笑うこともあるので、感情がジェットコースターのように激しく上下していて、その波にうまくのれない感じが続きました。
睡眠もほとんど取れていませんでした。これは寝る時間をわざとずらすことで改善されていきましたが、当時はショックなことがあったら普通寝られないよね、、と自分を納得させるしかありませんでした。元々不眠症の気質があったのですが、さすがに毎日ともなるとこたえました。
感情の波を乗りこなせない日々の中で救いだったのが、海外に住む姉がしばらく帰国していたので毎日話しができたことです。夫にも毎日泣きながら話しを聞いてもらっていました。本当に感謝です。


不安症になった日

そしてある日、それはやってきました。
哀しみと引き換えに、スッとスライドするように不安症が襲ってきたのです。まるで誰かが勝手に私の脳のメモリーを差し替えたような感覚といいますか、自分の意志のはたらくところではない部分が急に動き出した感じです。

それは「一人になってしまう」という妄想からくる孤独感と不安。
前の日記を見返すと、夫と離れてしまうことを勝手に想像して胸のあたりがぎゅーっと縮むような苦しさがあり、足元がフラフラとおぼつかない、楽になったかと思えばまた苦しくなる、を繰り返す感じ。と書いてありました。

調べると、「成人分離不安症」という症状があるそうです。
精神科のお医者さんが書いたレポートに、「分離不安障害の診断基準」が載っているのですが、私の症状はそれに似ていました(子供やペットにあらわれる方が有名らしいのですが、大人でもなる人がいるそう。または子供の時に発症して、不安を抱えたまま大人になる人もいるとか)。

また広場恐怖症も少しあり、窓のない場所や暗がり、狭いところ、地下などにいるとこわさを感じます。とにかく一人になることが怖ろしいのです。そして身近な人になにかあったらどうしようという考えが勝手に頭に沸き起こります。

机作業が好きなので引きこもって家で楽しむことはなんなく出来ていたのに、夫がいないと動悸がして手が震えるような感覚があり、パニックになって思考がストップしてしまいます(しばらくは夫がいても孤独感が襲ってくる日もありました)。

でも常識的に、彼が出かけるのを止めることはしませんし、仕事先についていくこともできませんので、一人でいないようにしなければと、夫が帰ってくるまで外に行き、人がいる公園やカフェにいるようになりました。一人で過ごしている人をみかけるとなぜか安心するのです。自分だけが一人なんじゃない、みんな一人で過ごせている。と思えるので孤独感が薄れるのかもしれません。


誰でも穴に落ちる可能性はある

この症状は私としては自然な流れで起こった、仕方のないことなのだと思うことにしました。

父が突然亡くなり、いなくなってしまった

「人は急にいなくなる可能性がある」という現実を突きつけられる

今生きている大切な人たちもみんないずれいなくなってしまうと考えてしまう
(本当のことなので、自分には変えようのない、コントロールのできないことであるというこわさを感じる)

一人きりになってしまった自分の未来を想像して不安になる

という構造を頭に作り出してしまいましたが、これは私だけではなく、同じ体験をした他の人でも起こりうることだと思っています。それはみんなが通る道に穴はいくつも空いているのだけれど、たまたま落ちなかった人と、私のように落ちてしまった人に分かれるだけ。ただそれだけのことなんだと思います。

小さな不幸にぶつかってしまったけれど、落ちてしまったものはしょうがない、そこから出る努力をするしかないと思っています。


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