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「HOTEL315」 4/17話

  朝の会議が終了し沙奈が厨房に戻ってくると丁度朝のバイキング料理が厨房に下がってくるところだった。調理場の澄に調理をする邪魔にならないようなスペースが設けてあり、その台上に下がってきた銀食器に盛られた冷製料理、チューフィングに盛られた温製料理、パン類も飲み物も、載せられるだけそのテーブル上に料理人の手によって並べられる。
  沙奈はその並べられた料理をひとつひとつゆっくりと眺めながら端から端へと歩いて行く。あと一口程度でなくなる料理もあればその大皿いっぱいに残っている料理もある。どれも料理人が自分の技術を信じて作成したものばかり。

「失礼します」「失礼しま~す」「失礼、します」

  調理場に次々と表にいたサービススタッフが姿を現す。調理場で作業をしていた数名の料理人がレストラン店内へとウイング扉を揺らせて出て行く。入ってきたサービススタッフはそれぞれ手に皿とナイフ・フォークを持ち次々に下がってきた料理を自分の皿に載せていく。
  一連の料理を盛りつけたスタッフは洗い場付近の小スペースで立ちながらそれを食す。食すとまた1回ならず2回、3回とそのボードに載せられた料理を盛りつけては食すサービススタッフ。その中には役郎の姿もあった。
  彼もまた1回ならず2回食し、自分の食器類を自分で洗い場に行って洗い流し洗浄機の棚へ置く。そして他のサービススタッフも同様に各々で食器を洗い洗浄機の棚にセットしていく。また洗い場のスタッフもサービススタッフと同様にその料理や飲み物を食していた。

「先ほどはありがとうございました」
  役郎が沙奈に対して御礼を口にする。
「ええと・・・」
沙奈は口に何かを挟まったように答える。

「グランシェフと言い合いした事で頭がいっぱいになって、忘れてました」
「それでマネージャーが務まると思うの?」
「おっしゃるとおりでございます」
「仲間の失敗は全てそこを仕切るインチャージの責任です。怪我が無くて本当によかった。親御様もそれ程怒られていなかったし。ラッキーでした」
「はい」
「もう二度と・・・同じ事は繰り返さないでください」
「はい、申し訳ありませんでした」
  役郎が沙奈に対して頭を下げる。

「あっあ、下げる方向が違いますよ」

  役郎が調理場スタッフの方を向いて頭を下げる。
  それを見た数人の調理人が軽く会釈で返す。
「どうでした?今日の出来は」
「はい、とても美味しかったです」
「月並みだな。それじゃ調理人は成長しないですよ。それにマネージャーも。何か感じたならそのまま素直に云うべき。人の顔色を伺うならココには向いていないと思いますが」
「厳しいですね相変わらずグランシェフは」

「ご馳走様でした」「ありがとうございました」
  食事を終えたサービススタッフと洗い場のスタッフが次々と自分の食器類を片す。ボード上に置かれた料理は全て綺麗に無くなっていた。食したスタッフはポケットからメモを、中にはポストイットを取り出す者もいるが各々何かの言葉をそれにメモする。
  それを片隅に置いてある大きくは無いが存在感がある募金箱のような意見箱のような白いボックス。いつも口を開けている横一文字の入口にちょっと大きな紙なら数回折っても入れやすい程。
  上蓋には簡易の鍵が掛けられ容易に中の物は取り出せないし内容を確認しようが出来ない仕組み。書き損じてもそのまま言葉は放たれる。
そこには

「truth」

の文字が黒く横にテープに書かれて貼られていた。
  食した全員が意見を書いたメモをいれたであろう後は、数名毎に分かれて洗い場を手伝う者、調理場を手伝う者、店内を整える者にそれぞれ分かれて散る。
「私たちは頭としての責任があるし、信じた道を間違えてはいけない。だからいつも一生懸命にやるし、それを仲間が見ている。自分に嘘はつけない」
「いつもそんな調子だと疲れませんか?」
「貴方と一緒にしないでいただきたい」
「失礼しました」
  役郎はそそくさと沙奈から離れて行く。
「おはようございます」「おはよっす」「お邪魔します」
  元気な数名の声が調理場に元気良く響く。新鮮な肉、魚、野菜やフルーツ類が次々と調理場に運びこまれる。
  生鮮3品と呼ばれる魚類、野菜類、フルーツ類、そして肉もカテゴリーとして数えれば合計4品の食材が現れる。肉を持ってきた人は白衣に白い帽子、マスクを身に纏い黒の安全靴。
  魚を持ってくる人は靴が長靴。野菜、フルーツ類を持ってくる人は白衣の代わりにエプロン姿。皆はそのまま食材庫の方へと持参した食材を運んで行った。皆独自の折り畳みボックスの中に食材を入れて両手で持って中に入る。水分を含んだこのカテゴリー類は手で持つには重い物が多い。
  通常重い荷物はカートの上に載せて運び込まれる事が多いがココは人間の口の中に入る物を扱う場所。運び込まれる時にカートの汚れや金属の影響、また外から続く滑車の跡が調理場内に入ってはならない。
  そう思って実行する。そう信じてそれを守る。皆は聖域ともとれる部屋に入り、聖護院だいこんだけが載っていた棚の上に次々と食材たちを祀って行く。そこに置くと一礼して次の人にバトンタッチ。食材を置いては次の人に交代する。そしてその棚は食材で満ちて行く。食材を運び終えた人々はまた調理場に戻る。

「ありがとうございました」「ありがとうやんす」「毎度あり」

  個性豊かな挨拶や元気の良い言葉を調理場の皆に残して去って行く。
  沙奈をはじめとする黒いパンツを着用している調理人がその部屋へと移動する。
  次々にその聖域の中に入室。前列の真ん中に沙奈が正座してその左右、真後、そしてその左右に調理人全6人衆がそこに正座。
  目の前には聖護院だいこんだけが寂しそうに置かれていた棚のスペースには多くの食材が所狭しと祀られ、その光景はこれから何かが始まるような予感さえも感じさせた。
  6人は目を瞑り、各々のタイミングで手を合わせその場で頭を下げる。光景としては土下座をしている格好。各々のタイミングでその動作は表現されるが、それ程間を置く程はズレていない。どちらかと云うと少しずつ一瞬一瞬が連続写真のようにリンクし、頭を下げる時は規則性を持っているかのように動いて顔を上げるタイミングも連続し6名全てが波を打つようにその動作はひとつのグループ競技のようにも映る。
  最後には背筋を伸ばして正面を向く動作が最後のようだ。連続した動作が終わったあと6人全てが仮に立っていたら直立不動と云うべき格好で姿勢が良い。そして一度に首だけ前に縦に折れると、一斉に立ち上がる。
  そして今度は立ちながらほぼ45度程度のお辞儀をすると後方の調理人からその部屋を出て行く。最後に残った沙奈は聖護院だいこんを手にすると部屋から出て行った。

  沙奈は調理場に戻るとガルドマンジェの調理場へ聖護院だいこんと共に現れる。そこには既に作業をしている女性のコミ守脇沙織(モリワキ・サオリ)が既にカットされた人参のひとつを手にしてカービング(彫刻)を施す。それは根気のいる作業だが醍醐味のひとつとも云える。
  そのカットするひとつひとつが調理人の個性が現れる。既に水が張られた銀ボールの中にある程度完成されたバラのカービングが2個。今は薄い葉を作っているようだ。

「いいね」
  沙奈が沙織に声を掛ける。
「オス」
  沙織はまだまだ幼さが残る女性であるが体育系の出身者らしくその容姿もコック帽からはみ出る頭髪も顔つきも男子のよう。でも沙奈は可愛く感じている。
  聖護院だいこんを料理台の上に置くとまな板と大きめの包丁・シェフナイフを収納から取り出す。それぞれに「SANA」の刺繍が施してあり総料理長の特権でもある。
  まな板と包丁をシンクで一度洗浄。タオルを取り出して拭く。その後に除菌スプレーを噴射。聖護院だいこんをまな板の上に置き直す。
  外側の皮を綺麗に慎重に剥いでいく。元々あった外見の丸みを壊す事なく、また包丁のムラを極力無くすように2度3度整えても行く。
  頭の葉っぱを残すか切ってしまうか悩んだ末、今のところは不揃いの箇所だけカットして切り目を揃えるだけにした。
  自分なりに納得した形を確認すると小さめの包丁・ペティナイフを取り出す。大きめの包丁は洗って収納に。暫し聖護院だいこんと睨めっこすると、ペティナイフのアゴで中央部分に切り込み時計回りに少しずつ刃を動かす。だいこんを反転させて同じように切り込みを入れ少し動かすと部分的にカットされただいこんが本体から離れた。
  バラの花びらとまでは行かないがその位小さい形。その後もペティナイフのあらゆる部分を使ってだいこんに刺繍を施して行く。少し時間が経過した。周りを見渡すとまた調理場が活気だしていた。隣を見ると沙織がテリーヌをカットしている。

「ゴメン、もうそんな時間」
「はい、そろそろですか」
  沙奈は顔を上げ少し右斜めの方向へ動かすと掛け時計が11時03分を指していた。
「やっちまったな」
「プっ」
少し噴き出す沙織

『ドス!』

何か鈍い音が沙織の下部から発する。
「イテ!」
お尻に痛みを感じる沙織。ガルドマンジェのシェフ・ド・パルティ額田洋司(カクタ・ヨウジ)の蹴りが沙織のお尻にヒットした。
「マスクは」
「すいません」
  沙織はテリーヌ切の手を止め包丁をまな板脇に置き少しその場を離れる。
「すまんな沙奈」
「すいません、私も注意するのうっかりして」
  洋司は隣の場所へまた戻ると台に置いてある包丁・サーモンスライサーを手に取りスモークサーモンを薄くスライスする。マスクを着用してその場に戻ってきた沙織は洋司に向かって一礼すると置いてあった包丁を手にとる。

『ドス!』
また沙織のお尻に洋司の蹴りが入る。
「離れて帰ってきたら手荒いと除菌スプレー」
「はい、すいません」
  沙織はシンクで手を洗い、包丁と自分の手に除菌スプレーをかける。
  そしてまた包丁を手にしてテリーヌを一定間隔にカットしていく。
「額田パルティ」
「私の辞書にセクシャルハラスメントと云う文字はありません」
「額田パルティ」少し強めに

「ウィ・ムッシュ」

  沙奈は苦笑い。収納から少し大きめのシルバーボウルを取り出し作業途中の聖護院だいこんをのせて少し離れた冷蔵庫に。ウォークインで入れる大きな冷蔵庫の中には多くの野菜・フルーツが棚の上に、籠の中に、種類別に、機能的に、陳列されている。沙奈は少ししかないスペースにそのシルバーボウルを置く。
  同じような籠が多く陳列されるところにひとつだけ聖護院だいこんがのったシルバーボウルがその列を乱すように目立っている。沙奈は少し首を傾げるが少しずつ冷気の襲来が身体の体温を奪っていくとそれほど厚手でないコックコートとマスクだけでは防ぎようが無くアゴが小刻みに振動するように動いてきて直ぐに冷蔵庫を脱出する沙奈。
  冷蔵庫を出て少し呼吸を整えさっきまでいた場所に戻る沙奈。洋司と沙織はそれぞれスライスしたスモークサーモンとテリーヌをクッキングペーパーがひかれた長方形の銀容器に一時避難させ、周りに黄色い柄が施されたデザートプレートを用意する。洋司はその一枚を手にして盛り付けスペースに置くと、既に用意されたサラダ菜をその皿の上にのせ沙奈に渡す。沙奈は自分の脇腹を親指が表になるように抑える。その脇腹に両手を添えた、との表現の方が似合うかもしれない。
  そして暫くその皿と食材を見つめ自身のイメージを膨らます。沙奈はその場にしゃがみ込み下部の観音開きの扉を開く。そこは冷蔵庫になっていて数種類のドレッシングが容器に入っている。それはお店でホットドックを食べる時のケチャップとマスタードの容器に似ている。
  そのひとつひとつにドレッシングの名称と作成年月日がテープで貼り付けられていた。沙奈はその内の1つを掴んで立ち上がった。それを料理台に置く。そしてまた暫く思案してからまたしゃがんで1つを掴んで立ち上がる。料理台には2つのドレッシング容器が用意された。
  少し透けて見えるその容器の1つは緑色で1つは白色。まず緑色のドレッシングをお皿に流すと直ぐにテリーヌをその上から載せる。もしかすると『被せる』と云う表現の方が正しいかもしれない。
  少しだけテリーヌを押し込むと下から緑色のドレッシングがテリーヌの枠をつくるように出てくる。そしてテリーヌの上からサーモンを巻くように上にのせると、白いドレッシングをサーモンにかける。
  それは少し流れる位の量で。少しそれを眺めて急にまたしゃがむと、冷蔵庫からキャビアを出す。デミスプーンで少量をすくい巻いたサーモンの頭に少しだけのせる。
  そしてコンソメゼリーを上から振りかけ小さめのシルバーボウルに用意されているハーブを一カケちぎってキャビアの上からのせた。それを洋司、沙織に見せると2名は頷く。沙奈はシンクで手を洗いタオルで拭く。

「後お願いします」
  厨房の奥の方へと移動していく沙奈。その後方では洋司と沙織が沙奈の仕上げたその料理を食しお互いに顔を見合わせて小さく頷いていた。少し大きめの寸胴に木製の少し大きめのシャモジを入れて中をゆっくりとかき回すソーシエのシェフ・ド・パルティ中込悟志(ナカゴメ・サトシ)。沙奈は悟志に対して右手を肘からおり腕部分をお腹に当て、また左手を逆に背中に当ててゆっくりと腰をおる。それは敬意を表す礼と云って良い。

5/17話へつづく


お読みいただきありがとうございます。
まだまだ日常って感じですが・・・
ご興味をもっていただければ幸いです。


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